第七十五話 帰宅

「お父さんただいま!」

「……ジェネットか?」


 夕陽が沈む頃、父親のミドは娘の姿をみても別人を疑った。駆け出してその胸に飛び込もうとしたのだが、直前で足が止まる。


「私、だよね?」


 ジェネットが振り返った。そこには東城とバンローディアがいる。ミドにすれば初対面の祈祷師の装束を着崩した女だが、一方は信頼する息子同然の男だ。

 ミドは首を傾げながらも、ぽんとジェネットの肩に手をおいた。


「幻じゃないな」

「そうだよ。幻なはずないじゃない」


 置かれた手に、自分の手を重ねた。


「……何度かお前の夢を見てね、その度に急いで外に出たりしたもんだから、わからなくなっちゃったよ」


 そして持ち上げるようにして抱擁し、クルクルと回った。


「わっ、危な、恥ずかしいってば!」

「これが夢だったら俺は泣くよ!」


 感動の父子対面だが、バンローディアは冷静である。


「あれが父ちゃん? 随分なガタイだ、力強さは遺伝かね」

「そのうちジェネットさんもあのくらい大きくなるかもしれませんね」

「……それ、ジェネットには言わない方がいいかもな」


 ミドは回転中に娘を空へとぶん投げた。


「おかえり東城!」

「きゃ!」


 可愛らしい悲鳴だが、着地は見事である。次の獲物はお前だとでもいうように、東城を抱きしめた。


(こんな力で抱かれて、なぜジェネットさんは平気なのだ)

「お前も無事でよかった! 心配したぞ!」

「お父さーん、それはまず私に言うことじゃない?」


 ほとんど鯖折りに近いそれを、東城は歯を食いしばって耐えた。


「う、ぐ……ただいま戻りまし——た。みんな無事です」


 そのか細い声にバンローディアは笑った。かつて聞いたことのない弱々しさである。


「きみはジェネットの友達かい?」


 鯖折りのままバンローディアに首を向けた。


「そうっすよ。次女のバンローディアっす」

「次女? まあなんでもいいさ、バンローディア、娘をありがとう」


 見境なしの抱擁である。


「ぐあああ! な、ありがとうの態度じゃねえ! 痛って、ばか、ちょっと待って! お前らコレくらっても無事なのおかしいって!」

「そんなに強くないですよ?」

「俺は、普通です」

「死ぬじゃん! 友達の家に来てぐわあああ! 痛ええええ!」


 両腕を巻き込んでのである。その痛みに彼女は耐えきれず、意識を手放した。


「ミドさん、それくらいで」

「ん? ああ、すまんすまん。本当に嬉しくて、つい」

「もう、お父さんったら」

「アッハッハ!」


 気絶したバンローディアを担いだのはジェネットである。「次女っていうのはね」と二人で何事もなく歩き出したので、東城はちょっと怖くなった。


(怪力だ。山賊なんて目じゃないぞ)

「東城! お前も早く来てくれよ!」

「あ、はい」

「バンさん、お姉ちゃんみたいでしょ? だから次女になって面倒を見てくれるの」

「そういうことか。いいお姉さんを持ったなあ」

(父親のあなたがそれでいいのか)


 無事に家までたどり着いたとは言い難いが、ともかく東城たちは生家の敷居を跨いだ。


(帰るべき場所が俺にあるとすれば、それが許されるのなら)


 そういう想いが込み上げてきてならない。小鳥が初めて見たものを親と認識するように、彼はこの屋敷をこの上なく愛している。


「待ってろ、飯の用意をするからな。酒もあるし、とにかくすぐ戻るから」


 そんなミドの優しさに涙が出た。泣くなとおもえば思うほど目が濡れる。そんな情けなさも混じってか静かに泣いた。


「な、なんで泣いているんですか」


 バンローディアを寝室に運んだジェネットは、リビングで男泣きする東城にそれ以外の言葉をかけられない。


「俺が言うことじゃありませんが、ここは家です。あなたのご実家だ。ですが」


 帰るべき場所があるとするならば。それが許されるなら。東城は天井を見上げ、無駄だとわかっていながらも涙を隠した。


「ですが、なんですか」


 俺はここに帰ってきたい。それは思い上がりだと言葉をしまい込む。


「なんでもありません」


 みっともないところをお見せしてすいません。と頭を下げた。


「……別に、居候だからって気を使わないでください。ここは東城さんのお家でもありますし、それはおかしなことじゃありませんから」


 勘か、それとも見透かしたのか。ジェネットはそっと椅子を引き隣に腰を下ろした。


「お帰りなさいとただいまを何度も繰り返したじゃないですか。東城さんがここに現れてから、ずっとそうだったのに——勝手ですよそれは」


 思い込みに抗議するように、東城の太ももを軽く叩いた。本人は撫でるようなつもりだったが、骨に響いた。

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