第十二話 人一倍の理解
「いや、そりゃあたしかに祈祷師として一流かっていわれたら、それは違いますけど、でもファイさんが困っているなら力になりたいですよ」
だって助けてもらったし、とファイの両手を優しく包んだ。
「ま、待ってくださいジェネットさん。あちらで戦闘が起きるかもしれません。危険です」
「私がいうのもなんですが、東城さんのおっしゃる通りです。深慮の後にお聞かせ願えればとも思ったのですが」
あまりの短絡さにファイまでもが引き止める側に回った。が、ジェネットは「いえいえ、平気ですよ」と観光気分の続きでいる。
「助け合いですよ、助け合い。あ、でもお父さんにこのことを伝えないと。ファイさんのお手伝いをしますって」
善行ができる。そんなふうに照れ臭そうなジェネットに、東城は内心の烈火の如き憤りを、ついに噴出させた。
座っている自分のひざに拳を振り下ろし、鈍い音がした。
「と、東城さん?」
「やめておいた方がよろしい。自分の身を案じ、またミドさんに必ず訪れる憂慮を慮るべきです」
あまりにも断固としたその意見に、ファイですら怯んだ。
「俺は軍人としては一度も戦さの経験がない。しかし侍としては京から五稜郭までを渡った。あのようなものは、知るべきではない」
ジェネットは唇を尖らせて、反抗した。
「でも、東城さん」
少女の印象として、東城はずっと負け続けの戦争をしていたというのがある。俺は敗けたとばかりいうのだから仕方がないが、ジェネットはそのことが頭にあって、騎士たちは敗けると決まっているわけではないし、であれば東城のような境遇には陥らないのではないかとおもう。
東城は、続ける。その抵抗をものともせず跳ね返した。
「敗北に関しては人一倍知っている」
ジェネットは黙り、しかし恩義に報いなければならないと決め込んでいる。
「東城さんには関係ないでしょ。私は行くよ。ファイさん、手紙を書きたいから別な部屋を借してください」
「え、あ、ジェネットさん」
会議室から出ていくジェネットを、ファイは慌てて追った。東城に小さく頭を下げた。
地図の駒を睨む東城は、あざになっているであろうひざを撫で、椅子の背にもたれた。
「関係ないさ。そうだとも、関係のないことだ」
ぼんやりと呟いてみると、寒気がするほどに白々しい。
彼は年長の者として少女の手本になりたかった。神学を学び寝食の世話になっているために大手を振って教師然とはできないから、せめて自分にあるものを分けてやりたかった。
それは敗北ではなく、戦さのつらさである。何かについて東城についてまわる戦争の追憶や「まけた」とよく言っていることにもそれが現れている。
「わかってないんだよ、ジェネットさん」
天井を見上げながら少女を改心させどうやって村まで送り届けるかを考えていると、ノックがそれを中断させた。
「失礼します。あなたがここにいると伺いまして」
「ああ、ヨーグさん」
老騎士は東城の対面の席に優雅に座った。甲冑ではなく、革の胸当てだけの出立である。
「事情は団長からきいております。私どもの隠し事のせいでこんなことになり、申し訳ありません」
ヨーグのいう通り初めから村でそういう説明をしていれば、意見の食い違いはあっただろうが、ミドが仲裁に入っただろう。話がたち消えにならないよう黙って呼び出したのだから、その思惑の裏を不快におもっても無理はない。
しかし東城は「お気になさらず」と先ほどの剣幕はさっぱりと消して、土いじりの不手際をからかわれたようなはにかみで応じた。
「誰が悪いという話ではありません。彼女は恩義を感じ、それに報いたかった。俺は戦さは危ないからやめておけと、そこで平行線になっただけです。彼女と俺との間にある、どのような名を持つ感情かはわかりませんが、友情が近しいでしょう、それには傷もなければヒビも入っていない。お互いが友人にもつ心配と情け深さが露呈したのです。これは考えようによっては」
自分の心情を会話の中で整理するうちに、また胸に暗雲が立ち込める。
「心中を吐露できるほどの仲になれたのだとおもいます」
「それにしては、随分と難しい顔をされています」
ヨーグはすぐに見抜いて、庭に出ましょうと誘った。練兵場に連れ出し、騎士たちの稽古風景を見せてくれた。
一対一の組手と、その奥では乱戦で、擬似的な戦争をしている。
「まだ戦争になると決まったわけではありません。しかしその準備の段階で手を打たなければなりません。あちらが動けばこちらも動く、少なくとも戦力を均衡にしておきたい。その間に必要な人材を集めます」
