第十話 街を恐れる

 山賊の襲撃が村を騒がせ、それを救った騎士団を称える叙事詩でも作ろうか。そういう話が村の会議で出たのは復旧が終わってから一週間ほど後のことだった。

 どの畑にも被害はなく、小さな村で六棟の火災があったのは甚大な被害といえるが、森に燃え移ることもなく、立ち直るまではあっという間だった。


「ミド様、ジェネット様、東城様。ぜひファイ隊長がお会いしたいと申しております」


 そんな中、今度は騎士が村を騒がせた。ミドの家を訪れてきたのは風格のある老騎士で、とてもこんな役目を与えられるはずがなく、それだけでことの大きさがわかった。応対したミドも恐縮しっぱなしである。


「な、なんで私どもが」

「村の経過を伺いたく、しかし隊長には別件があり、我々が道中の護衛を任されました」


 八名の騎士が屋敷の前に並んでいる。見守る村人の心中は穏やかではないが、最も強烈に驚いているのはジェネットだった。


(な、なんで街に! しかも私たちだけじゃなくて東城さんまで……!)


 東城が帰ろうかどうかの悩みを打ち明け、それを埃でも払うように一蹴して以来、彼女は東城を束縛している。とはいえ大袈裟なものではなく、何事にも常に彼を目の届くところにおき、午前中はお祈りに付き合わせるというだけのことである。


(ジェネットさんには悪いが、息抜きになる。是非とも同行したい)


 一方この男はよく働き、よく食い、そしてよく眠る。体は健康そのものだが、日課となりつつある神と祈りの講義に舌を出したくなるほど辟易していた。


「お父さんだけじゃ駄目なんですか」


 というのも、東城がこの田舎の村から出て、都会の街を目にすればどうなるかを不安がっているのだ。きっと華やかな喧騒に彩られた景観と雑踏は、こんな田舎とはそれこそ世界が違うのだと、彼女自身も慣れない街の恐怖に縛られている。


「俺? いや、俺こそいけないよ。畑があるし、お前たちが行ったほうがいいさ。ジェネットもたまには遊んできなさい。東城も頼んだよ、この子は臆病なくせにへんに気が強いから、そのあたりを見てあげてくれ」

「な、東城さんも行くの?」

「お前一人じゃ不安だもの。東城、どうかな」


 是非、とすぐには言わず、少し悩んだふりをした。祈りに付き合わなくてもよくなることは喜ばしいが、それを前面に出すようでちょっと躊躇っている。


(行きたくないって言って、東城さん!)

「ファイさんには恩がありますから、こちらから出向かなくては失礼でしょう」


 と、少し間を置いて言った。


(それはずるい!)


 人情深い父を持つジェネットだから、それは抗い難い理由だった。東城はでっち上げと本心の半分ずつのこじつけだが、少女には抜群にきいた。


「おお、名乗るのが遅れましたな。お二人の護衛を致しますヨーグと申します。道中は心安らかであるよう努めさせて頂きます」

(行きたくないなんて言える雰囲気じゃなくなっちゃったよ……)


 ジェネットの不安をよそに、出立の日もその旅程もヨーグは説明し、男二人が乗り気のために明日にはもう村を出ることが決まってしまった。


「お父さん、ちゃんとご飯は食べるんだよ。お酒もほどほどにして、薬は倉庫にあるし、それと御神木の掃除もしてね」

「わかってますよ。全部このミドに任せなさい」

「わかってないでしょ。ご近所さんに迷惑かけちゃ駄目だよ?」


 いざ出発の時、その寸前までくどくどと注告した。別れを惜しんでいるのだろうとヨーグは先んじて東城を馬車に案内した。二頭立ての立派なもので、車内は本来四人が乗れるだけの広さがある。


「ファイ隊長にお聞きしましたが、あなたはあの家に世話になっているそうですね」

「ええ。居候です」

「よほど信頼されているのですね。一人娘を任せられるほどに」

「俺はあまり礼儀を知りませんので、彼女が私のお目付役かもしれませんよ」


 軍人だった頃、その軍という組織はまだ未成熟の中にあり、軍人には侍のような気質が残っていた。西南戦争から戊辰戦争までを駆け抜けた男たちの間には、喧嘩をもって上下関係を決めるという蛮行が当然のようにまかり通る場合もあり、生まれを差別の対象にすることはなかったが、東城はよく目をつけられた。


 あいつは洋行帰りを鼻にかけていやがる


 東城は留学が多かったこともあり、よく因縁をつけられた。ただのひがみだが、終われば後腐れなく、殴打で腫れた頬を笑い合い相手を認めるという、このひがみはそういう不可思議な儀式でもあった。


