第六十話 気丈な新婦

「多分あれだな」


 バンローディアは自分の靴底に血がついていないか気にしながら、それに目を向けた。


「頭領が住むにしては小さいけど、山賊の親玉なら上等だぁね」

「ここからベグが出入りしているのを見ましたので間違い無いかと」


 気配を探ると、まだ誰かいるらしい。剣に手を伸ばしたその時、あちら側からドアが開いた。


「ひっ!」


 高級そうだが泥汚れの目立つ服は、裾が破れている。それを着こなす若い女が後退りをして悲鳴をあげた。多少やつれてはいるが、手に持つ古ぼけた小さなナイフを見る限り、人がいないこの機に乗じたい思いがあるようで、捨て鉢では無いらしい。


「み、見ない顔だけどあんたら何者? ここの客?」

「クイサさんですか? 俺は東城と申します」

「トージョーでもなんでもいいけど、ちょっと用があるんだよ」


 逃げ延びるという意思に、東城たちは安堵した。外見に傷や怪我はなく、ひとまずは安堵した。


「用ってのは、アレクラムに帰ること? それとも旦那さんのところ?」


 バンローディアがからかうと、その肩を掴んで揺さぶった。


「あの人のことを知っているの? どこ、どこにいるのよ! もし手を出したらうちが黙ってないからね!」

(意外と気丈な人だ)


 ジェネットは大丈夫ですと優しくその手を包んだ。


「カイさんもクイサさんのお父様も心配してました。もう安心です」

「俺たちはあなたの行方を追ってここまで来ました。もうベグはいない。ジェネットさんのいう通り、安心です」

「他の連中もね。なんでいなくなったのかは聞かない方がいいけど」


 クイサは膝から崩れ落ち、よかったと涙をこぼした。


「みんな無事なんだね。本当だろうね」

「何よりご自愛を。麓の村までは徒歩になります。そこからは馬車を使いますので、お疲れとは思いますが、もう少しだけ辛抱してください」

「わかっているさ。ああ不覚をとった。アレクラムの娘がこんなことで泣いてちゃダメだね」


 颯爽と立ち上がり、東城たちを先導するように砦の裏口から出て行った。


「あ、待ってください! 私たちと一緒の方がいいですよ!」


 走って追いかけるジェネットを律儀に待つ気はないようでどんどんと先に進んでしまう。


「だったら早くしておくれ。こんなところにいつまでもいたくないんだ。なんだか血生臭いし」

「それは」

「バンさん。言わない方が彼女のためですよ」

「お前がやったくせに」

「まあ、それはおっしゃる通りです」


 今回はお目汚しをしまして、失礼しました。歩きながらそう言った。


「うん。謝るべきとは言わないけど、なかなか派手にやったね」

「ですがこれで追手はありません」


 余裕を持って歩けている。先行するジェネットたちも見守れている。まだ警戒は解いていないものの、意味のある皆殺しだった。


「教育に悪いんじゃないの?」

「俺はそれをする立場にいません。が、それも仰る通りです」

「なんにせよクイサさんが見つかってよかった。あの感じだとそんなにひどい目にはあってなさそうだし」

「……喜ばしいことです」


 見た目はそうでも、内側にどんな異変があるかはわからない。心の問題はカイたちに任せるつもりだから、バンローディアの安堵に水をさす事もないだろうと余計なことは言わなかった。


「わぁってるよ。怖い夢見たり、さらわれたことを思い出したりしたら昼間だって震える事もあるだろうさ。そこら辺は旦那と親父さんに面倒見てもらうしかねえよ。私たちにできることはこれで終わり。なんなら、お前じゃなきゃできないことだった。教育には悪いが、善行とも言える。もちろん悪行とも」


 東城のごちゃごちゃした思考が、他人の口から出た。それがよほど不思議だったのか、


「立派ですね」


 と、覚えたての言葉のように何度か呟いた。


「ジェネットなら、こうは言わないよ。だから言ってんだ。あいつはさすが東城さんで終わっちゃうからなあ」

「最大級の賛辞ともとれますよ」

「お前がそう思うんならそれでいいけどさ」


 バンさん、と大きく呼び掛けられた。


「東城さんも! 護衛なんですから急いで——あ、待ってクイサさん! はやいですって!」

「ほらほらお嬢ちゃん、追いてっちゃうぞ」

「からかわれてら。しゃあねえ、私も混ざりに行こうかな」


 東城は歩幅を大きくするだけで急ぎもしない。クイサからバンローディアまでを視界にいれ、もう一度呼びかけられるまでその絵を眺めていた。

 

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