第六十二話 落ち着きましたね。
クイサがその父親と旦那と互いに姿を見合った途端、屋敷から一切の音が消えた。自然が放つものも往来からの喧騒も届かないようだった。
無言のままよろよろと抱き合い、再会を喜ぶにしては地味な光景だが、その景色を東城は過去に何度も見てきた。
感情が自分の容量から溢れ、それを現すことができない。
「よかったですねえ」
ジェネットも涙ぐんで、東城の袖を引いた。
「東城さんのおかげですよ」
屈託のない笑みである。上目遣いに涙を溜め、それが落ちた。
「何があったとか、こっちの心配もする余裕もないくらいだ、私らは……どうだい、抜け出さないか」
「それがいいでしょう」
三人は音のない空間から足音を殺して外に出た。旅続きの体だが、疲労はなく、清々しいばかりである。
(人のための行動とはいいものだ)
国や郷里のためばかりの殺しが多かった東城だから、尚更に胸が熱くなっている。それを表現するのは恥ずかしいが、分かち合いたい。しかしそれをうまく言葉にできない。
「まあ、落ち着きましたね」
と、なんでもないことのように言った。大手柄でもあるし、どれほど称賛されてもいいことをしたが、それをされるのはむず痒い。このままハーベイの元に帰りあとは手紙でいいだろうと考えていると、クイサが走って玄関を抜けてきた。
「ちょっと! そのまま帰ろうだなんて不義理があるもんか! 早くこっちにおいでよ!」
叱責するその目は赤く、声も震えている。ジェネットを抱え、早く、とまた東城たちを呼んだ。
「……連れて行かれちゃったな」
「賊ならばどうにでもなりますが、これは向かわねばなりませんね」
歓喜と涙は、むしろ場の空気を凍えさせている。クイサですら東城たちを迎えても歓迎しなければという心構えができていない。それでもこのまま帰してはならないという思いだけはあるようで、カイと主人の間に座り、自分の膝にジェネットを乗せている。
「あのー、じゃあこっちから言うけどさ、ちょっと腹へったんだよね」
ギラリと主人の眼光が使用人を射抜くその前に、すでに駆け出している。
「ついでに風呂があれば」
言葉尻にかぶせるように別の使用人がこちらへと絶叫した。
「……おいでジェネット」
「あ、はい。クイサさんも行きましょうよ」
「ん、ああ、そうだね」
どうにもみんなの感情がおかしくなっている。比較的平静でいる東城はちょっと困った顔をして、残った男どもと対峙した。
「狂喜、とは違うようですが、察することはできます」
それでも無言のままであるが、カイが初めて口を開いた。
「あんたらには——世話になった。世話になったんだが、そんなのはありきたりだ。なんと言っていいかわからないが」
また泣いた。男泣きである。
「初めてあなたに会った時、ろくでもない男だと思いました。ですが」
主人に微笑みかけた。狂喜してくれていた方がマシなほど、喜びによって精神がおかしくなっている。
「あなたの娘さんはよくできた人です。慧眼をお持ちだ。家族の無事をこれだけ喜べるのですから、あなたも鼻が高いでしょう」
東城、と声をつぶして呼んだ。そして今度は大なきに泣いた。ありがとうを繰り返し、落ち着くまでに時間がかかった。
風呂から戻ってきたクイサも平常心ではないが、それなりにいつも通りの彼女であるらしく、
「歓迎するよ。断ったって無駄だよ、そんなことは許さない。ああ、ちびっ子と次女と護衛に祝福あれ!」
「次女って……まあいいけど」
「ちびっ子っていうほど小さくないですよ」
「まあ、感じ方は人それぞれありますから」
賊を片付けたのは東城であるから、祈祷師たちは自分たちの功績という感覚が全くなかった。その東城も、別に大したことはしていないつもりである。過去に比較できるだけのことが何度もあったし、それを上回ることもあった。
そのため、三人とも歓迎されていいものかどうか悩んだが、
「あ、結婚のお祝いをしましょうよ。その方が大事です」
とジェネットが提案した。賛同したのは彼女の身内だけだが、大々的にやろうという流れになって、カイの両親も呼ぶことになった。大々的にやるため、準備がいるという。
「ハーベイにはもう一度手紙を出す。国境も戦争も知らん。知り合いを全員呼ぶ。家族もだ。だから頼む、俺と彼女を祝ってくれ。それ以上に俺はあんたらに感謝する。恩人たちよ、酒を飲め。あ、お嬢さんは飯を食ってくれ」
「私もそろそろ飲めるんじゃないかと思うんですけど」
「よし。ああ、こんなにも心が躍るのは久しぶりだ! 準備は嫌いだが、仕切るのは好きなんだよ。待ってろ、必ず待っていてくれ」
街の顔役としての威勢の良さが戻ってきたようである。もはや別人となったカイの勇ましさは、アレクラムの主人でさえも口を挟めなかった。
「大した男かもしれん」
「当たり前だよ。そうだ、黙って結婚してごめんね」
「……別れる時は言ってくれ」
笑いながらもぶん殴られたが、それも東城たちには親娘のあるべきかたちのようにも見えた。血風とは無縁の暖かなそよ風とともに、アレクラムは非常な慌ただしさを満喫している。
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