第四十一話 図太い
帝国は陣を捨てて逃げ帰った。しかし危機が去ったわけではない。ハーベイはさらに人を呼び、ここを小さいながらも砦にしたいらしい。ここからならば帝国の領土が大きく見渡せるし、攻めるにも守るにも動きやすいためだ。
「あなた方はどうされますか。私としては残って欲しいのですが」
「もちろん残ります」
ジェネットがこたえた。異論はなかったが、常に戦闘の可能性があり、さらにはウエクでの平穏を一時とはいえ捨てることになる。
東城としては戻りたかった。居続けるにしても増援の騎士が来るまでにしたい。
「休息も必要ですよ。一度戻って英気を養うのも大切です」
「ここでも養えます」
「慣れた場所の方が期間も短いかと」
「ここからウエクまでの往復を考えたら、ここで休息した方が早いですよ」
(言い負かされてんじゃん)
バンローディアは留まるも戻るもジェネット次第と決めている。助け舟は出さなかった。
「東城さんは私が危ないからって帰ることを勧めてくれているんですよね。でも、守ってくれるって約束したじゃないですか。だから私もここに残ると決断できたんです。それともあれは嘘だったんですか?」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
たじろぎながらも諦めずに説得したが、そのままおしきられた。
「東城さんが快く賛成してくれて嬉しいです」
ジェネットはわからず屋を相手にイラついて青すじを浮かべながらも、東城の手をとって、そのままバンローディアに笑顔で振り返った。
「バンさんも、一緒にいてくれますよね」
「ん? そりゃね、お姉さんだから」
「さすがです。ということでハーベイさん、まだご厄介になりますがよろしく願いします」
「はい。快適とはいきませんが、心安らげるよう努力しますから」
その言葉に嘘はなかった。数日もすると馬車が何台も来て物資を運んできた。戦勝がもう伝えられていて、勝馬に乗ろうとする傭兵やそれを見越しての行商の往来が絶えない。
まだ背の低い柵と天幕、狩人が放置した小屋くらいしかないこの場所だが、ハーベイの望むとおりの砦ができるまでそう時間はかからないかもしれない。
ある程度の余裕ができると、またハーベイに呼び出された。彼自ら建築や人の対応をしているから、その合間をぬってのことだった。
「私の友人から手紙が来まして。結婚したから祝ってくれというのです」
「隊長に友達なんかいたんだ」
「黙れ。……現状の忙しさを考えるに顔は出せません。悪友ですが、気のいい奴でして、俺としても何かしてやりたいのですが」
(だんだん情に訴えかけることを隠さなくなってきたな)
東城も慣れたもので、口を挟んだりはしない。俺たちの気を晴らそうとしているのだと思えばありがたいことでもある。
「ハーベイ様、何か贈り物とかはありますか?」
「ええ。とはいえ少しの金と穀物くらいですが」
ジェネットが「私が送ります」という前に、東城がそれを言った。
「へ? と、東城さん? いつもは反対するのに、なんで」
「いやいや、反対するのは理由があるからですよ。そのご友人はどちらに」
「馬で行けば一日くらいの、ここから北にある町です」
「承りました。バンさんもご一緒しませんか」
「行くけど、東城が率先するなんて珍しいな」
「自領内であれば危険も少ないでしょうし、これだけ人馬が行き交うのであればその方向に向かう一団もあるでしょう。同行させてもらえば安全も増しますし、祝事であれば放っておくのもわるいじゃないですか」
「ありがとうございます。準備はこちらでしておくので、出発はいつになされますか」
「いつでも行けます! 今からでも!」
「あ、あはは……心強いのですが、忘れ物のないようお気をつけください」
東城の申し出が嬉しかったのか、ジェネットはその日の祈りの時間を長めにとった。彼にとっては苦痛でしかなかった。
「気晴らしですよ」
その夜にバンローディアから理由をきかれるとそうこたえた。
「ふーん。それだけ?」
「ジェネットさんとあなたと、それに私の気晴らしです」
「東城の? そんなにまいっているようには見えないけど」
「自分で思っている以上に、俺はあなたたちとの平穏を好んでいた。こういう機会は大事にしたいと思ったのです。不安はありますが、ハーベイさんにはお世話になってますし」
留守の間の襲撃はこわいが、護衛対象が無事ならばと割り切っている。
「なるほどね」
「バンさんにも休息が必要ですよ。あれだけの患者がいたのですから」
「平気だよ。その日のうちから腹いっぱい飯が食えたし」
(そういえばジェネットさんもそうだったな)
気晴らしが必要だったのは俺だけだったかもしれん。わかってはいたが、改めて祈祷師の肝の太さに感心した。
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