第四十七話 行方不明

「私はカイと申します。グラシアから参りました」


 日が暮れかけようとしている。昨晩はバンローディアが痛飲し、カイも散々に酔った。昼過ぎまで頭痛が消えるのを待ってからきたので、この時点で計画通りではなくなっていた。


 アレクラム邸を守る衛兵が、顔をしかめて奥に引っ込んだ。彼らのような門番が屋敷を守っているのは普通ではない。屋敷も広く、カイの実家が四つは軽く収まるだろう。


(警戒されるのは当たり前です。ここはあなたの顔で、中では俺がうまくやります)

(頼むよ。いや本当に)


 結局は東城が出まかせで情報を引き出し、その上でどう対処するかをカイが決めることになった。娘二人を連れてきたのも、彼女たちがいれば相手も軽々しく剣を抜いたりはしないだろうと言う魂胆である。


 衛兵が戻ってきた。どうぞと門を通した。メイドの一礼とともに案内され、長い廊下の先でノックをした。


「入れ」


 野太い声は当主のものだ。頭髪の薄い六十くらいの恰幅のいい男が、ソファに深く腰掛けている。


「ど、どうも。初めまして」

「戦争中にグラシアから来るとはなかなか肝がすわっているな。楽にしてくれ」


 カイは名乗り、東城を家中のものと紹介した。


「要件はなんだ」


 カイからの目配せに、東城が頭をさげた。


「いいお屋敷ですね」

「は? 世辞はいらんぞ」

「故郷では土いじりばかりでしたが、都ではそれなりに格式のあるところにも出入りしてまして。多少は目が肥えているつもりです。過去が色あせるような値のはる品々ばかりがあるものですから」


 ニコニコしながらこれを言った。警戒心がまるでなく、心底からの言葉に聞こえたために、主人も少し身を乗り出した。


「東城、か。出身はどこだ」

「東の島国です。小さなところですが」

「商売をやってどれくらいだ」

「見習いの域を出ません。ところで、ご家族の方にも挨拶をしたいのですが、どちらにいらっしゃるのでしょうか」


 嘘ではないが、真実でもない。ずるい人間だと自覚してもなおやめるつもりはなかった。


「妻は別の部屋にいるよ」

「娘さんは」

「……俺とじゃ会話はつまらねえってのか」


 威厳がある。その迫力に負けじとカイも姿勢を正すが、彼以外は少しも顔色を変えない。


「滅相もありません。ですが、もし娘さんがいないとなればおかしい」


 主人の後ろには何人かの護衛が控えていたのだが、密かに一歩前に出ている。号令があればすぐにでもというような雰囲気が、東城をわずかに苛立たせた。


「とても美しい方だと聞き及んでおります」


 主人にではなく、カイに対して言ったつもりだが、それがわかったものはいなかった。


「それがどうした」

「……最近、彼女の美を称える噂を聞かなくなったなと」


 主人はしばらく黙っていたが、急に笑い出した。静かに、だんだんと大声をあげ、そのまま護衛に指示を出した。奴らを拘束せよという。


「俺を強請るたあ強欲なやつだ。しかしそうはいかん、何がなんでも聞かせてもらうぞ、クイサの居場所をなあ!」

「え? え? じゃあ、奪ったのはあんたらじゃないのか?」


 カイがポケットから木箱を取り出そうとするもはがいじめにされて落としてしまった。


「そ、それは大切なものなんだ! 彼女の——頼むから踏んだりするなよ!」

「地下牢にぶち込んでおけ!」


 きゃあという悲鳴が東城の耳を痛めつけた。見れば護衛がジェネットの手を掴んでいる。東城の頭に血が上り、手が出るその寸前、


「てめえ! ウチの子に触るんじゃねえ!」


 バンローディアがその護衛を蹴り飛ばし、尚且つ自分に近寄ってきた兵に拳をくらわせた。部屋は時が止まったような静寂に支配されたが、それもほんのわずかな時間で、


「衛兵! 賊だ、捕らえろ」

「まずいですね。逃げましょう。よっと」


 カイから兵を引き剥がし、ジェネットを小脇に抱えた。「バンさん、そこを出たら左に。垣根を越えて逃げましょう」


「糞ったれ! やっちまったのはあんたらが手ェ出したからだからな! 私は悪くない!」

「カイさん、背負いましょうか?」

「いや走れるけど! バンローディアが先に手を出したじゃないか! なんでこうなる、ペンダントも落としたんだ、手がかりがなくなった!」


 バンローディアが自分の身長ほどもある高さの壁を一足で登った。そこに東城がジェネットを放り投げ、カイに背をかして先にいかせた。


「東城さん!」

「今行きます」


 追ってくる衛兵と正面から向き合い、腹に蹴りを入れた。前屈みになったその肩を踏み台にして、壁を超えた。


「お前、人間離れしてんな」

「三角飛びというやつですよ」


 こうして闇の中での逃走劇が始まった。どうすれば終わるのか、それは誰にもわかっていない。

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