第十八話 さえずり


 崖下から伸びてくる手が、そして腕が見えてきた。足をかけ、ひっくり返るように登り切ると、


「ん? なにやってのよ、あんたら」


 それはバンローディアであった。全身がずぶ濡れになっていて、腰の鞄はいっぱいに膨れ上がり、隙間から葉っぱがはみ出ている。


「バンさん!」

「おう、ジェネットじゃん。なんでここに来ちゃったの?」


 ジェネットは泣きべそをかきながら嗚咽混じりに経緯を説明した。ハーベイが探していたこと、商人から得たの断片的な手がかりをもとにしたこと、そしてここは帝国領内であり危険が伴うこと、それらをいちいち手を振ったり足踏みをしたりして説明するために、また雀が鳴いていると東城を微笑ませた。


「そうかそうか。探しにきてくれたんだ。いやあ悪いことしちゃったね、晩飯までには帰るつもりだったけど、あんたらには森に行くと言っておけばよかったね。せっかちは私の悪いところだ、ほら、泣くのはやめなよ。可愛い顔が台無しだ」


 慰める姿は姉そのもので、彼女自身もそのつもりがあるようである。その微笑ましさに東城は説教や諭すことすらもしなかった。


「危険をおかしてまでその葉っぱを取りにきたのですか」

「そうそう、これはね、食べるとげーげー吐いちゃうんだ。薬草と似ているから注意が必要なんだけど、実際に見てみないとわからないだろうから、まあ実物をと思ってね」

「私のせいだぁ! ごめんなさいバンさん、こんな危険なところまで……!」


 胸に顔を埋めてまた泣いた。それをバンローディが慌てて慰めると、やはり彼女もちょっと大袈裟なところがあって、言葉を尽くしてなだめている。


(二羽いるな)


 一方は小鳥で、それに先輩風をふかす姉の雀だ。


(ミドさんが親の雀だ。しかし、あの人はもっとでかい、雉だ)

「東城、黙ってないでなんとかしてくれ、なんだ、なんで笑ってんだ」


 鳥を愛でていたなどとはもちろん黙っている。ジェネットを引き剥がし、家に帰りましょうとそれだけをいって、先陣を切って帰路につこうとした。


「東城、泣き止ませろって言ってんのさ、まだジェネットが」

「な、泣いてないです! もう平気ですよ、平気ですとも」

「いやまだ涙が残ってるよ」

「さあ帰りましょう! 遅くなるとハーベイ様が心配なさりますから」


 今頃になって泣き顔を恥ずかしく思ったのか気丈に振る舞った。ぴったりと東城の後ろにつき、バンローディを急かした。




「あの人も心配性だなあ。任務任務っていつもいうのさ、堅苦しいばっかりでね、どうも肩がこる」


 バンローディは帰り道の森を抜けないうちから行楽気分なようで、軽口を言ったり足を止めて野草を採ったりした。 

 バンさんが訓練をさぼったりしなければこうはなってませんよ。ジェネットはそれが言えず、苦笑いばかりである。自分のために薬草と毒草を採取してくれたことがこの騒動の原因であり、ジェネットは負い目を感じてあまり強くでられなかった。

 自然、ジェネットのそういうモヤモヤは、東城の背後からぐっとベルトを引くことによって発散される。


 代わりになんとか言ってやってください。


 そういう気持ちがベルトを通して胸に伝わる。何を言ってもまた小雀が騒ぐとおもった。おもうと眉が下がる。


「この辺りは帝国の土地だそうですが、女がひとりでは危ない。今度から俺やジェネットさんにお声かけをした方がいいかと」


 やわらかい口調は野鳥観察をしている時の、小鳥たちを驚かせないためのそれである。


「気ままなバンローディアさんだからねえ、騎士になったのだって自由な暮らしができるかと思ったからでさ、実際は規則だなんだでがんじがらめよ」


 騎士に自由な暮らしができるのだろうか。ジェネットはファイを想像して、少し無理があるようにおもえた。


「騎士って、かっちりした人たちだから、自由ってわけにはいかないんじゃないですか」

「私の故郷の騎士はね、みんな気楽な人たちだったよ。そこら中で昼寝をして酒を飲んで、でも揉め事の仲裁はするし、賊なんかも追い払ってた。大人になってわかったんだけど、そいつらは騎士じゃなくて傭兵だったんだ」


 拾ったような粗末な甲冑と刃こぼれのする剣で町中のみんなと肩を組み、遊び、そして街の危機には命を懸ける。そういう集団だった。バンローディアたちは彼らを敬い、懇意にし、最後には弔いもした。騎士はいなかったが、それ以上の存在であり、彼女も子どもごころに、あれが騎士か、という強い印象を受けた。


「そうとは知らずに騎士になった。でもね、どうも信仰が私を、いやいや逆だ、私の胸にはいつもアンヘルがいたんだ。祈祷師になったのは騎士の暮らしがあんまりにも退屈だからってわけじゃないんだよ」


 アンヘルの声が昔から聞こえていたのさ。バンローディアはそう言った。祈祷師にしかわからないその声を、東城はその姿とともにはっきりと知覚しているが認めてはいない。


(幻覚、幻聴、そうに決まっている)

「アンヘル神が語りかけるのさ。お前は騎士としては三流だが、私の声に頷けるということは祈祷師としては一流だ、励めよ、ただしどちらの道も捨てるなかれ、だとさ」

「すごい。期待されてるんですね」

「あのお方は見定めると一直線なんだ。だから少しでも見所があると、私みたいなやつでもそうなんだ」

「……ねえバンさん、もう黙ってどこかに行くなんてなしですよ。いろいろ教わりたいこともありますから」

「もちろん。こっちだって知識の全てを共有したいんだ。何せ他の騎士たちは三日に一回の礼拝でさえ訓練を優先したがる堅物だからね」


 東城が雀とからかいながらも愛を持つように、ジェネットたちは短い間に親友のような関係を築き上げている。


「……物見ではなく、草を採りに来たと言いましたね」


 東城はその睦まじさに水を差すつもりはなかったが、ピタリと足を止めた。ぼろくなっていて、麻紐でぐるぐる巻きにして補修している軍靴が木の根を噛むように踏んでいる。

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