第八話 元いた世界
日が落ちても作業は終わらず、騎士たちは各々夜営をし、村に滞在した。隊長のファイはミドの屋敷に招かれた。
「うちの客人がご迷惑をおかけしましたので、お詫びも兼ねて」
娘同様におしが強く、ファイは困り果てたのだが、東城がいるということで頷いた。
強い興味があった。あの異装の男は何者なのか、その疑問を解消したかった。
「あまり気を使わないでください。私も本来ならば部下と同じように過ごさなくてはなりませんので」
「そうはいきませんよ。こちらこそ、本来なら皆さんを歓待しなければならないのに」
ジェネットが飯を作り、ミドが酌をした。いつも四、五人分の飯が並ぶ食なのに、この日は五割増しである。
「こ、こんなには」
「ここの娘さんはよく食べるのです。このくらいの量でも軽くで平らげますので」
「東城さん! これは外の騎士様たちのご飯でもありますからね!」
そうでしたかと微笑む東城は、できるだけ愛想よく振る舞っている。先ほどからファイの視線がこそばゆい。
「ありがとう。ジェネットさんでしたね、あなたのように我が身を顧みない人は、時には勇気と称されるが、蛮勇とも諌められる。ご留意を」
説教のような語り口だが、声は慈愛一色である。
「はあい。でも、あれは東城さんがいけないんですよ」
村に山賊が押し掛けてきて、家に火をかけた。数人だったが、恐怖のために自衛もできず、黒煙を見つけた哨戒中の騎士団が駆けつけた。抵抗した山賊を斬り、村人を集め、他に脅威がないかどうかを探っている途中、東城はその一瞬の現場だけを目撃したのだ。
「返す言葉もありません」
東城は小さくなって頭を下げた。ファイが上品に笑い、それを覗くように見上げると、騎士というよりも貴族のような気品があった。
「ジェネット、俺は外で酒と飯をお出しするから、ファイ様のことをよろしくな」
ミドは軽々と酒の入った樽を二つ肩に担ぎ上げた。その膂力は娘にも遺伝しているのか、山ほどの料理が乗った盆から料理の数々をテーブルに並べた。
「はい。お父さん、一緒に飲んだりしたらだめだよ」
「わかってるって」
ジェネットが椅子に座ると、東城はパンに手をつけた。待っていたわけではないが、ファイがにこやかにジェネットを待っていたために、彼もそうしたに過ぎない。
「改めて、ありがとうございました。ファイ様たちがきてくれなかったらどうなっていたか」
「仕事だから、と言ってしまえば少し薄情ですね。黒煙が昇るのを見て、ただ事ではないと思ったのです。私は私の情動によってあなたたちを助けることができて本当に嬉しい。この歓迎と、部下を労ってくれるあなたの父と、そしてジェネットさんの手料理に」
乾杯とグラスを小さく揺らした。
「はやー、なんだか格好いい」
ジェネットは「ね、東城さんもそう思いますよね」と小声で同意を求めたが、この男は小さくうなずくだけで何も言わなかった。
「それと、我々を相手にしても怯まずに、村人を救おうとした戦士にも」
からかわれたな。と東城は困ったようなはにかみを浮かべたが、どうやらファイは本気らしい。
「この辺りで騎士と戦おうとするものは、愚か者かよほどの理由があるものに限られます。あなたはみたところ後者だ。よろしければ理由をお聞かせくださいませんか?」
「ミドさんにはこうして世話になっています。そしてジェネットさんにも。村の人たちだってそうです。よそ者にできることは少ないので、まあ、それでです」
飯と宿を与えてくれた恩人のために命をかけるという大昔の任侠のような行動は、他人からみれば美徳だろうが、自分では美醜の観点から行ったわけではないし、そんなふうに考えもしなかった。
「そうでしたか。あの、無知なことをきくようですが、その格好はどこの国のものでしょう」
「あ、ファイさん。東城さんはですね」
その不可思議な東城の顛末はジェネットが説明した。戦争や軍についてはあまり触れず、とにかく酒に酔って凍死し、神によってこちらの世界に転生してきたという話を、ファイは大真面目にきいていた。
「運命を司りしフォルトナ神のお導きですか。不思議なものですね」
そして納得までしてしまった。彼女にはわからないことはわからないものとして受け入れるだけの度量があった。
ミドが戻ってくると、やはり酔っていた。ジェネットに叱られながらも肩を借りて寝室へ行き、二人きりになった。
「修羅場を何度も経験している。そういう人物の典型的な立ち姿でした」
ファイが言った。音量は小さく、昼間の爆音の主とは別人のようである。
「腕に自信があって、経験に裏打ちされている。過信はなかった。ジェネットさんだけでも逃がそうとし、それができる。事実をもとに組み立てられていました。運が良ければミドさんを、村人全員の救出は半分くらい諦めてはいましたが、それでも騎士の全滅は目論んでいた」
大皿から煮魚を移し、自分の皿にとりナイフを入れる。それだけで育ちのよさがうかがえた。
