第三話 居候

 東城はミドに気に入られた。この小さなエルム村の誰よりも酒に強く、また新しい友人ということもあって、しばらく泊まっていけとほとんど懇願された。


 だが反射的に断った。長居するのも申し訳なかったし、それに祈祷師の娘にはなんだか嫌われているような気がしたからだ。

 それでもミドはしつこかったので、畑仕事を手伝うという条件で了承した。普通は東城がそうやって頼み込む側なのだが、それで両者とも合意した。


「おはよう」


 ジェネットが寝ぼけながら起きてきた。これから朝食という時間だが、すでに東城は畑に出て、草をむしったり、あぜ道を整備したりと、早朝にもかかわらず汗まみれになっている。

 ミドは顔を洗っているジェネットに、東城を泊めることを伝えた。


「え、うちに泊まるの?」


 水の雫が床を濡らす。よほどの衝撃だったらしく、顔を拭くのも忘れている。


「そうだよ。しばらくの間だけどね」


 ジェネットは、控えめに抗議した。まだ彼女の中で東城は、薄汚い山賊のようなイメージかしかないのだ。


「悪い人じゃないよ。土いじりだって慣れていたし」

「でも」

「気になるならよく話してごらん。今晩にでもそうしなさい。きみの居心地が悪くなってもいけないし、お客さんに気を使わせるのも良くないからね」


 そう諭したが、ジェネットはまだ不満そうにしている。お祈りに行くと言って話を打ち切り、家を飛び出して行った。


「照れているのかな」


 ミドはまた見当違いに、娘の情緒の発達を嬉しく思いつつ、寂しいような心地になった。東城が作業している畑まで向かうと、あぜ道に腰を下ろしているのが見えた。


「広い畑ですね。まだ半分も終わっていない」

「言ってなかったね。隣のあれもうちのだよ」


 昼になると、ジェネットが大きなバスケットを持って二人を呼んだ。昼食は彼女が作っているらしい。


「お父さん、嫌なことされてない?」


 東城と少し距離を置いて、さりげなく耳打ちした。


「もちろん。むしろよくしてもらっているくらいだ。働き者だよ、彼は」


 ジェネットが疑いの眼差しを向けると、一心不乱にサンドイッチを頬張る東城がはにかんだ。


「いや、俺も洋食くらい食うのだが、これはうまいな。店で食うよりずっといい」


 飯が終わると、ジェネットも農作業に参加した。彼女が祈りを捧げる大木を村では神聖視し、午前中はその神木に祈りを捧げるという。


「祈祷師とは」


 草むしりもほとんど終わりかけた頃、東城は緊張した面持ちできいた。突然だったので、ジェネットは身構え、その様子からミドもなんだか落ち着かない。


「神に祈るとか、そういうたぐいでしょうか」


 手を止め、タオルで汗をぬぐった。彼は何が言いたいのだろうと、とりあえず頷いた。


「そうですか」


 これだけを言って、手を洗う場所をきいた。ジェネットも不思議そうに指をさして伝えた。


(神はいない。だが、あのフォルトナが幻覚だったとは思えん)


 運命の神と名乗ったフォルトナについて祈祷師のジェネットならば何か知っているかもしれない、そんな思いであったが、失敗した。きき方かまずかったと少し反省している。


(嫌われている。ごまでもすろうか)


 井戸から水を汲み、頭からかぶった。うまい文句を探していると、口からそれが出ていたようで、やってきたミドに不気味がられた。


「東城、薪を割ってくれ」


 ミドはこの男に何か仕事を与え体を動かしてやらねば狂うのではないかと心配した。時折ぶつぶつと何かをつぶやき、ジェネットをにらんだり、虚空に視線を彷徨わせたりするからである。


 一応は、理由があった。

 ジェネットとの会話の糸口を掴むためである。女性が苦手というわけではない、人見知りでもない、だが神を肯定しきる人間への抵抗感があった。

 俺とは違う人間だが、その人間性までをも否定してよいものかと、口をひらけばついいつもの自分が現れるのではないかと恐れた。

 ほとんど初対面であり、なおかつ少女である。自分の行為が彼女を傷つけはしないかと、それを恐れた。


 その日の夜、食事はパンとスープ、煮た葉物だけの質素なものだが、団らんといえた。もっとも、ジェネットは無口だった。


「この辺は静かでいいところだな」


 東城は人一倍に飯を食う。それすらもミドは喜んだ。ちょっと病的な男だと視ているため、健康的であればあるほど喜んだ。


「そうだな。何年か前までは戦争があったんだが、今はもう静かなものさ」

「戦争?」


 東城は片眉をあげ、そのあげた方の目を見開いた。驚いたりするとよく現れる彼の無意識の癖である。大抵は相手を怯ませてしまうが、ミドはもう酔っていて気にしていない。

 

「ああ。国境が近いからね。俺たちはその後に越してきたのさ。ちょっと、訳ありでね」


 奥方と関わりがあるのだろうと、東城は察した。ミドの寂しそうな表情は、写真立てを眺める時のそれと同じだった。


「ところで、ジェネット」


 しまったとすぐさま反省した。咳払いをして、


「ところで、ジェネットさん」


 と、言い直した。怖がらせてはなるまいと苦心した結果である。

 東城の心の機微にジェネットは無関心だったが、彼はその失敗に勝手に恥ずかしがった。


「なんでしょう」

「ああ、その、祈祷師というのは、何をするものかと思って」


 東城が思うよりもずっと柔らかくジェネットは答えてくれた。


「興味がおありですか? そうですね、祈りを捧げること、でしょうか。それによって恩恵を授かってはいますが、そのこと自体は重要ではありません。祈りこそが全てです」

「お、恩恵とは」


 あまりにきっぱりと断じるので、東城は神嫌いの発作をこらえるのに必死になった。


「魔力を分け与えてもらっています」


 魔力とはなんだ、などとは聞けなかった。それよりも悪い虫が暴れ出し、頬の引きつりをパンをかじることでごまかした。

 スープを流し込んで、ようやく落ち着いた。神になど祈るなと大声でかましてやりたかったが、あれは身内の集まりだけでのことと、彼なりに自制している。


「そうだ、その神とはフォルトナという名でしょうか」


 その瞬間にジェネットは目を輝かせたが、しかしすぐに冷静さを取り戻した。


「はい。運命と支配を司る神を祀っています。あまり、というかほとんど無名の神ですが、どこでその名を」


 それを説明すれば、頭のおかしい男だと思われるに違いない。

 東城は他人からどう思われようが、そのことに頓着しない。しかし、居候の身であるし、せっかく掴んだ会話の糸口を台無しにするようなことは避けたかった。


「ん、どこかで聞いたのかもしれませんが、忘れてしまいました」


 なので強引ではあるがそうやってはぐらかすしかなかった。

 ジェネットはこの男に対して、初めて興味らしい興味を持った。薄汚れた山賊のような男から、東城という神の名を知る男になった。


「よかった、てっきり神聖な地を踏み荒す無頼者だとばかり」


 それに近い男ではあるが、乾いた笑いで流してしまった。


「東城さんは、どうしてあの場所にいたんですか?」


 もう打ち明けるしかないと思った。誤魔化すよりは告白してしまおうと、酒の勢いも借りて覚悟を決めた。少し口ごもり、水をがぶがぶと飲んだ。


「つまらないでしょうが、俺の半生をきいてほしい」

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