2020年12月24日(友引)~2021年1月8日(大安)

 冬が来た。

 海外ではワクチンの開発が済み、接種と量産を始めている国がある。

 一方で国内外を問わず、厳密には何度目かもわからない感染者数増加が発生している。海外では年を越してのロックダウンを決めた地域も出ている。今年は都内の電車の大晦日の終夜運転がなくなるという。

 これに伴うそれぞれの混乱を横目に、2学期は粛々と終わろうとしていた。


 2学期終業式の日、合唱部は毎年の恒例行事としてクリスマスキャロルを中庭で歌う。

 この行事だけは『屋外で行うから』という理由で許された。

 むろん合唱部員も観客も、全員マスク着用の上だ。


 ――もっとも、合唱部員が校内でマスクを外して歌ったのは、蝶々夫人の本番のアクリルブースの中が最後である。10年生に至っては、高校にあがってからマスクを外して歌った経験自体がない。

 部内での歌唱時のマスク着用はすでに当たり前になっていた。


 終業式のあと、中庭の一角にその年の合唱部員が全員揃った。

 観客は自由意思で集まった生徒達である。

 中庭で聞く生徒は、数えるほどであった。遠巻きに集った合唱部のOBOGの方が多いくらいである。

 代わりに、2階席3階席のように中庭を見下ろす廊下沿いの窓の方がまだは多い。


 見える顔は皆、部員の誰かの友人ばかりである。

 無理もなかった。

 校内には合唱部の活動を『感染リスク』などと呼んで冷たく見ている生徒もいる。そうした生徒は、今月に入って急増しつつあった。

 それを原因としたいじめが発生していないのが唯一の救いである。


(もしかしたら本当にこれが最後かもしれない)

 ――彼らを前にして、りょうは心からそう思った。


 何しろ12月の時点で、本来なら2月に予定されているはずの音楽祭の予定が公表されていない。或いは中止もありうるということである。

 ――いや、音楽祭はおそらく中止になるだろう。そういう見方がかなり強い。


 この12月上旬、公立中学校の校内合唱コンクールの練習中に集団感染が発生したためだ。これは練習に参加する一般生徒の感染対策の徹底の難しさが背景にある。

 同じ事態の発生を、学校側は当然警戒するだろう。その時、なだれのように合唱部の定期演奏会にも待ったがかかる可能性がある。


 そうなれば、これが表立って歌う最後である。

 ――誰もが寒さをこらえるように、その可能性を想うことを耐えて、歌声を発していた。


 歌い終わった後の拍手の中で、一同は速やかに解散し、各教室に戻る。


 ……退場の途中、明衣はあることに気づいてぎょっとした。

 12年のアルトのパートリーダーが黙って涙を流しているのである。

 校舎に入ると、明衣はすぐにその先輩の傍につき、ハンカチを差し出した。


 すると彼女はたまらないというように「蝶々さあん」と明衣をハグをした。

 明衣もこれを受け入れて、よしよしとなだめる。

 この異変に気付いて集まってきた12年の部員達が囲む。


 ほどなくその中のアルトの先輩が明衣の肩を代わる。

「ありがと、この子はうちらで引き取るから、明衣ちゃんは教室に戻って」

 そう促されて、明衣は会釈のようにうなずき、そっと身を引いた。

「こわかったよう。歌っててこんなに怖いの初めてだよう」

 肩を代わった先輩の胸の中で、パートリーダーはそう嘆いた。


 それをきいて、明衣はもらい泣きしそうになるのをこらえて、自分の教室に戻った。


 クリスマスキャロルの後、ホームルームを終えると、合唱部員達は音楽室に集合する。

 定期演奏会の練習ではなく、ささやかなパーティをするためである。例年の非公式な恒例行事だった。

 そこでは有志が余興をしたり、何か即興で歌う。

 例年であれば事前に部内からカンパを集めた上で、お菓子も飲み物も用意されている。誰かがお菓子作りの腕を振るってクッキーやカップケーキなどを作ってくることもある。


 だが今年は慎ましくなった。まず飲み物からして各自、持ち込みになった。

 そのためにりょうを含めて数名の部員は、一度校外へ出てコンビニまで走るはめになった。

 菓子も大袋入りで売っているような一口大の個装のクッキーなどがいくつか配られた程度である。

 余興もグループではなく、希望者が数名独唱で歌う程度だった。


 その中で印象に残ったのは、テノール12年の浦木先輩のギターの弾き語りだった。

 弾むような調子の曲で、曲名は言わなかった。だが、明らかにコロナ禍という現状への叫びのような歌だった。


〈街は今霧の中 透明の霧の中――桜を見りゃ紛れるか 梅雨が来れば治まるか 馴染みの店から灯りが消えて 歌が干上がっていく――まだ今は辛抱だ まだ死んだわけじゃない――歌が溢れる その日を待つ〉


