第四話 東城の過去

「半生、ですか」


 ジェネットは若干身を乗り出した。若さにあふれた興味津々の様子である。


「いいじゃないか。旅人のそういう話は好きだ」


 ミドも赤ら顔で手を打った。東城のグラスに酒を注いでやると、ためらいがちにだが口をつけた。


「俺の生まれは寒いところでした。周囲をぐるりと山で囲われていて、どこを眺めても青々とした、冬には真白の山々があった。遠くにその山々を眺めるだけで、実に気分が良くなるような、美しい場所だった」


 とんでもない田舎だ。郷愁の色をふんだんに込め、東城は聞き手を無視してグラスに口をつける。


「私がまだジェネットさんくらいの頃に、都で戦さが起きました。というよりも、国そのものにそういう風が吹いていた気がします。詳細は省きますが、俺の郷里は、まあ、負けた側にいました。その筆頭の一つといってもいい」


 ジェネットはおずおずときいた。


「東城さんも戦争に出られたんですか」


 それには軽く頷いて、悲壮のある微笑でパンをちぎる。


「戦はまず都で起こり、だからそこまで行って、行ったはいいが、負けました。どんどんと転戦して、俺の郷里にまで戦火が及んだ」


 ジェネットの悲しそうな顔を見て、東城は慌てた。


「もう随分と前のことですから」


 ミドは椅子に座ったままいつのまにか寝ている。祈祷師の少女だけに見つめられ、少しどもった。唇の震える音が聴こえるほど静かな夜だった。


「それで俺は、い、い、祈ったのです。その、神に」


 その言葉を使うことすら屈辱であるかのようである。

 ジェネットは同意して、そうでしょうともと頷く。その仕草にも、東城は激しい癇癪を起こしそうになった。


「だけど、祈りは通じませんでした。城は落とされ、仲間は死に、さらには幕府にまで……。北の果てまでいきました、雪と血で染められたちっともめでたくない紅白に染まり、ちゃちな銃と刃こぼればかりのオンボロ刀で」


 酩酊が彼の記憶をめちゃくちゃにしている。様々な情景が次から次へと脳裏によぎる。

 東城さん、と呼びかけるか細い声によって我に返った。目の前に確かにいるはずの男から幽鬼のような不気味さが伝わって、ジェネットの体温を奪っていた。


「すいません。酔ったのかもしれません」


 悲しいとか壮烈さとか、そういった感情にではなく、過去の狂気を帯びつつある東城の気迫に涙ぐんですらいる少女に、笑みを向ける。彼の目も潤んでいた。


「辛いなら、もう」

「平気ですよ。あなたの方こそ、聞きたくなければいつでも言ってくれてかまいませんから」


 しばしの沈黙の後、ジェネットは、それが私の役目でもあります、と沈鬱を隠さずに言った。


「祈祷師は、こういう村では、教会のシスターのようなものでもありますから」


 この親身になってくれる少女に、東城は殺意すら抱えている。東城には彼女が辛いはずの告白の聞き手としてではなく、逐一神の存在を確実にしようとする愚かな女にみえていた。

 だからこそ、続きを語らなければならなかった。


「祈りは、通じなかった。戦さだからそれは当たり前だと、そう思いますか」


 ジェネットはこたえられず、またそれを求められているとも思えなかった。


「それほど信心深かったわけではないが、参拝とか初詣とか、墓参りなんかもしていました。熱心には程遠いけど、神仏や祖先の霊を心のどこかでは敬っていた」


 ような気がします、と言う。


「しかし、そういうのは、いざという時に頼りにならない。姿を現さないから。俺の祈りが弱かったからだと、そう思うかもしれませんが」


 ジェネットの脳裏に必死になって祈ったであろう東城の姿が浮かぶ。先ほどの剣幕で神々の名を叫び、泣いたのだろうと容易に想像できる。


「だから、ええと、祈祷師のあなたに大変失礼なことを言うようですが、俺はあまり信じていないのです。その神とか、祈りとかを」


 東城にしてみれば、かなり優しい表現をした。本当は大嫌いで微塵も信じていないのがこの男なのだが、ジェネットを見ているうちに、なんだか彼女が気の毒に思えてきて、ごまかすようにすっかり冷めたスープで口を濡らした。

