第十三話 入り混じる過去

 東城はノックをし、ファイの許しがあるとすぐに入った。


「先ほどはお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありませんでした」


 まずはファイに頭を下げた。

 ジェネットはこちらに一瞥もせず、手紙を見つめている。集中しているのではなく、むしろその逆である。東城にどんな顔で何を話せばいいのかわからず、没頭しているふりをしていた。


「ジェネットさん、あなたにも不快な思いをさせましたね。申し訳なかった」


 無視された。周囲の声が届かないほどに集中しているような熱心さだが、どこかそわそわと落ち着きがない。ファイがそっと手紙を覗き込むと、そこには「お父さんへ」と書き出しがあって、あとは白紙である。


「言い方が悪かった。それに態度も相応しくありませんでした。あなたの行動はあなたの意思にのみよるものであり、それを横から意見をされたらおもしろくないに決まっています。ましてや、こんな居候に」


 自虐的になったのではなく、彼にはこうやって自分を卑下する癖がある。幼い頃からへりくだることが当たり前で、他人を評価するときも貶しているのか褒めているのかよくわからないことを言う。


 あいつは自分では足が遅いくせに、誰かをこき使うとなかなかやる。


 これでも東城は「指揮をとることに長けている」と褒めているのだが、他人にはあまり伝わらない。

 自分への自嘲もそれほどに深い意味はなく、客観的な事実を述べたつもりでいるし、そこにはジェネットへの謝罪以外の意味は一切ないつもりでいる。


「もしジェネットさんの考えが変わっていないのならば」


 ファイへと向き直った。眼差しには熱っぽさがある。


「どうか私も一緒に連れて行ってはもらえないでしょうか」


 ファイはぎょっとして目をしばたかせ、すぐに返事ができなかった。ジェネットも手紙どころではなく、おもわず振り返って東城を見た。

 やすめの体制をとり、腹の底から声が出ている。しかし音量はファイとジェネットの耳にいたくないような、不思議な発声方法だった。


「そ、それは……歴戦であろうあなたですから願ってもないことですが、本当によろしいのですか?」


 ファイは東城を戦さ嫌いだとみている。戦さの過去を語るときに、その雰囲気に物悲しさを感じていた。

 さっきまでは断固として反対していたし、何よりも平時は春の中にいるような穏やかな風貌である東城が、


「はい。ぜひご同行を」


 とせがんでいる。よほどの決意があったのだろうと、ファイは了承しようとした。


「なんで東城さんまでついてくるんですか」


 ジェネットは筆をへし折りそうな剣幕である。可愛らしい丸っこい顔で睨みつけ、ふらふらと足を遊ばせている。

 しかし東城はどれだけ邪険にされてもこの少女に対して憎むとか怒るとか、そういう感情を忘れたかのようであり、戦闘に関すること以外であれば非常に寛容だった。


「あなたのお父上からよろしくと頼まれていますので、どうかご勘弁を」


 彼はもしかすると、彼女に気があるのか。ファイはなんとなくそう思った。この男は甘い、あの苛烈な姿はなんだったのだろうかと自問するも、こたえが出るはずもなく、ジェネットのむくれ顔が向けられてはっとした。


「ファイさんは、東城さんがくっついてきてもいいんですか」

「え? あの、そうですね、本来ならあなたさえ居てくれれば問題はないのですが、その護衛ということにされてはどうでしょう。派遣する部隊にもそれを伝えておきますので。いかがですか、東城さん」


 護衛ときいて、彼は過去の世界に囚われた。浮かぶ景色は、京都の色街である。

 長州藩の田口という男が芸者に入れ込み、それを護衛した。どうやら芸妓は新撰組の斎藤という男の親戚だったらしい。

 東城は若いが腕のいい剣士という評判がそれなりにあって、新撰組に友人もおり、その手伝いに駆り出された。


「何年も前になりますが」


 東城は不動のまま、口をひらいた。


「雛菊という芸者を護衛したことがあります」


 冬である。雪がちらついていた。客として入り浸り、田口がくるのを待った。当番制で客を装い警護をした。田口がいれば切ってもいいと言い含められている。


(寒い日だったな)


