第八十四話 おしとやか
「ジェネットさん。お気持ちに何か変化がありましたか?」
彼女だけが祈りを捧げた。一時間くらいはそうしていて、東城たちは礼拝堂の端にある席で暇を持て余していた。
終わったころには夕暮れで、東城の先導で宿に帰る途中である。
「へ? 別にありませんよ?」
「それにしてはおしとやかだったぜ」
む、と唇を尖らせる。
「いつもそうじゃないですか」
(自分のことをどう思っているのだ)
おしとやかかどうかは置いておいて、彼女の魅力は無邪気と活発さにあるように東城は思う。それが教会ではちょこんと自らを小さくして、つくったような微笑みでいた。
バンローディアは「いつも以上にってことさ」と追及を避けた。
「だって、フォルトナ様の教会ですよ。しっかりしているところをお見せしたいじゃないですか」
教会にはフォルトナを模した石像があった。街のいたるところに大小様々なそれがある。東城は監視されているような気分である。
(見せなくていい。あの女郎は、それをするに値しない)
「でも格好よかったぜ。いわゆる祈祷師って感じだったね。ほら、私なんかは適当ばっかりだしさ」
「バンさんだって祈祷師って感じですよ」
「そうかい? お前が言うなら確実だね」
とことんまで甘やかしている。バンローディアはそうすると決めているようでもある。
「あ、そこを右に折れてください」
「はいはい、曲がれってことね」
宿に止めてある馬に、強面の男が餌をやっている。毛並みもどことなく綺麗になっていた。
「や、助かる」
東城の礼に、男は頭を軽く下げた。
「この子はナートっていうんですよ」
ジェネットはその男の首飾りがフォルトナの聖印だと素早く見抜いた。ナートは神話におけるフォルトナの馬の名前である。
「……俺が昔飼っていたのもナートだった」
小声ではにかんだ。ジェネットは満足そうに「その子をよろしくお願いしますね」と声をかけ、背中にも喜色が満ちている。
「旦那、あのちびっこが、さっき言ってた信者ですか」
「そうだ」
「そっちのお連れさんは」
「違うよ。まあ、神に祈りを捧げるってところは同じさ」
「そうでしたか。うちの大将は敬虔なお人でして、お嬢さんに言われるまでもなくよろしくと伝えられておりますんで」
先ほどよりかは少しだけ深く頭を下げた。信者しかいない宿屋であるようで、中に入ると、すでにジェネットはあちこちにフォルトナの影響を見つけていた。
「ドアの意匠も暖炉にも。わ、階段の手すりにまで」
「おう。きれいなもんだろ」
(宿を間違えたな)
肩を落とす東城にかける言葉もない。バンローディアにぽんと背中を叩かれて慰められた。
「店主、金のことだが」
「ああ。お嬢さん、いくらがいい」
(見知らぬお前まで甘やかすのか)
ジェネットはもちろん、東城たちもそんなことをきかれたことがない。
「あの……二人とも、こっちに」
と袖を引き、小さな体をなおかがめ、東城のかげで金を確かめた。
「えっと、どのくらい払えばいいですかね」
「金のことは俺には……」
「好意だろうしなあ。多分、何日か泊まるとして、そんで高くもなく安くもなくってくらいだろ? 値切っても悪いしなあ」
バンローディアは「これくらいでどう」と店主に提示した。ウエクの相場である。
「ほう、もっと安くでてくるかと思ったが」
「んなことしないよ。うちの妹はここを気に入ったみたいだからね」
店主は眉間にシワを寄せ、ちょっとジェネットを睨むような目つきになった。東城がさりげなく半歩前に出ると、
「ああ、違う違う。何もしねえよ。これもフォルトナ神のお導きだと思ってな。その値段よりまけてやる」
「わあ! ありがとうございます!」
やはり無邪気で活発だ。跳ねるようにして喜び、振り回した腕が東城の腹に当たった。
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