「東城さん。あなたは何者です」
「ジェネットさんは気を使ってくれましたが、隠すことでもありませんし」
すぐに軍人だったと打ち明けた。それより前には戦さを経験したことも話した。しかし神を嫌い、祈ることすら忌避していることは伝えなかった。それをすると、ジェネットの比ではない苛烈さを見るような気がした。
「なるほど。では彼女に再びの感謝をしなければなりませんね。あのままでは、部下が何人も死んでいたでしょうから」
東城は静かに酒を飲んだ。天井にグラスの底が向くようにして勢いよく煽った。その姿はどこか偉そうで、そのくせグラスを置くとはにかんだ。ファイがあまりにも懇意を示すために、照れている。
「しかし、この世界の他にも人の生きる世界があるとは思いませんでした。神の力でこちらに来たのですから、簡単には帰れそうもありませんね」
「帰る? いえ、私はもう死んでいるらしいので」
「あ、そうでしたね。いや妙ですね、生まれ変わったというべきでした」
「変わってはいませんが、どうでしょうか、帰れるものなのでしょうか」
そのこたえは、誰にもわからない。彼は日々の農作業とミドやジェネットへの感謝によって、そんなことを考えもしなかった。
「神だけがそれを知っているでしょうね」
ジェネットが戻ってくるとファイは話題を変え、このあたりでの日頃の生活について質問した。自らの業務や、騎士団での日常も語り、ジェネットを興奮させた。
「ジェネットさんは祈祷師でしたね。数は多くありませんが騎士団にもアンヘル神の祈祷師がいますよ」
「ファイ様も?」
「ええ。あまり熱心ではありませんが、月に一度は礼拝に」
こいつも神を信じるのか。東城はちょっと驚いてその上品な顔立ちを盗み見た。武人なら己だけを信ずるべきだろうと勝手に不機嫌になった。
「あなたは強い。部下もうまく扱い、ご自身の剣技も十分達者であるということが、なんとなくわかるのです。その実力と神、いざとなった際にはどちらを信じますか」
東城はなるべく穏やかに、微笑みを絶やさずに言った。ただの興味本位の質問を装ったが、実力ですと言いやがれ、とファイがいうのを心待ちにしている。
「まずはそうならないように実力でうまくやります。最後の最後になったとき、祈るでしょうね」
ジェネットにきかせるには血の匂いがきつすぎるためにこちらも温和である。
最後の最後とは軍人にとっても騎士にとっても敗北と生命の危機のことであるのは明白で、ファイも東城が嫌う言葉のひとつである人事を尽くして天命を待つという心境になるらしい。
(天命だと? ふざけるな、そんなもので生かされたり殺されたりしてたまるか)
東城の機嫌が損なわれていることに、女二人は気がつかない。その顔は微笑みを一切失っていないし、態度だって平素のままである。
食事が済むと、ファイは外の天幕で寝るといってきかず、ジェネットがどれほどベッドで眠ってくれといっても頑なに断った。
「そうしないと私が父に叱られます」
そんな泣き落としでファイは渋々屋敷で一夜を明かすことにした。だが部屋ではなく、玄関で寝ようとする。
「あ、ファイ様、ダメですよ、ちゃんとお部屋で寝なくちゃ」
「お気になさらず。早朝から作業をしますので、ここからならすぐに出られますし」
「そういうことじゃなくてですね、だって床で寝たらよく眠れないだろうし、体を痛めるかもしれません」
「野宿は慣れてますので」
これ以上の面倒をかけたくないという心境なのだろうが、流石に玄関で眠らせるのはジェネットの人情がそれを許さず、しかしファイの頑固も相当で、
「それではおやすみなさい」
と、ジェネットがまだ文句をいううちから毛布を羽織った。
「あ、だめだめ、待ってくださいファイ様!」
「平気です」
ファイにはジェネットの嘆願を楽しむような雰囲気すらある。少女が散々に世話を焼いてくれただけでもありがたいのに、その上こうして面倒を見させろとせがむその心持ちそのものがくすぐったい悦楽として子守唄になった。
「寝ちゃった。どうしよう東城さん」
「私もそこの椅子で寝ます。そうすれば誰かがこれを見ても、酔っぱらって床で寝たのかと間違えるはずです」
「そんなに都合よく行かないと思いますけど。そもそもちゃんと体を休めないといけないからベッドって言ってるんですよ?」
仕方ないなあ。とジェネットはファイの体を毛布ごと横抱きにかかえた。落としてしまったフォークを拾うよりも苦労なく、そのまま自分の部屋に引っ込んだ。
(俺でもああは運べないだろうな)
ジェネットは部屋から顔だけ出して、おやすみなさいと言った。
「明日は、えへへ、みんなが今日の東城さんを忘れるくらいに頑張らないとですね」
「はい。頑張ります」
挨拶を返した後、東城はまた羞恥が蘇り、いそいそと貸し与えられている自室に逃げ込んだ。
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