見せかけでも数だけは祈祷師が欲しいという。決して前線には出さないし、治療にも参加はできるだけさず、ただの数あわせでも構わないと説明し、あわせて近隣の国への同情を語った。
「帝国は地方の小国を武力で自国の領土とすることを得意とし、また皇帝もそれを好んでいる。どこかで止めなければなりません」
しにたいのならば、勝手にしね。東城はそういう激昂を、拳を握りしめることで耐え忍んだ。滴る血が土を濡らし、ヨーグは練兵場ではなく、どこか遠くを眺めている。
「放っておいても、グラシアに手が伸びるのはずっと先でしょう。しかしその指がこの地に触れようかというときにはもう手遅れなのです。それは諸国がすでに併呑されていることを意味し、その段階においてはいかなる防衛も無駄になる」
時間が欲しいのです。ヨーグは東城に向き直り、老人らしからぬ熱っぽさで言う。
「そのために、祈祷師にいてもらいたいのです。あなたの許しではなく、理解が欲しい。あらゆる祈祷師に声をかけています。数ヶ月もあれば中隊規模の人数がまかなえます。帝国はもとより、諸国にこちらの弱さを見せれば士気は落ちる。戦争どころではなくなってしまう」
厭戦の気分がどれほど厄介かを、東城は身を以て知ってる。ヨーグの語る痛ましい内部事情にも同情した。だが彼にとってそんなことはどうでもよく、いかにジェネットを無事に連れ帰るかが問題なのである。
「俺は、あの子が無事に家に帰れれば、それでいいのです」
「神に誓ってお守りいたします」
また神だ。そう辟易し、ヨーグに対しては正直だった。
「いいえ、神よりもあなた方の実力だけが頼りです」
といったが、すぐに言い訳をした。
「すいません、どうも余裕がなくなっているようで」
「お気になさらず。近しいものへの愛情は、時に自分を混乱させます」
「愛情? ああ、そういってもいいかもしれません。彼の父親がそうであるように、私も彼女に同種の情愛を抱いています。だからこそでしょう、神をあてにせず、あなた方にすがり、そうしてもなお不安なのです」
ヨーグは東城の心のうちに滑り込むように、でしたらこういうのはどうでしょう、と身を乗り出した。
「あなたもご参陣なさるというのは」
「俺が」
ヨーグは、この異世界から来た男の素性をファイを経由して知っていた。そういう人材を田舎で麦作りに励ませているのはもったいなく思っている。
「どうでしょう。俺は負け戦ばかりを経験しています。軍人になってからは、戦さの経験はありません」
「私は団長の補佐をしております。部隊の指揮や編成にも多少関わらせていただいております。あなたはその軍で、どれほどの序列だったのですか」
「序列?」
「団長、副団長の下にある位階です」
階級かと理解したが、少し口ごもって大尉ですといった。内示があったからそうだろうとしたが、実際は中尉だったため、躊躇いがあった。
「中規模の部隊を運用できる権限が貸与されていました」
いくつもの国に渡って各軍の性質を把握し、その成果を、仕事であるために当然報告書として提出している。軍ではそれを教本として編纂せよとか、日本軍に適応させた運用を構築せよとか、そういう仕事を任せるつもりだった。若い大尉ながらもその道に先達と呼べるものはおらず、自然にいけば東城がそれを担うはずだった。
「では我々でいうところの一等騎士です。文句のつけようがありません」
三等から数字が上がっていく。この一等にまで進むと、騎士の養成学校外から入団したものとしては最高位にまで出世したことになる。
「我々が指揮官を選ぶ際には、ほとんどが一等騎士の中からになります。どうですか、よろしければ入団など」
「あの家を追い出されたらお伺いしますよ」
それが冗談であることはもちろんわかっている。お互いにそうして場を和ませ、東城の顔がいくらか晴れやかになると、ヨーグは戻りましょうと声をかけた。
「ジェネットさんは団長の執務室におられます」
と東城をそこに案内し、ドアの前で「よく話し合う他に方法はありませんよ」と小さく、そして茶目っけをもたせて言った。
「ええ。ヨーグさん、ありがとう。ああ、それと、俺は戦さには加わりませんので誤解のないようお願いします」
老人は穏やかな微笑のままで礼をした。この男の気持ちをよくわかっているらしく、はいと返事をするだけである。
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