第十六話 獣の蛮行
オケトの街が慌ただしくなった。バンローディアを新たな友人とした日から三日も経っていない。
オケトにいるグラシア騎士団を率いているのはハーベイという行軍中に東城を苛つかせた男で、その彼がジェネットを訪ねてきた。
「バンローディアはおりますか」
いくらか丁寧な物腰なのは、まず彼の任務として部隊をここまで連れてこなければならず、それが果たせたからだろう。
「いえ、今朝はやくに出て行きましたけど」
「言伝などは」
「いいえ。おはようと言ってご飯を食べて、それだけです」
どうかしたのかをきいてみると、訓練の時間になっても姿を現さないという。よくあることなのだが、
「いつもは誰かしらにいなくなる理由を告げるのです。たとえ怠けているだけの時でも、妙に律儀なやつでして」
変わり者ではあるが、それでも祈祷師としての実力を認められて見逃されている。戦さが近いこともあり、虎の子の祈祷師でもあるから、自分の所在は必ず明かしていた。
「誰も知らないので家にいるのかと思いましたが、一体どこへ行ったのでしょう。これから訓練があるというのに、困りましたな」
ハーベイは「見かけたらお知らせを」と出て行ったが、その困りきった後ろ姿をみる限り、訓練に集中などできはしないだろう。
「バンさん、どこに行ったんでしょう」
「通りの商人にきいてみますか。あの通りの人ですから、覚えもいいでしょう」
祈祷師は巫女服に似た格好をしている。東城はそれも気に入らないが、ジェネットが愛用しているために文句も言えない。
バンローディアもそうだが、やや崩した着こなしている。金属板を胸や手先につけ、そこは騎士らしいのだが、へそが出ていたり太腿を露出させたりと、どうも艶かしい。
「あー、目立ちますよね、バンさん。じゃあ探しに行きますか」
騎士たちはよく金を落とすために商人に気に入られていたが、バンローディアは値切ったり品質の悪さについて怒鳴ったりするくせに、この街にいるどの騎士よりも好かれていた。夜中になると肩を組んで酒を飲んだり、時には商売についての忠告もしたりしていた。気さくでありあけすけで、損得勘定に聡かった。
「バンのやつかい? だいぶ前に西で薬草を探すとかなんとか言ってたが」
「ああ、崖で祈りを捧げるってさ」
「街道に壊れた荷車があるからそれを修理するんだとよ」
商人たちに行き先を告げていたのはいいが、証言がバラバラで、適当なのか意図的なのかも判別がつかなかった。
東城はハーベイに地図を借り、その証言をもとに居場所を探り当てようとした。
彼はやはり訓練に身が入らなかったらしく、執務室で書類仕事をしていた。祈祷師が行方不明というのは由々しき事態であり、責任を追求された場合のことを考えると胃が痛くなる。
その事務仕事すらも途中で切り上げようと思っていると、そこに東城たちが入ってきて手がかりを見つけたというから、彼の方から地図を貸し出した。
「西方に街道が伸びていますね。で、ここが崖になってる。であれば、やつはこの辺じゃないですか」
「森、ですか。薬草でも取れるんですかね」
ジェネットは薬学に疎く、バンローディアから簡単なものを教えられている。食用なものを数種類だけ覚え、その続きを今日にでも教わるつもりだった。
「取れるには取れますが、ここはもう帝国領です」
ハーベイの顔色が見る間に青くなっていく。「ここからは相手の陣地がよく見える。すぐ近くに前哨基地があるから、もしかすると」
「物見だ」
東城の短い言葉に、ハーベイは卒倒しかけた。
「な、なんで祈祷師のあいつがそんなことを」
「……あの、ここは薬草がよく取れるんですか?」
ジェネットはバンローディアが危ない目に合うかもしれないということだけはわかった。その理由が、もしかすると自分由来なものかもしれないと、ハーベイとは少し違った理由だが、胸騒ぎがしている。
「地元の騎士ならわかるだろうから、呼んできます」
東城はじっと地図を眺めている。等高線もなく、簡易な絵によって崖であるということがわかる程度の地図だ。崖下には川が、これも絵と文字として流れていた。
(こんな地図でどう戦うんだ。もう明治も十年だぞ)
測量をせにゃならん。と軍人時代を思い出したが、すぐに忘れようとした。俺は一介の護衛であると、今の立場を守った。
ハーベイが息を切らせて戻ると、その後ろにくっついている騎士が立礼をした。どうやら彼はこのあたりの出身で、この部隊で最も周辺地理に詳しいらしい。
「あそこに生えているものは薬草ではなく、毒です。食すと吐き気を催す類の、毒性はあまり高くはありませんが、この辺りではみな知っていて」
さらに、薬草と形が似ているため、子どもたちにも近寄らせません、と説明した。
話の途中から、ジェネットが泣きべそをかいている。
(私のためだ。薬草について教えてくれって頼んだから)
その涙が落ちる寸前の表情をみて、東城は激しく机を叩いた。こうすれば注目を浴び、たとえ作業でも、それが悲しみや後悔であっても、一時的だが中断するだろうという、彼なりの気づかいだった。
気づかいとしては強引だし、そのあとはもっと強引である
「物見であれば、数は少ない方がいいでしょう」
と、ハーベイに歩み寄り、武器をねだった。
「刀が欲しい」
