第九話 勝手な渡り鳥

(帰る、か。そんなことが可能なのか)


 夕食を終え落ち着いて横になると、そればかりが気になった。妻子もなく、両親も亡くしている。天涯孤独の身であり、心残りはない。あるとすれば軍人として何をしたかということである。


(戦さが終わりそのまま兵隊になって、俺は何を残したのか。いいや、何をしようとしていたのか)


 思えば死に損なった気がしないでもない。しかし敗戦直後でも体と心は健康で、すぐにこれから何をしようかということを考えていた。


(いくつか国も見てきた。通訳もした。あとは、なんだ)


 したかったことが思い出せない。食うことと金のことしか頭になく、それ以外はそもそも最初からなかったのかもしれない。初めて自分の奥底を探るような感覚に身震いし、それでも中断せず、行きあたったのはやはり戦場である。記憶に焼き付いているのは紅白の惨劇だ。


(刃と血だ。それだけだ。あれはいかん。しかし、もしファイさんが本物の賊であったら)


 果たしてジェネットらを守れただろうか。

 軍人としての仕事に体を鍛えよというものはなく、せいぜい健康維持の体操くらいが推奨されていた程度だったが、東城は他の軍人が驚くほどに剣術や柔術に没頭していた。

「東城の水浴び」といえば、彼が教練場の隅で素振りをした後の汗の水溜りを指すことを、基地の全員が知っていた。

 なぜ、そうまでして鍛えていたのか。過去を忘れないためか、未来に備えるためか、どちらにせよ根底には戦さしかなかった。


(戦さはしたくない。が、現に賊はいる)


 次第に酔いが回り始め、ぐるぐると浮かんでは消える考え事がまとまることはなく、意識が途切れるその最後に、帰った方がいいのかな、と寝息まじりにそう言った。




 日の出と共に目が覚めると、ちょうどファイが寝室から抜け出してきたところに鉢合った。ジェネットを起こさぬよう、足音を消している。


「外に出よう」


 彼女がゆっくり動くので、東城もそうした。すでに天幕から何人かが起き出して、夜警をしていたものと交代している。涼しい風が吹き抜け、ファイの髪を揺らした。


「ファイさん、昨晩はどうでしたか。よく眠れましたか」

「ええ。やけに温いと思ったらジェネットさんが隣にいて驚きましたよ」

「そうでしたか。玄関とは比べ物にならないでしょう」

「恥ずかしながらその通りです。これ以上の厄介にはなるまいと意地になっていたのかもしれません」

「あはは、あなたよりも彼女は頑固なところがありますからね」


 談笑もそこそこに、すぐに作業へと移った。一日をかけて燃えた家々の被害を調べ、崩れた屋根を片付け、さらにはその補修作業までを手伝う予定らしい。

 ミドとジェネットも食事を用意したり、撤去作業を手伝ったりと、村人総出での復旧作業だが、まだ日数がかかりそうだった。


「感謝のしようもありません」


 村人たちはそれぞれの畑に異常がないかを確認しているため、ミド一家が代表としてファイたち騎士団を見送った。


「何かあればすぐに街までお越しください。必ず歓迎いたします」

「皆さんありがとうございます」


 ジェネットもそうやって心からの感謝を述べた。ファイの手をとって別れを惜しんだが、東城がその肩に手を置くと、渋々ながらも引き下がった。


「名残惜しいですが、失礼します。神の御加護がありますように」


 ファイが馬にまたがると、騎士たちはその歩幅に一部のズレもないような見事な隊列を組んで去っていった。

 東城たちはその姿が見えなくなるまでその場にたたずみ、


「いい人たちだったね。さて、俺たちも畑を見に行こうか」


 と、ミドがまず動き始めた。


「ねえ東城さん」


 ジェネットが袖を引いた。畑仕事ですっかり汚れた軍服は、所々に継ぎがしてある。針仕事は任せてとジェネットがやったものだが、あまり上手ではなかった。


「どうしました」

「さっきからへんな顔をしてますよ」


 存外に察しがいい。

 東城は心の内を見透かされた気がして、取り繕わず素直に白状した。


「昨晩にファイさんと話をしたのです。彼女が何気なく俺に、帰れるのだろうかといった。そのことが引っかかっていまして」

「帰るって、どこに?」

「元いた世界ですよ。生まれかわりというのも適切ではない気もしますが、とにかく生きている。こちらに来れるのだから一方通行ではないだろうと、そんな考えに至りまして」


 ジェネットは、急に下っ腹が疼くような感覚に戸惑った。どうやら東城が突然に現れ生活に馴染み、そしてあっという間に去っていこうとしていることに、自分が渡り鳥の些細な止まり木になった気がして、


