第九十話 忘れてもかまわない

「お前はやってないとか知らないとか言うが、チェインの手がそれをしたのはわかっている」


 うたうように、男の隣に腰を下ろした。血がつかないような場所に座り、念のため雑巾も用意した。


「手慰みに何処かを落とすのはしのびない。吐けば医者に連れて行くから、俺をはやく帰らせてくれ」


 何をそんなに拒むのか。本当に知らないのか。疑念はあるが、東城は動じない。じっと死にかけの男の背を見つめている。


「——本当に知らねえんだ、あんな男のことなんか」

(やっとか。早く言えばもっと楽ができたのに)


 男? とわざとらしく語尾を上げてやった。すると歯を鳴らしながら、つまずきながらも説明しはじめた。


「この街を我らがチェインのものにしたい、運命に抗おうって」

「名も知らない流れ者に、殺してくれと頼み込んだのか」


 そんなつもりはなかったと懺悔した。どうやら彼はこの教会に住み込みをしていて、客の応対をしているらしい。その延長だったらしいく、あくまでも軽口だというが、それにしては物騒である。この街の現状でも酒盛りをしていたあたり、半ば本気だったのだろう。


「チェイン様こそが最も素晴らしい神だ。でかいツラして、ニヤニヤして俺たちを笑う連中のことなんか」


 知ったことかよ。と狂ってしまったのか、笑声をあげた。その瞬間にまた口が塞がれる。


「そいつは誰だ。どこにいる」


 声は冷静であるが、行動は真逆である。残った腕もぐにゃりと曲がった。

 痛覚がまだ正常に機能していたことが男の不幸である。白目をむいたが殴りつけられて正気に戻った。


「質問には答えるだけでいい。二度は言わない」

「まだこの街にいる。教会に泊まれといったが宿があると断られた」


 犯人はおそらく男。流れ者でこの街で宿をとっている。最初の情報収集にしてはなかなかの成果である。


「名前は」


 本当に知らないんだ。というばかりで、失血で気を失った。元から治療のことは頭になく、三つの首は男の懐にあった短剣で無理やりに落とした。


「お前の服、妙にこぎれいだな」


 独り言とともに、そのこぎれいな服の裾に自分の剣を擦りつけて血をおとした。無自覚な隠ぺい作業を終えると、ドアの前に立って気配を探り、無人の闇にそっと体を溶け込ませる。東城は宿を出てから二時間ほどでベッドの上に戻り、


(あ、もういっぺん風呂に入ろうか)


 と、血の匂いに敏感になっているのか、自分の体に絡みつくような異臭を心配した。


 湯に浸かり、部屋に戻ろうとすると店主と鉢合わせた。彼は寝付けなかったようで、まったくの偶然である。


「大将も寝付けなかったのですか」

「ああ。あんたもか」

「物騒な夜が続いているからでしょうね。ジェネットさんは解決すると張り切っていますが、俺としては危ないから控えた方がいいと思いますが」


 白々しさで彼に勝てるものはいないだろう。それでは失礼しますとすれ違うと、


「一杯どうだ」


 と店主は言う。明日も街を見物するでしょうから、落ち着いたらまた。と断った。


(酒の勢いでへんに口が回ってもつまらん)


 ベッドに転がり、まだ火照る体を落ち着かせた。酒の席でのしくじりは無数にあったが、それをここでするつもりはなかった。今夜に起きた出来事を、ひとかけらでさえ漏らすつもりはなかった。得た情報だけを留めておき、あとは忘れてしまってもよかった。

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