第二十話 見物
「悪いって、何がです?」
ジェネットはいつもの癖で唇を尖らせた。
「俺が我を忘れて、おそろしい現場をつくったことですよ」
人を切った惨劇をお見せしたといえば、ジェネットの心持ちを不快にし食事を妨げないかとも心配したが、彼女はスープをすすったり野菜の煮物を取ったりと、まったく気にしなかった。
「そりゃあ怖かったですけど」
ジェネットがおそれと僅かな怒りを感じたのは、そのことではなかった。
勝手な人、と彼女が常々思っていることを、まさにそのまま東城がやった。
彼の護衛おかげで怪我もしなかった。相手に情けもかけたし、辱めたりおとしめたりするようなこともしなかった。
そういう姿勢をジェネットは美徳として感じ取ったし、バンローディアも感謝した。
しかし、その男は謝罪すべきこととしてこの話を持ち出した。血で汚れた自らの手を恥じ、ただ少女を怖がらせてしまったというその後悔のような傲慢さにジェネットは悲憤したのだ。
「でも、謝るようなことじゃないですよ。護衛として立派でした」
「そうでしょうか」
「卑屈にならないでください。東城さんがいなかったら一体どうなっていたか想像もしたくありませんよ」
東城は眉を下げ、そうでしょうか、と小さくいった。どうも彼の関心は、そこではないらしい。
「俺がいたから、あのような」
おっかない目にあったのですよ。と、飯の味もわからないまま食い終えて、静かに席を立った。
「どこへ」
「これをお返しに」
サーベルのなかほどをポンと叩いた。それを疑うジェネットでもないが、どことなく心配そうに見送った。
「私も」
「それには及びませんよ」
普段の東城なら、ジェネットがくっついてくることを断らない。危険に近づくのではないこんな月がまだ昇ったばかりの時分ならあり得ないことである。
(なにかするつもりだ)
ジェネットは食器を片付け、東城の部屋をベッドメイクをした。
借りている部屋だし、滞在期間だって一ヶ月もないので、ものがほとんどないだけに、小さなローテーブルと枕元に拳くらいの大きさをした石があるのが目立った。
「石? なんでこんなものを」
家中の整理をし終えても、まだ東城は帰らない。多少の心配と暇つぶしがてら石をだしにして様子を見にいくことにした。ハーベイを訪ねると、
「事情はバンローディアからききました。災難でしたね」
どうでしょう、あいつの説明ではもやがかかったようで要領を得ませんので、明日にまた御説明を、とジェネットに頼んだ。
「それは構いませんけど、東城さんはどこに? 剣を返すといっていました」
「あ、ああ。それが」
どうやら隠し事があるようで、それが顔に出やすいのか、篝火の揺らめきでもその視線がどちらにあるかはっきりとわかった。
「あっち? 練兵場じゃないですか。騎士様でも夜は訓練をしないってバンさんが」
「いえ、その、なんといいますか」
要領を得ないのはあなたじゃないか。ジェネットはハーベイの静止を振り切って練兵場まで出向いた。
「あら、なんだジェネット。来ちゃったのか」
「バンさん。どうしてここに。それ、お酒ですか」
「そうだよ。まあ見物していきな」
東城見物だといって、杯を煽った。度数の低い水のような酒である。
「来ちゃったって、私が来るとまずいんですか?」
ハーベイにも向けて言った。「私ひとりを部屋に置いて、みんなで何かしようって、そういうわけにはいきませんからね」
「そうじゃないさ。あいつが言ったんだよ」
杯を掲げるようにして東城を指した。
半裸になって練兵場の真ん中で剣を振っている。サーベルではなく、騎士の正式装備である刀身が一メートル半もある大剣が、月を両断するかのように唸っていた。
ただの面打ちの練習であり、これは騎士もするようなありふれたものである。だがなぜ今これを東城が、というところにハーベイたちの疑問があった。
「ここに俺がいることはご内密に、だってさ。ジェネットに見せられないようなことでもするんじゃないかって、こうして見物きめこんだのに、さっきからあればっかりだよ」
東城はこちらに背を向け、一心不乱である。
たまに小さなしぶきが、背や肩からきらきらと飛んだ。
「ジェネット、飲むかい?」
「おいバンローディア」
「隊長、あんたも座りなって。一杯やろうよ」
「俺はジェネットさんに今日のことをだな」
「ま、ま、いいから。そんなのここでやればいいんだからさ」
バンローディアに杯を渡され、仕方なしに腰を下ろした。ジェネットが昼間のことをかいつまんで報告すると、素振りをする東城に感嘆した。
「彼が五人を切ったのか。そんなことができるとは思わなかったが」
「だろ? 見かけによらないね、若そうだし」
「東城さん、たしか三十歳くらいですよ」
「え? まじで? 私と同じくらいかと思ってた」
俺の三つ下か。とハーベイは自分の顎髭を撫でた。老けて見えるのを密かに気にしている。
「しかし兵を切ったのはまずいかもしれん。こちらへ攻め込むための口実になる」
「祈祷師はどのくらい集まってんですか」
「お前とジェネットさんだけだ。報告ではあと一週間もすればもうひとり来るらしいが」
その一週間というのもはっきりしたことではなく、おおよその予測である。もし戦争になれば、という初めから想定されていた事態が現実として迫るようで、誰の胸にも緊張がある。
「まあ今夜ってわけじゃない。見物は飽きたし、報告も終わった。うちらは帰るよ、じゃあね隊長」
「本当にお前は自由というかなんというか」
「おやすみなさい、ハーベイさん」
帰る途中、バンローディアがジェネットに耳打ちをする。「仲直りしたのかよ」
「け、喧嘩もしてないのに、仲直りだなんて」
「気まずかったじゃんか。あいつもそういう空気に耐えられなくなってあんな稽古をし始めたんじゃないの?」
自分を見つめ直すきっかけではあったが、東城は不仲になったとも気まずいとも思っていない。
ただ六人を相手にしても、無力な二人を背負い堂々とおし通れるだけの力を欲した。それがほとんど不可能なほどに困難であることはわかっていたが、それではジェネットを不安にさせてしまう。そのためまず自分の精神を鍛え上げるために素振りをしていた。
何事にも揺らがない精神は、夢中で剣をふる以外にないと彼は規定している。内臓に伝わる疲労と筋肉の悲鳴を無視して行動するというのは敵を倒すことよりも難しく、そのため「水浴び」と称されるくらいに東城は稽古に熱中する。
「そ、そういうものですかね」
「そうなんだってば。どんなにニコニコしてたって、腹ン中じゃどう思ってるかわからない。いいかい、だから少しは機嫌をとってやるのもこっちの役目、それができる女ってやつさ」
「できる、女……?」
首をかしげ、その言葉を初めて耳にしたように呟いた。
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