 りょうはすぐに歌詞を検索して中村中という歌手のカバーした『一杯の焼酎』と知った。

 ほかの余興の合間にりょうが「いい曲でした」とダイレクトメッセージで称えるとすぐに返事が来た。

 「初めてコードの耳コピをした」と照れた絵文字つきで返ってきた。


 パーティの慎ましさを補うように、シメのビンゴ大会は去年より豪勢に執り行われた。

 りょうは、去年のビンゴで何も取れなかった。それは今年も同様だった。明衣もカードの穴は開くのだがなかなか一列に繋がらない。

 一方で、未來は早々に列を揃えて駄菓子の詰め合わせを確保。さらに勝負を続けてダブルを成し遂げ、ピアノの鍵盤柄のエコバッグに景品を昇格させていた。


 歓声をあつめる未來へ、りょうと明衣は少し離れた席から拍手を送った。

 この日はめずらしく、部のパートごとのかたまりになることもなかった。それは部内にいくらかのカップルや友達グループが構成されつつあるという事でもあった。


「やっぱ先輩って持ってるタイプだね。うちのママが言ってた。ビンゴに強い人は人生での引きも強いって」

 明衣がそう言うのを、マスクの中で菓子を頬張りながら聞くりょう。一瞬だけマスクをずらして、ペットボトルの冷めきったコーヒーを流し込む。

「そうなの?」


「ママの仕事関係って、前に話したじゃん」

 明衣の母親はアニメの制作会社に勤務している。高校時代は友達と即売会に同人誌を出すほどの筋金入りのオタクだったらしい。だが、皮肉なものでカエルの子が必ずしもカエルとは限らない。明衣の中学時代の友達作りはそこで失敗した。

「うん、内緒のやつね」

「全体の打ち上げで声優さんとかも来るらしいんだけど、そこでやるビンゴ大会、売れっ子の人はマジで強いんだって」

「そうなんだ……なんか遠く感じるわ。それ聞いたら」


「ねえ、受験終わったらコクってあげなよ」

「え?」

「もう言わない」


「馬鹿、おまえと付き合ってるのになんで告白するんだよ」

「してあげなよ。彼氏と別れて受験なら絶対フリーだって。振られたら拾ってやるから」

「振られなかったらどうすんだよ」

「その時は……」


 明衣は自分で言い出しておいて、少し泣きそうな顔になる。それを振り払うようにぷいっとそっぽを向く。

「――どうした。俺のこと飽きたか」

「そんなわけないじゃん。リアルでゲーム一緒にやんの、あんたくらいしかいないのに」


「いや、友達増やそうよ。アルトに誰かいないの?」

「スマホでやるようなヤツはクラスの女子とかともやるようになったよ? けど、本気でやるやつは、あんたくらいしかいない」


 二人は少し黙った。

 りょうが、飽きたか、など言い出すのにも理由はあった。

 水族館デートで急速な接近をした距離のまま、二人の関係は水平飛行を続けている。元々友達としての仲が深かったというのもある。


 むろん何かの弾みに、ほんの気まぐれにマスクなしで唇を重ね合ったことくらいはあった。

 だがその感触も、互いにとってはまるで子犬に口元を舐められているようだった。青春映画のような世界が静止する感覚も、アメリカ映画のように熱烈に求め合う衝動もなかった。


