第十一話 秤にかければ
「お待たせをしました。こちらへ」
先導するヨーグの態度はこれまでにジェネットがであった大人たちのなかで、最も洗練されていた。丁寧すぎるくらいに丁寧である。
「ジェネットさん。ファイさんに何を報告するか、覚えていますか」
石の廊下に響く靴音はどこか質素で、勤めている騎士たちに清貧の印象をもたらしている。ヨーグの態度がそこに高潔を含めさせていた。
「はい。村にあれ以上の被害はなかったことと、誰も怪我をしていなかったこと。でも、これくらいの報告しかできませんよ」
「報告することが多くてもいけません。それは村が被った災いの痕跡ですから。我々は皆無事であり、これからの生活に影響はない、それだけでいいのです」
東城はものごとを簡潔にしたがる性格を持っており、とにかく要点を抜き出すことを好んだ。
「ですね。よし、頑張ります」
前をゆくヨーグは目を細め、誰にも悟られないよう微笑した。
ファイの執務室へは彼がノックをして、どうぞと声がすると、老騎士は音もなくドアを開けた。
「おっと、随分と早い到着だ。ヨーグ、急ぎましたね」
「急いだのは馬です。あなたに会いたい一心でしょう」
ヨーグは二人に一礼し、失礼しますと最後まで謙虚に辞していった。
「粗相はありませんでしたか。彼に任せれば万事うまくいくと思い護衛を任せたのですが」
「い、いいえ! とても快適でした。ね、東城さん?」
東城ははいと頷いた。この場はジェネットに任せようと、あまり目立たないでいるつもりでいる。
「かけてください。客人を立たせておくのは落ち着かない」
そうして道中の安全や天候のことを質問し、本題へと移った。
「あの後、村はどうですか」
ジェネットは緊張のあまり「みんな元気です」と大声でいった。
「それはよかった。家や畑はどうです」
「無事です」
ファイの目的はこれを聞くだけのはずだが、手元に目を落とし、ちょっと口籠った。
(やはり、何かある)
東城の予感は的中する。ファイはおずおずと切り出した。
「実は、困ったことになりまして」
ため息をつき、ジェネットを覗った。
「どうやら帝国が戦さの準備をしているようなのです」
「戦さ」
東城の声が震えた。二度と聞きたくないような、それでいてそこにしか自分の居場所がないような、相反する心境が言葉尻をにじませた。
「帝国って、でもあそこは」
ジェネットの疑問と東城の疑問は一致しない。彼はその帝国がなんのことかもわかっていないのだ。
ファイはひとつだけ頷いて、答えるよりもまず、その説明をした。
「東城さん、アガレスティア帝国とは、グラシアの遥か西に位置し、間に国を挟む遠方にあります。そこで兵を集めていると情報がありまして」
「地図はありますか」
東城は目立たないつもりでいたのだが、腰を上げファイに詰め寄った。頭が戦さのことだけになり、このあたりの身勝手さを指して礼儀知らずと自分を説明するのである。
「え、ええ。ここにはありませんので、場所を変えましょう」
彼女の机にあったのはグラシア一帯の地図であり、それより大きいものは会議室にあるという。案内されると、すでにそれが広がっていた。だだっ広い木製机に紙質の荒い地図があって、いくつかの駒がそこに乗っていた。
「この地図上のコマはなんですか」
「我々の兵士を表した模型です。全兵士をいくつかにわけて援軍を送ろうという計画が進んでいます」
このことは内密に、とファイは今更になって口止めをした。ジェネットも東城も、元からそんなつもりはない。
「あの、それと私たちになんの関係が」
「物資の援助ですか。あの村は、騎士団にとっては麦だけが価値でしょうから」
いつものジェネットならば憤慨しただろうが、それどころではない。東城の熱気が耳にうまく言葉を運んでくれなかった。
「いいえ。これはジェネットさんに大いに関係することなのですが」
「わ、私にですか?」
「騎士団には、恥ずかしながら告白しますと、祈祷師が不足しているのです」
東城がにわかに口を開け、大喝を見舞おうとした。しかし全身に力を漲らせその動きを停止させ、炎のような吐息だけが地図に落ちた。
「それは、どうでしょう。得策ではないような気がいたします」
ファイは神妙な顔つきで、無言のまま地図の駒を摘んだ。が、また元の位置に戻し、東城の言葉に同意しながらも、騎士として、さらには指揮をとるものとしてのとり得るべき作戦に間違いを認めなかった。
「あの、すいません……私には何が何だかわからなくて」
ジェネットは普段にない東城の姿と、どこか寂しそうなファイのしおれた眼差しに、居住まいを正そうにもそもそも居場所なくなったような心地である。
「遠方に援軍を派遣したいが、手持ちのコマが足りない。おそらくは国中から集めているのでしょうね」
神について、そして祈祷師についてをもう勉強させられた東城だから、自然とそのこたえが導き出せた。
「他人の怪我を治せる。魔法攻撃に対抗できる障壁が張れる。攻撃手段もある場合がある。祈祷師です。あなたのことですよ、ジェネットさん。ファイさんは」
「そこからは、私が直接言います。ありがとう、東城さん」
ファイはジェネットの前に立ち、ヨーグとそっくりな礼をした。胸に手を当て、しかし視線は胸元で、目を合わせることができないらしい。
「ちょ、ファイさん、何を」
「ここに呼んだのは、村の安否を確かめることともう一つ、理由があります。これをお伝えしなかったのは、もし断られたらという私の心の弱さ故です。申し訳ありません」
ジェネットは呆気にとられ、うんともすんともものが言えず、唇も動かない。
「もう一つの理由、それはあなたに遠征する騎士団に随行してほしいということです。祈祷師がいるだけで兵は気が安まり、信仰の念を忘れず、士気も高揚するでしょう。どうかお力添えを」
「あの平和と、心の豊かな人たちを、あなたは見なかったのですか」
東城が静かに言った。脳裏に焼き付く戦火と襲撃された村の光景が重なって、目に涙を浮かべた。
「あれを見て、この人が何を思ったのか想像するに難くない。あなたは、それをさせようとしている」
「……負傷者の手当てをしてくれるだけでいいのです」
「戦さの負傷者とは、手足がちぎれ、身体中に穴が空き、胸となく腹となく刃の切っ先が飛び出ているようなものたちです。そういうものを、俺は見てきた。そして、見せたくない。誰にもです」
言い終わってから、その激情がどこかに消え失せたかのように椅子に腰掛け、ジェネットをまじまじと見つめた。この少女をあんな場所にやるわけにはいかないと、彼自身ジェネットの歳の頃くらいには刀を手にして暴れ回っていたくせに、身勝手な庇護浴を隠そうともしない。
「ファイさん。あなたはいい人だ。人柄という意味です。そして上に立つものとしても、私には優秀なものとしてうつります。足りないから、調達する。当然のことです。しかも部下にやらせればいいのにあなた自ら率先した。だからこそ、あなたが恨めしい」
「私は、あなた方が好きです。差し支えなければ友人と言いたい。しかし、友情と職務を秤にかければ、これは国難です、どちらに傾くかは」
ジェネットが、気まずそうに手をあげた。
「あの、私に騎士の皆様方のお手伝いをして欲しいってことですよね? だったら別に構いませんけど」
目を丸くする二人に対し、ジェネットには深刻さがまるでなかった。
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