第八十九話 結露のごとく

「さっきからうるせえな。酔っ払いか」


 大声でドアを開けたその男も酔っている。後ろから覗き込んだのも、席でグラスを傾けているのも、みな酔っていた。

 視線の先に、寝転がっている東城がいた。


「なんだあいつ」

「知らねえよ。夜中にうるせえったらねえ。おい起きろ」


 腹を軽く蹴られるも、寝たふりをした。


「見ねえ顔だな。流れもんじゃねえか」

「祈りに来た……わけじゃなさそだな」

「当たり前だ。こんな時間だ、チェイン様だってお休みになられているさ」


 見てしまったからには放っておくこともできず、とりあえず室内に運んだ。三人がかりで運び込み、やっと帯剣に気づいた。


「……んなところで寝てんのが悪いよな」


 顔を見合わせ、うなずく。俺は今から身ぐるみを剥がされるのかと、東城は目を瞑ったまま考えているが、身動きもしない。


 かちゃん。と音がして腰が軽くなった。そこでわざとらしくあくびをした。


「寝てろ」


 と顔を殴られ、その腕を掴んだ。目を閉じたままその腕を強引にへしおり、目を開ける。


 ドアが開いていた。誰かに見られてはまずいし、悲鳴も夜の静けさに轟いてしまうだろう。


(まずい)


 と反射的に二人の首に手を伸ばし、握力だけで窒息させた。腕のひしゃげた男の喉に靴底をあて、声を禁じた。


「声を出せば殺す。少し待っていろ」


 殺気が臭うようである。鼻をおおいたくなるような心地は、肺にも喉にも舌にまで繋がって、腕を折られたのにもかかわらず、男は石のようにかたくなった。


 ドアを閉め、剣を腰に帯びる。そうしてから「なぜフォルトナ信者を狙う」ときいた。


 恐怖からか、返事はない。彼の中で震える瞳だけが唯一の動体だった。


「言え」


 と短い言葉ながらも、底知れない寒気が込められている。返答によっては即座に殺されるだろうが、黙っていればより無残なことになる。錯覚を真実としないためにも、彼ははっきりと、しかし小さな声でこたえた。


「知らねえ」


 とそれが真実であろうがなかろうが関係なかった。言葉を紡ぐ最中に彼の奥歯が砕けた。東城の振り下ろした拳が頬にぶち当たり、出血を強いた。床にそれが垂れ、広がっていくのを二人はただ見ていた。


 もう言えとも言わない。男の震える体を、へし折れた腕を、東城はぼんやりと眺めている。


 そのうち男は声を殺して涙を流し始め、血のあぶくに混ざり、見苦しくも拭えずにいる。わずかに風が吹いたと思ったのは、彼の荒い呼吸であり、そして喋り出した。


「俺じゃない」


 東城はテーブルの上にあった前掛けを男の口に詰めた。気絶している別の男の膝の裏に剣を突き立てる。


「奴らはまだ生きているが、次はどいつの腕か、足か、首か。貴様次第だ」


 詰めた布を外しても助けを呼ぼうとはしない。痛みを感じていないかのように、現実からの逃避か笑顔すら浮かべていた。


「はは……俺はやってない。そいつらもだ」


 そうかと呟き、さっと気絶した男の方に近づいた。


「本当だ! 何も知らない!」

「今までにもこんなことがあった。この世界でもだ。そのたびに——」


 はあ、とため息をついた。先端から血の滴る剣を軽く振って、


「まあ見ておけ。に刺さるとこうなるのだ」


 剣先がふくらはぎを通って床に落ちた。びくりと体が痙攣けいれんし、ゆっくりと引き抜いた。血溜まりの縁が広がり、その速度は一定のはずなのに、この目を開けている二人にとっては差がある。


 どんどんと凄まじい速さで迫ってくるように、折れた腕と痛む足が感じさせる。


 一方で、やりすぎたとも思わない東城は、結露の水がテーブルを濡らしていく程度の、どこかなげやりにそれを目で追う。

 こなれた詰問である、ちっとも動揺はない。それどころか宿では二人して寝こけているのだろうとか、晩飯でのやり取りだとかを思い出し、少し吹き出した。

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