2021年2月15日(仏滅)

 明くる月曜は激しい雨であった。

 りょうは学校を休んだ。

 明衣は『おい、ずるい』と朝一でメッセージを送った。


 これの返事はなにかペン状のものをつまんだ画像だった。その手はたしかにりょうの手だった。

 持っているのが体温計と気づいた瞬間、明衣はどきりとした。


 だが、その表示温度が38・2度であるのを見て安堵した。covid-19であれば37度台中盤である。それを大きく超えている。

『しかたない。きちんとあったかくして寝とけよ』

 『了解』というスタンプだけが帰ってきた。


 放課後、音楽室に出向き、明衣はそれを未來に渡した。

 不思議そうな顔をする未來に、明衣は言いにくそうに事情を説明した。未來は半笑いでこれを受け取り、中身をみてしっかりと喜んで見せてくれた。

「ありがとーお大事にって伝えといてー」

 と言って――。


 その日はソプラノの練習日であり、明衣は合唱部の友達に挨拶だけして帰った。

 昼下がりに雨は止み、既に下校途中の部員達からSNSで、虹の画像がいくつも流れてきた。

 明衣も同じく虹を探して空を仰ぎながら、学校からまっすぐにりょうの家に寄った。

 手には昨晩遅くまでかけて作ったチョコレートと、途中でコンビニで買ったいくつかのチューブタイプの栄養補助食、そして畳まれたビニール傘をもって。


 りょうは、玄関前で明衣を留めて、家には上げなかった。明衣にうつす事をさけるためだ。

 軒先で出迎えた彼の姿は寝間着にマスク姿だった。

 手をのばしあってかろうじて届く距離感よりは近寄ろうともしない。


 仕方がないので、明衣はそのまま家の前でチョコと栄養食を渡した。

 それからすこしぶっきらぼうに尋ねた。

「熱は?」

「今は解熱剤効いて下がってる。味も匂いも問題ない」


 ――味覚や嗅覚の異常は、covid-19の象徴的な自覚症状である。


「インフル?」

「予防接種打ってるから、たぶん違う。明日も熱があるようだったら病院行く」

「そう」


「そっちは大丈夫か?」

 そう問われて、明衣は少し考えた。

「とりあえず大丈夫。アレルギーの薬が切れてくると鼻水出るくらい」

 りょうは納得して相槌を打った。


「よかった」

「丈夫だし、うがいもきちんとしてるから」

「そっか、俺は休みの間、そんなにしなかったからかな……」

「んふふ、不摂生め」

「ああ」


「とりあえず生きてるみたいだから、これで帰るわ」

「うん。ありがと……ごめんな」

「仕方ないよ。お返し、ちゃんと受け取ってくれたよ」


「うん、知ってる。インスタに画像あげてた」

「そっか。気に入ってもらえたってことかな」

「うん、たぶん」

「先輩も、お大事にって」

「うん」


「ちゃんと治してから来なよ。中途半端に熱が出てると、疑われるから」

「ああ、そうする」

 そう言い交して、明衣はちいさくばいばいと手を振った。


 りょうは少し不安そうな眼をした。

「駅まで送らなくて、大丈夫か」

「パジャマで来る気? 平気だよ。まだ明るいし」

「そうか、気をつけてな」


「うん」

 そう返事して、もう一度手をふって、今度こそ背を向けて明衣は独り家路についた。


 駅まで徒歩10分。

 日暮れ時、ふだんはふたり連れの歩きなれた道が少しだけ長く感じた。

 帰り道の途中、りょうからメッセージが来た。


『これはずるい。笑うわ』

 明衣はくすりとした。

 手作りのトリュフチョコに添えたメッセージカードにこう書いたのだ。

 筆ペンで『ごでぃば』と。


『笑う元気があってなにより』

 そう返して、スキップを踏んで帰った。


 ――その後、明衣に発熱が出ることはなかった。

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