第六話 命の使い道

 ジェネットの熱心な講義に、東城は辟易している。


(俺が神に詳しくなってどうする)


 とにかく姿勢だけは真面目である。ただ内心は、幼少に手習していたぎんほどの情熱もなかった。


「神には格があり、旧神、始祖神、大神などなどあります。フォルトナは小神に分類されており」


 そこからは熱烈なほどジェネットは東城を、ある意味いじめた。


 世界には無数の神がいる。

 どの神を信仰するかによってその加護の在り方も違う。

 祈祷師は神に力を借りて奇跡の一部を行使する。


 などと基本的なことから、祈祷師だけで構成される団体や戦場での働き、さらには何柱かの神の具体的な性質まで詳しく説明した。その度に東城は、


「はあ、なるほど」


 と身を乗り出して頷いた。ジェネットの熱量がそうさせた。


「祈祷師とは神に祈りを捧げるだけでなく、こちらからも信仰と、いわゆる捧げ物をして力を借りている」


 まとめと称し、これを東城に言わせた。真面目なふりをしていた東城にも非はあるが、それにしてもジェネットは強引だった。


「ん、捧げ物とはなんでしょう」


 その強引さが、東城の好奇心をくすぐった。彼の神嫌いを知る生前の友人たちならば、腰を抜かすほど驚いただろう。初詣にも行かなくなった男だから、この興味はジェネットにとって最高の報酬となった。


「例えば村での豊穣祭。感謝と農作物がそれにあたりあます」

(地蔵にやる握り飯とか、その類か)


 軍人時代の夏休みに帰省した際、近所の米屋が熱心に手を合わせ祈っていたのをみた。彼は迷信にすがりやがってと忌々しく思ったが、ジェネットの話をきくうちに、抱く感想が違ってきた。


(もし、もしも神がいるのならば)


 あれにも意味はあったのだろうか。と、すでに超常現象の渦中にいるだけに、今度からは侮蔑を飲み込むのではなく、一言でも労いの声かけをしようと思った。進歩というよりも、進化といった方がいいほどに彼の考え方は変わった。


「こんなところですかね。さ、今度は東城さんもお祈りをしてみましょう」


 考えは変わったが、まだ嫌悪が抜け切れていない。「それは、まだ早いかと」と及び腰である。


「そんなことをしても、どうせ嘘だと見ぬかれるでしょうし」

「まあまあ、膝をついて両手を組んで、明日の健康くらいをお願いするだけでいいんですよ」


 断固拒否しようとすると、ミドの顔が浮かんだ。彼は村の顔役で、しかも宿を貸してもらっている。ジェネットへの対応を間違えればそこを追い出されるかもしれない。そうなっては他所で屋根を借りることもできず、つまりはこの村にはいられなくなる。東城はこの華奢な少女に振り回されることに多少の憤りと苛立ちを感じながらも、


「明日の健康は、今日の俺次第ですからね」


 あくまでも優しく拒否した。しかしジェネットも強情である。


「じゃあ私の健康を祈ってください。私は東城さんのために祈りますから」


 ふざけるなと大喝しそうな喉を大きく動かして唾を飲み込んだ。祈らなければこの小さな地下聖堂を教室とした少女の説教からは逃げられない。それがわかると、ならばフリをすればいい、頭を空にしてかたちだけでもそうすれば満足するだろうと、ジェネットと祠の前まで出た。


「では、まあ、そのようにいたします」

「じゃあそこに座ってください。両手を、こうやって組んで、あ、膝立ちじゃなくても楽な姿勢でいいですよ」


 ジェネットは東城に神に触れて欲しかった。理由の半分は幼さからくる意地だが、神を信じないということが理解できなかったからである。現実に彼女はその声を聞き、抱擁を風として肌に感じているのだ。


「さあ始めましょう。なんて、気合を入れるほどでもないんですけどね。心を安らかにして、受け入れるんです」

「何を」


 ジェネットと同じ姿勢の東城は、目を瞑ったままきいた。


「むろん、神を」


 風は心地よく吹き抜け、木漏れ日は暖かい。鳥のさえずりは耳に優しく、落ちる木の葉が肌にあたりくすぐったい。森の匂いが鼻腔をくすぐり、まぶたをあければそこには明媚な風景がきっとある。そう確信できるほどに五感が冴えて、東城のくさくさした気分は一陣の風によって洗われた。


(二度と祈らないと決めた。だから、それに従う)