 東城が当番の日は、雛菊から酌をしてもらい、ろくに口も聞かずに黙って飲んだ。会話はしないくせに、よく吟をした。雛菊は高飛車で誰にでも愛想がいいわけではなく、東城のことも無愛想で感じが悪いと人にはもらしていたが、唄だけはいいともいった。


「ん、護衛、でしたね。それで構いません」


 ジェネットたちの視線に気が付き、慌てて頭を下げた。自分でも知らずのうちに過去を語っていたことに照れた。


「いりませんよ、護衛なんて。騎士様が守ってくれますから」

「そうおっしゃらないでください。騎士にはなれませんが、盾くらいにはなれるつもりです」


 田口が数人の藩士を連れ、東城が客としているにもかかわらず、部屋に押し入ってきた。

 雛菊はその粗忽さを小馬鹿にし、それが癪に触ったのか、抜刀まで一瞬だった。


「盾にはなれます。本当ですよ」


 白刃が雛菊に振り下ろされるその瞬間、東城が間に入った。右の肩口から鳩尾までに深さ二センチほどの切り傷が、ぱっと血を吹いた。

 東城は、ここは遊ぶ場所だ、と雛菊を横抱きにし、二階の窓から飛んだ。新撰組の詰所まで走り、路上に落ちた血痕を自ら辿って田口たちのもとまで戻った。

 彼らも路上に出て追いかけたが、向こうから血だらけの東城が走ってくる。田口はもちろん、通りすがる全員がその凄惨な姿に青ざめていた。


「盾って、別に東城さんがそんなことしなくてもいいんです。誰も頼んでません」

「まあ、人手は大いに越したことはありませんし、いいじゃないですか。我々も歓迎しますよ」


 ファイの助け舟に、ジェネットも渋々ながら、


「じゃあ、そのことも手紙に書きますからね。東城さんが無理やりくっついてくるって」


 スラスラと筆が滑っていく。白紙は見る前に黒く染まり、封をしてファイに預けた。


(そういえば、ジェネットさんと性格が似ているかもしれない)


 雛菊は詰所でも冷静に、自分のあるべき姿を崩さなかった。東城の血が着物を染めていてもすまし顔で縁側に座り、隊士から火を借りてキセルを吸っていた。

 鉄火場に応援に駆けつけた新選組隊士が見たものは、血溜まりに伏せる田口らと、肩で息をする東城だった。右手がだらりとぶら下がっている。

 肩も借りずにヨタヨタと戻り、雛菊の前に立ち、着物を汚して申し訳ないと謝った。

 もっといい着物を買うから、またお越しになって。雛菊はそういって帰った。


(ひねくれたところが似ている)


 その後もまだ付け狙う連中がいるかもしれないと理由をつけ、実費で通った。顔を合わせるのは月に二度あるかないかで、客として特に何をすることもなく、黙って酒を飲み、連吟をして、二時間ほどを過ごした。


 そういう記憶が、彼の護衛任務に自信を与えていた。


「ジェネットさん」

「なんですか。言っておきますけど、もう書き直したりできませんよ」

「そうでなくて、俺の目的はあなたを無事に家に送り届けることにあります。そのためには、お見苦しいところをお見せするかもしれない。それを先に謝っておきます」


 そのために、何をするのか。そうしなければならない場合を想像するだけで指先が疼く。幾度も経験してきた白刃から伝わる赤い温度と、突き立てられた殺気の数々を追想し、その時の自分は酷く無様だろうと思い、先に謝罪した。

 ジェネットにはなんのことかもちろんわからない。ただファイは、その見苦しさというものが何を意味するか経験上理解できた。

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