 

「もう少しで終わるから、辛抱してださい」


 ご機嫌取りのような物腰の柔らかさで少女を労った。


「あなたは、その後どうなったのですか」


 そのせいというわけでもないだろうが、ジェネットは微笑を浮かべた。


「戦さに負け、しかもそこの生まれですから。まあ色々あって、軍人になりました」

「軍人、ですか」


 彼女は微かに肩を震わせた。その響きすら恐怖の対象であるかのようである。


「ええ。それで、ここからが不思議なんですが。私の三十路と昇進の内示が重なって、祝宴を催してもらったのです」


 それのどこが不思議なのかとジェネットは首をかしげた。


(三十路……意外と)


 不思議なのは、その見た目の方である。外見よりもずっと若く見えた。


「老けて見えますか」

「いえ。そんなことは」


 顔に出ていたのか、東條ははにかんだ。

 髭もなく、体つきは細いながらも筋肉の鎧で覆われていて、真っ黒な頭髪を後ろにかきあげているので、実に精悍で爽やかな風貌である。


「そうですか。それで祝宴でのことです。解散となって、その帰路です。俺は泥酔して玄関端で眠り、そのまま死んだのです」

「え? し、死んでしまったのですか」


 話が唐突に終わり、ジェネットは食い入るようにその死んだはずの男を見つめた。


「そう。次に目が覚めると女性がいまして。彼女は運命の神フォルトナと名乗りました」


 ジェネットは半信半疑である。怪訝がありありと顔に浮かんでいた。


「フォルトナ様が?」

「ほら、さっきも言いましたが、俺は信じるものが少ないから、そのフォルトナが言うことには、見定めたいとのことで」

「何を」

「この信心のなさがいつまで続くのか。そういう嫌がらせをしたいと言っていましたよ」


 馬鹿げているとあざ笑ってもいいのだが、ジェネットは祈祷師であり神との距離が近いぶん、疑う程度で済んだ。それでも容易には信じられないことだった。


「そんな理由で、神があなたを生き返らせたのですか」

「半分はそうでしょうね。もう半分はわからない。聞けずじまいです」


 ジェネットは首をかしげたり、空腹も思い出したのかパンをちぎったり、ちょっとせわしなく動いた。視線だけは、時々東城を捉え、すぐに外した。


「話が本当なら、間違いなく神様のおこした奇跡です」


 違うなどと言っても平行線になると直感した東城は、どうだろうと濁した。きっぱり否定しても、ジェネットは譲らないであろう。


「それにしても、お礼を言わねなくてはなりませんね」

「フォルトナ様にですか」

「あなたにです。あまりあなたが好むような話でもなかっただろうに、聞いてくれたから」


 軽く頭をさげると、席を立ち、もう寝ますといって借りている部屋に引っ込んだ。こんなに長く自分を語ることなどほとんど初めてだったので、照れている。


(なんだか怖い人)


 というのが、ジェネットの素直な印象だった。そのくせ強い関心がある。

 祈祷師であるからこそ、東城の神嫌いをどうにかできないだろうかと頭の片隅で考えた。


「明日、お祈りに誘ってみようかな」


 そうしようと意気込んで、父親を寝室まで運び、部屋の片付けをし、自らも眠った。その間、どうやって東城を誘うかを考え、飛躍し、信心深くさせるにはということにまでいたった。


「よし、やるぞ」


 自分のベッドで横になり、小さく決意した。やる気になると、東城の意思やその他の障害にはあまりとらわれない性格だった。東城の根底にあるどろどろした感情は、当然まだ見えていない。

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