 決意はジェネットにも雄大な自然にも負けず、泰然としてそこにある。洗われたはずの胸に飛来するのは、知る限りの神々の名を叫んだ血塗れの山中であり、彼はそこで白刃を杖にし目の前の敵を切り倒すだけの機械だった。


(祈りは、無駄だ。ジェネットさんには悪いが、神の知識は得たとしても、やはり俺は信ずることができん)


『人の子よ』


 それは森が発する音ではなく、明らかな何者かが発した言葉だった。

 東城とジェネットがお互いを視認したのは同時であり、両者のいずれもその発信源でないことを確かめた。

 では、どこからこの声が聞こえたのか。


『逃げなさい。脅威が迫っています』


 大木の祠が、音を立てて崩れた。最後の力を使い果たしたかのような、無残な静寂が取り残され、ジェネットはしばらく呆けていたが、はっとしてその破片に駆け寄った。


「な、何? 今の、東城さんも聞こえましたよね」

「逃げろと言っていましたね。脅威が迫っているとも」

「いつもはもっと優しいんですよ。祈りに感謝しますとか、雨が降るとか」

(空耳だろうな。あの洞だ、風が通って、そうやって聞こえただけのことだ)


 薄気味悪くなって適当な理由を付けたが、本能があれは人間のものではないと叫んでいる。高低も男女も入り混じる不可思議な音律だった。


「逃げろというのはなんでしょうか。何から、どこへ。心当たりはありますか」

「私も初めてのことですし、今日はもう帰りましょうか。明日村の人たちにこれを直してもらいましょう」


 ふいに、東城はとある一点を注視した。村の方角である。

 ジェネットもそこを観察したが、見慣れた木々があるだけである。


「どうかしましたか」

「ジェネットさんはここにいてください。あの洞の中がいいでしょう」

「な、なんで」

「いいから」


 東城は駆け出した。一目散に森の中へ飛び込んでいく。身のこなしは肉食動物のように俊敏で、ジェネットの声もその背中には届かなかった。


「一体何が——あっちは村がある方だけど」


 嫌な予感がした。逃げろという神のお告げもそうだが、先ほどの東城の顔つきが、この数日を通してみたことがないくらいに凶悪なそれに変わっていたのだ。


 何かに対しての激しい怒り、憎しみ、そして後悔があった。


「東城さん……!」


 ジェネットも走り出した。一度反転し、砕けた祠に一礼し、再度走った。山道ではあるがすでにここは彼女の庭同然で、迷いもしなければつまずくこともなかった。しかし東城の姿はどこにもない。

 木々の隙間から、焼ける臭いがした。人為的な火であると直感し、心が焦り、体はそれに追いつかず数年ぶりに転んだ。泥を拭うこともせず、その火炎があろう場所へと近づいていく。


「あ、東城さん!」


 ちょうど山と村の境目に彼はいた。その仁王立ちの背中だけでもジェネットにただならぬ事態を想起させた。


「来るな」


 少女は息を飲んだ。ぶつけられた声音の凶暴さにではなく、彼の背中越しに見える村の姿にである。


「――嘘」


 家々の屋根に火が放たれている。そこから立ち昇る黒煙がたなびき、それをかぶるのは村の中央に集められた村人たちである。十名ほどに囲まれており、相手は野党ではなく、金属の鎧に身を包んだ騎士だった。


「お父さん! みんな!」


 倒れている者も数人いて、少女は堪らなくなってその場へと走った。涙がすでにあふれ、一滴が東城の肩に触れた。


「ジェネット! 無事だったか……!」


 父子の対面、そして抱擁にこれほどそぐわない場面もない。東城は亡き父親を思い出し、自分がこの場でどう行動すればいいのか、想像した。見つかっていない今ならば逃げ出すことも容易であろう。


(まずは、相手が何者か。そこからだな)


 適当な農具を手にとった。一メートルほどの鋤だった。交戦するつもりである。勝てるとは思っていないが、やらなければならない。恩のある村人たちを、せめてミドを、ジェネットだけでも助けなければならなかった。そのことが東城の思考の根幹にあって、ごく自然に武器を取らせた。


(穏当に済めばそれが一番なのだが)


 路上で凍死ではつまらないもの。と、東城は森からのそのそと歩き出した。相手の騎士はいますぐ皆殺しにしようとしているわけではない様子で、どうやらリーダー格が村の処遇を決めかねているらしかった。


 東城は鋤を手に、肩で風を切って歩いている。軍人でも賊軍の士としてでもなく、二度目の生を受けたものとして、この世界の住人のためにそれを使おうとしていた。それが正しい役目であると、妙な自信すらあった。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る