第八十五話 憂うつ
東城の辟易は、宿で部屋をもらってから翌日までずっと続いている。
会話といえばフォルトナがついてまわり、飯時でもそうである。宿はその職員の人相からは想像できないほどに上等で風呂があったのだが、
「お背中を流しますよ」
としつこく迫られたことにもうんざりした。ここではやめておきましょう、とバンローディアの助けも借りて逃げ出すようにして入浴をし、つい今朝も朝から祈りに誘われた。
「……参りますとも」
「お前、一晩でやつれたな」
「何を言っても愚痴になります」
「愚痴? 東城さんのお部屋は私たちのところと違っていたんですか?」
とってもきれいでしたし、広くて快適でしたけど。とバンローディアに同意を求める。
「そうだね。いい部屋だったよ。まあこいつは……ほら、大きな声じゃ言えないけど」
神を好んでいないだろ。と店主に聞こえないよう声を潜めた。
「あ、それでですか。すいません、私も興奮しちゃって。だってどこを見渡してもフォルトナ様がいらっしゃるものですから」
レストランは開店時間なのに客がいない。どうやって経営が成り立っているのか不思議なほどである。
そこの中央の席を陣取って、ジェネットは「お祈り、したくありませんか」と顔を覗き込むようにしてきいた。
「とんでもありません」
「本当ですか?」
(本当なはずがないだろう)
拒否反応からか、微笑みが引きつっている。その頬をつねられた。
「嘘はよくないですよ。この街にいる間だけお祈りを免除します。私が祈っている時は、近くにいてくれるだけでいいので。それでしたら護衛もできますし」
東城の生い立ちを知っていればもっと早くてもいい対応である。そもそもがなんて事のない当たり前の提案なのだが、東城は思わずつねられている手を取って、
「では、そのように」
と恭しく引き剥がした。感謝がにじむその顔に、ジェネットも満足気である。
(ありがたがる事じゃねえだろ)
「さあ行きましょう!」
「あんたら飯はどうすんだ。金も貰えねえくらいの軽食でいいなら」
「いただきます!」
店主はこの娘の食欲を知らない。嘘だろと呟き、四人前があっという間になくなるのを凝視していた。
「おはようございますエマさん。昨日はありがとうございました」
(またお澄まししてんな)
「ジェネットさん、いらしてくれたんですね」
「はい。お説教はできませんけど、お祈りはしたくて」
教会前の通りを掃除しているエマは、手を止めて暖かく迎えてくれた。
「東城さんとバンローディアさんもようこそ。ご自宅だと思っておくつろぎください」
(化け物の住処で寛ぐなど)
教会とは神のいる場所だから、つまりはあのフォルトナの住居だろう、そんな場所で寛ぐなどとは間違ってもできない。
思いも猛々しいのだが、そこは礼節を守った。
「ありがとうございます。ジェネットさんの付き添いで来まして、端の方でじっとしていますのでご容赦を」
「あら。東城さんはお祈りをされないのですか」
「俺は粗野な男です。祈っても、あちらが迷惑かと」
自分で言っておきながら、どうして奴を立てねばならんのだと憤慨している。昨晩から続くイラつきも相まって、右手が拳をにつくり、気を抜けば剣に伸びそうだった。
「関係ありませんよ。大将だって、顔はちょっと怖いですけど、とても敬虔なお人ですもの」
「大将?」
「はい。宿の店長さんなんですが、そういうあだ名で呼ばれています」
「もしかして」
ジェネットがその店の雰囲気や人相を説明すると、エマはその人ですと明るく頷いた。
「いつも夜中にいらしていましたけど、なんだか物騒になってるらしくて」
嫌なことを聞いた。フォルトナの街、どこにも居所はなく、そこに物騒ときた、ああ嫌だ。
東城はめまいがしてくる心地である。
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