「彼女が? なるほど、あなたに礼儀があるかどうかはともかく、慣れない世界です、彼女が指針かもしれませんね」


 その乱暴な儀式において、東城はただの一度も負けなかった。殴り合いをすることでしか分かり合えない血性を礼儀しらずといえばそうであるが、ヨーグは東城を立派な男であるとみている。

 東城の所作が騎士に似ている。武士であった頃の作法と軍人時代での礼法が無自覚に生きていて、それが彼の人物像を大きなものにしていた。


「じゃあ行ってくるね」

「行ってらっしゃい。あんまり東城に迷惑かけるんじゃないぞ」


 慌ただしく馬車に乗り込むジェネットは、片手に小さな旅行鞄だけを持ち、他に荷物はない。東城は手ぶらである。ガラス窓から手を振って、長く村を眺めていると、東城が微笑んでいることに気がついた。ムッとして、やや頬を染めて腕組みをした。


「まったく、お父さんったら本当に心配性なんだから」

(それはあなたもだろう)


 ヨーグが乗る馬が先頭を進み、馬車の両側と後方にしっかりと騎士が張り付き、御者も帯剣している。


(しかし、ファイさんは俺たちをなんだと思っているのか)


 あまりにも豪勢な移動である。これでは地方領主と見紛うほどであり、田舎の村のまとめ役には不釣り合いだ。しかもジェネットはその娘、東城に至っては部外者といってもいい。この送迎から察するに、何か裏があるのではないかと推察した。


「騎士ってやっぱりすごいんですね。こんな馬車でお迎えが来るなんて」


 そうとは知らないジェネットは、純粋に風景を楽しんだり、街で何をしようかと観光の気分でいる。東城もそのうちファイの目的がなんなのかに考えを回すのをやめた。


 日が暮れると天幕を張り、そこで眠った。騎士たちは何人かでひとつの屋根に寝るのだが、東城たちはひとつずつ使えた。


「お祈りをしましょう、東城さん」


 寝る前はおろか、馬車の中でもやった。東城はそうですねと密かに顔を歪ませ、両手を組み、目を瞑り、その間は俳句を考えたり寄席を思い返したりして遊んだ。

 ジェネットは祈りの後、講義をするのも常としている。


「今日はフォルトナ様のお力についてやりましょう」


 鼻息を荒くしてそれを説く。東城はニコニコと曖昧な返事をする。これもお決まりである。


「彼女は他の神々のように、火や雷を用いての攻撃方法を用いません。身体能力の向上も、その性能は劣ると言わざるを得ません。ですが」

(俺の受け皿では、この知の濁流を容れられん)


 容れるつもりもなかった。しかし何が神だと罵倒することもできず、いつも打ちのめされている。

 午後になるとジェネットは退屈ですねとあくびをし、ほとんど寝ている。外の風景は変わらない。人の往来で草がはげただけの街道がまっすぐ伸びて、その途中途中に横道にそれ、村や山道に続いている。見渡す限りの平野に時々森や川があった。


(日本ではないと頭ではわかっていたが、これは明度からして違う)


 木々が少ないから陽光が一面に降り注いでいる。鬱蒼とした雰囲気はどこにもなく、背の低い草ばかりが茂っていて日本とは自然の種類が違うようにおもえた。影を落とすものがないため遠くまで見渡せて、そのことを東城は明度といった。

 流れる単調な景色はすぐに人の手が加えられたものに変わる。かなり急いだのか予定よりも一日早くついた。


「ここはなんという街なのですか?」


 関所のような木組みの門がある。腰くらいの高さの苔むした石壁が途切れ途切れに周囲を囲い、首を回さなければ全容が見えないほどである。


「ウエクです。グラシア第二の都市ですよ」


 客人をお連れした、門を開け。ヨーグの大声が馬車まで聞こえた。

 動き出すと、町並みをゆっくりと見学できた。


(これが第二の都市)


 大通りが太く伸び、露天や商店が詰まっている。しばらく進むとそこが街の中心地なのか、公園として開放されていて、またそこから放射状に道が連なっている。しかしどこも賑わいは落ち着いていて、今通ってきた場所がメインストリートとして機能しているようだった。


 東京の賑わいに比べれば、格が落ちる。だが久しぶりの人の多さに圧倒され、ジェネットの「すごい。こんなに人がたくさん」という感嘆に激しく同意した。

 戦場のような人混みだ、と口から出そうになったが、それはかろうじて飲み込むことができた。この男にはなんでも戦さで例えようとするくせがある。

 辺境警備隊の詰所は大通りからずっと離れた場所にある。年季の入った石造りの建物の前で馬車は停まった。

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