 勝手な人だ。


 と、苛立った。「ふうん。東城さんは帰りたいんですか」と、露骨にそれを表に出した。


「そこなんですよ」

「え?」

「帰れば私はまた軍人として働くでしょう。後進の育成か、何かの研究か、与えられれば励むでしょうが、せっかくこうして新たな自分としてこの地に生きているのですから、あなた方と何かを、心機一転やってみたい気もします」


 歩きながら、遠くでミドが頭上で腕を丸形にして異常なしと大きくジェスチャーをしている。二人の歩みはそれがはっきりと見えているのに、遅い。


「何か目標があればいいのですが、今のところそれもない。なので、いやあ、天涯孤独であり根無草、こういう男です、いつまでもご厄介になってはいけないなあと思い、それで顔つきがおかしくなっていたのでしょう」


 早いうちにここを離れる、という意味を込め、しかし冗談のように軽く言った。


「勝手な人ですね」


 ジェネットの心の声も表に出た。ただ、冗談ではなく真剣である。


「まるでうちにいたくないみたいな言い方です」

「そ、そんなことは」

「本当はファイさんたちと一緒に街に行きたかったんじゃないんですか? 軍人さんだったそうですから、そういうお仕事でもなさった方が草むしりよりずっといいと思いますけど」


 痛烈な反感に、東城はとっさにジェネットの両手をとり、そんなことはありませんと顔を近づけた。


「毎日を非常に健康に、そして楽しく過ごさせてもらっています。あなたは祈祷師で、俺は信仰とは無縁の男です、本来なら反りが合わないはずなのに、毎日を、そうです、帰りたいとか先々の心配をするような心の隙間はなかった。あなた方の優しさのおかげです。出て行けというのなら、それは仕方がない。しかし」


 出て行きたくない、ここで暮らしたいという願望は、あまりにも厚顔無恥だと思い、


「農作業の手伝いならいくらでもします。ですので、もうしばらくは置いてください。馬や牛より体は丈夫ですし、精一杯働きますので」


 どうかよろしくお願いします、と膝をついて頼み込んだ。畑を区切る道であるから、両膝が土に触れ、汚れた。


「なんだなんだ、結婚でも申し込んでいるんじゃないだろうな」


 ミドはその様子をみて呑気な感想を抱いたが、実際はそれほどのことではない。家賃の滞納をしているものが大家に縋り付くような無様さがあるだけだった。


(不思議な人。ちょっと嫌味をいっただけで、こんなことしなくても)


 ジェネットはその膝下をみて、


「じゃあ、お洗濯、手伝ってくださいね」


 と、それだけ言って手を離し、行きましょうとさっさと進んでいく。ミドに何をしていたのかをきかれても、まだうちにいさせてくれってお願いされたよ、とあっけらかんとしていた。


「おーい! 東城、いつまでだっていていいからさ、あっちの畑を見てきてくれ!」


 ミドの人の良さは、村中に知れ渡っている。東城を居候させる以前からお人好しで通っていた。

 ジェネットもそういう父親を持っているから、自然と人情を理解している。理解はしているのだが、まだ妙に下っ腹が疼いている。


(なんだろ、これ)


 鼓動が早い。畝や水路に異常がないかを確認するよりもまず自分の心境を確かめなければならなかったが、この全身が密接に繋がって振動するような感覚は初めての経験だった。


「東城さん! そっちが終わったらこっちもお願いしますね! 鍬を持ってきてください!」


 東城は駆け足で従った。その姿を見ていると動悸は鎮まり、いつもの心地よい風に髪が揺れ、昨日の騒動も遠い過去のような気持ちになった。


「帰るなんて。それは勝手だ、勝手すぎる。どこに行くにしたって、勝手だ」


 ぶつぶつと文句を言いながら、東城を目で追った。三十路をゆく異世界からの来客に、自分でも奇妙なほどに苛ついた。

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