 一方で明衣は生理前の不調が来るたびに慰めを求めるようになった。

 だがそれもりょうの膝の上に座ってただ抱擁し、明衣が抱え込んだ不安な気持ちを言葉にするというものだ。

 最早、恋愛の交流というよりそういう類いのセラピーに近い。


 あるいは、友達として馴染み過ぎたせいだろうか。

 それとも、セックスまでいけばまた何か変わるのだろうか。

 これも、中学時代の男女の友情の話し合いのように正直に思うまま話し合って、ふたりなりに結論を出していた。


 まず、仮にセックスで何か変わったとしてもそれは体感的な性の快感でしかないだろう。一緒に何かで興奮するという程度であれば、ゲームで協力プレイでも満ち足りている。

 何より、セックスという行為自体がそれなりにリスクがある。

 失敗したら、人生を犠牲にすることになる。自分達がプレイするゲームが現実の危険性を伴うものに替わるだけだ。


 そういうスリルは互いに求めていない。幸福感で十分だ。だからセックスはしない。

 どうしてもしたくなったら、その時改めて気持ちの強さを確認し、どうするか考える。

 ――そういうことで落ち着いている。


 りょうは煩わしそうにため息をついた。

「変な事言うなよ。全く、コクれとか」

 その目元を、明衣はしばらく覗き込んだ。そして何かを見出したようにほくそ笑む。

「あれ? 少しその気になった?」


 りょうは照れてそっぽを向く。

「少し考えつつある。……いや、たぶんできない」

「なんで?」


「おまえなあ、告白に成功すれば俺らの関係はどうなる。耐えられないだろ、泣き虫」

「ふん、そんなこと言って、振られるのがこわくなったんだ」

「それは……なくは、ないか」

「……失うのは怖いもんね」

「ああ、明衣を失いたくない」


「大坪先輩を失うのが、怖いんでしょ」

「それも、怖い」

「けど、そういう態度で居たら、どっかの誰かにとられちゃうよ。先輩、花があるし引きもいいから、大学生にもってかれちゃう」

「あの人は、そういうので一度傷ついてるんだよ」

「そうなの」

「ああ、前に話してくれた」


「ねえ、その話帰ったら詳しく聞いてもいい?」

「なあ、もしこれがLGBT関連だったら、明衣が俺に求めてるのは多分アウティングだ」

「そっか、じゃあいいよ」

「ごめんな」

「ううん」


 パーティがお開きになった後、ふたりは一度駅で別れた。

 りょうも明衣も一度家に帰って私服に着替え、二人の最寄り駅のほぼ中間にあるターミナル駅で待ち合わせた。

 そして駅前通りから一本裏手に入ったところのカフェで互いにプレゼント送り合った。

 りょうから明衣へは通学で使用しても問題のない範囲の柄のマフラー、明衣からりょうへはスマホケースだった。

 ――ふたりともに、この時はそうは思わなかったが、冬休みの間、これがふたりで過ごす最後になった。


 冬休み中、明衣はりょうの家へは来なかった。

 部活の練習もないため、通学の理由がないからだ。明衣の両親はあいかわらず電車での感染に気を使って、娘を引きとめていた。

 りょうも、そういうことであれば仕方がないと受け入れていた。その分、ゲームやゲーム抜きでの通話などの時間を増やした。


 休みに入る前は、りょうの方から明衣の家へ遊びに出向こうか、という話もあった。だがこれには待ったがかかった。それほどに東京の感染状況は悪化を続けていた。

 実際に、ふたりとも――というより両部の多くの部員が――この冬の初詣はとりやめにするという話だった。


 そうして年が明けた。

 初詣も親の実家への挨拶旅行もない。祖父母からりょうへのお年玉は銀行口座への送金で届いた。ありがたかったが、なんだか申し訳ない感じがした。


 かわりに部員達とのはがきでの年賀状のやりとりが去年より増えた。りょうもまたそれぞれに年賀状を送った。

 ――それでも、の再来のようなさびしさには違いはなかった。


 加えて、年が明けて間もなく再び首都圏に緊急事態宣言が出るという話もあがった。

 もっとも、今回は当初より学校活動についてはおおむね抑制されないという話が出ていた。

 それでも、部活動については制限が出る可能性は低くない。

 合唱部も演劇部も震撼した。

 特に合唱は都から名指しで当面の活動の停止を求められた。これが3月末まで吹き飛ばすようなものなのか、緊急事態宣言の解除とともに緩和されるものかはわからない。

 緊急事態宣言の方は、一応、感染状況の改善とともに解かれるという説明はされている。

 そうなると、最終的には『その時、私立校である美星高校がどの程度腰が引けるか』というところである。それによっては去年と同様、合唱部は三学期の予定がまるっと吹き飛ぶ可能性があった。


 だが、その冬休みも明日で終わるというころになって、良い報せも入ってきた。

 大坪未來の大学合格を報告するラインが回ってきたのだ。

 彼女が受けたのは、総合選抜型での昭和音楽大学の声楽科である。

 同校は今年、総合選抜での実技および面接試験をズームによるオンラインで受験可能としている。つまり、かろうじてこの冬のcovidの感染再拡大の影響を回避した形である。


 お祝いの言葉がライングループ上でにぎわう。

 だが、それを見ながら、りょうはただ一人戦慄した。

 明衣に吹き込まれた『受験が終わったら告白する・しない』という話である。

 彼女もその件を忘れていないようで、『頑張れ』とだけ書かれたメールが届いた。

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