爛々とするその瞳には、彼の青春の色で染まっている。幕末を生きた男の過去がすべてそこにあった。
「か、カタナ?」
「細くて薄い剣です。ありますか」
「な、なんで武器なんかを」
ジェネットは目を擦りながら、その先に続く言葉に耳を塞ぎたくなるような心地でいる。しかし、口からこぼれ落ちた疑問に後悔する間もなく、
「私が様子を見てきます」
護衛の任務を捨ててでもジェネットの泣き顔を嫌った。自分の行動のためにまた泣くとしても構わなかった。
もし居候がいなくなっても新しい友人がそれを慰めるだろうと、偵察任務という危険に自分を投げ込んだ。
「だめ! そんなのおかしいですよ」
「あなたは一般人です。敵の状況を調べるのは我々の役目であり、それに戦争にもなっていないのに相手を刺激するわけにはいきません」
武器はありますか。と東城は険しい声でまた言った。気圧された地元の騎士が武器庫にならばあるかもしれないと、口を滑らせた。
「案内を頼みます」
「東城さん!」
「ジェネットさん、護衛は得意だなんて言っておきながら申し訳ない。本当に得意なんですが、こればかりは許して欲しい」
あなたのためですとは言えず、他にどう言い繕うこともしなかった。
「待って……勝手ですよ、そんなの」
東城の腕を引いた。彼をして力持ちだといわしめるその怪力でも、その歩みは止まらない。
引き止めることもできず、案内しなければ殺されると思った騎士がこちらへと先導した。が、流石にハーベイも開けることを許可しなかった。粗末な掘っ立て小屋には警備の騎士がいて、彼らは何事かと少し殺気立っている。
「バンローディアのことは我々に任せてください。あなたは祈祷師の護衛でしょう。その任から外れたことをしないでいただきたい」
正論であるし、同行するジェネットもその側に立ち、東城をなんとかこの場に留まらせようと必死になっている。
「ええ。ですが、どうかご勘弁を」
騎士たちを無視し、大ぶりの錠に蹴りを入れた。木製の引き戸と金属がぶつかり合うなんとも痛ましい音が響いた。
「おやめください!」
ハーベイは声を錠を蹴り続ける東城を羽交い締めにした。
騒ぎを聞きつけた騎士たちが四人がかりで押さえつけても、彼は錠前に蹴りを浴びせ続けた。
すると引き戸の方が壊れた。勢いよく戸が外れて内側に倒れ込み、その衝撃から錠前も倉庫の中に転がった。
「嘘だろ」
騎士の誰かが呟いた。自分たちが押さえつけているのただの優男ではなく、人の皮をかぶった獣にすら見えてくる。
「自分で選びますので、もう案内は不要です」
どすのきいた音調に、ハーベイですら怯んだ。背筋が凍るような殺気を放ちながら、武器庫へと踏み入った。
追うものはいない。しばらくすると温和な顔つき男が出てきた。腰に革のベルトを巻き、そこに一メートルもない剣を提げている。
「サーベルというやつですね。お借りしますよ」
ジェネットに目を向けた。似合いますかといわんばかりの微笑でいる。
その眼差しに、少女は意を決した。
「私も行きます」
これには東城よりも騎士の方が慌てた。二人しかいない祈祷師の片方が行方不明なのに、もうひとりまでそれを探しにゆくのではここに集めた意味がない。
「どうか深慮を願います」
口々にそう勧告されても、ジェネットの耳には届かない。敵は目の前にいる勝手な男ただひとりである。
(やはり似ているなあ)
彼に護衛としての自信をつけさせた芸姑の雛菊は当時十三歳の小娘で、両親が歳をごまかし、十六として売られた。
その彼女が東城に、私を買う人は決まっているの、あなたよりもずっと大人で、私が一緒に行きたいと言ったら、頷いてくれたわ、と窓の外から通りを見下ろし、キセルを噛んだことがある。
そういう情景を、東城は思い出した。あの娘もこんな目をして、その買う人を困らせたのだろうと、淡い情動が胸を掻いた。
「ハーベイさん、このことはどうかファイさんには内密に」
懐かしい記憶に蓋をして、無理なことを頼んだ。それはできないと断られると、
「ではジェネットさん、一緒に叱られてくれますか」
と、歩き出した。はいと大きな返事が背中にあたり、くすぐったい。
「隊長、あれどうするんですか」
ハーベイは悩むことにすら疲れたのか、散歩に行ったんだろうと呟いた。
「そんな馬鹿な話ありませんよ。壊れた倉庫と一振り減ってる剣はどう説明するんですか」
「ありのままを報告したら、俺たちも責められる。なんで止めなかったんだってな。止めただろ? 俺たちは。そんなことで責任を取らされるのはごめんだ、理不尽すぎるよ」
何人もの騎士がひとりの男の行手を阻めないとなれば、その程度の騎士が戦争でなんの役に立つのかと問題が飛び火してくるかもしれない。責任者のハーベイは送還されてもおかしくなく、噂になればひどく惨めだろう。彼は全てを東城たちのせいにすることに決めた。
「バンローディアと一緒に薬草を採取しに出掛けた。護衛の武器は俺が選んだ。もし何かきかれたらそうやってこたえろ」
「うまくいかないと思いますけど。ああ、アンヘルよ、どうか彼女たちが無事に戻ってくるようお願い申し上げます」
「俺たちが祈って欲しいのに、これじゃあまるっきり逆だな……」
耳のいい軍人は、騎士たちの恨み言に背中で笑った。
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