2021年1月9日(赤口)

 3学期始業式を迎えて、ほどなく良い知らせと悪い知らせが合唱部にあがった。

 良い知らせは、定期演奏会の開催の決定である。

 そして悪い知らせは、学校行事である音楽祭の中止、および1月31日までの部活動が全面休講になったことである。

 これは、都の発した都立高校への指示に倣うものである。


 悪い知らせについては、ひとえに1月8日に発令された緊急事態宣言およびそれに先立っての東京都知事によるコロナ対策対応の指示によるところである。もっとも、昨年の春の学校生活を奪ったそれとはだいぶ異なり、規模は限定的であり、学校生活への影響もかなり低減されたものになった。

 しかしそれ以前より、音楽祭の中止は、一般生徒のマスク着用を含めた練習時の感染対策を徹底することの難しさを懸念して、年末の時点でほぼかたまっていたという。

 昨年までであれば、その難しさをクリアするわずかな望みとして、ワクチンの接種が期待されていた。

 しかし健康な未成年はcovid-19感染時の重症化リスクが低い。

 また、国内でのワクチン接種が2月下旬以降になるという政府の見解の通りでは、とうてい間に合わない。


 にもかかわらず、合唱部の定期演奏会の開催にはゴーサインが出たのは、矛盾しているようだが一つの成果と、開催予定時期が理由であった。

 理由としては、ひとつは美星の合唱部がすでに存在している全日本合唱連盟によるコロナ対策ガイドラインに準拠およびそれ以上の対策を徹底している点である。

 また、定期演奏会の想定される時期は3月の下旬である。その頃までであれば、ワクチンの国内摂取もはじまっており、感染状況の改善が進み、緊急事態宣言も解除されている頃だろう、という判断である。

 くわえて全校行事とでは会場も来場者および出演者も規模が違う。

 そして平時からの部員達の感染対策の徹底が充分に評価されたのだ。

 ――よって、かろうじて中止をまぬがれたのである。

 そのかわりに他部と同様、当面の部の練習を禁止とされた。


 部としては最悪の事態への備えとして、2学期の末の時点である程度の対処はしていた。

 音取り用の音源、PDF化された楽譜の各部員への配布である。

 つまり、各家庭での個人練習への備えである。これを早速使うことになった。


 会場は幸いにして例年利用している市営のコンサートホールを確保できた。

 なお、ホール側の感染対策対応のため、観客は全員事前予約制およびオンライン配信となる。


 更に学校から合唱部に演奏会の条件として『楽譜メーカーが販売している歌唱用マスクを部員全員分購入、それを着用して登壇する』という要請があった。

 これは『なぜ合唱部がよくて音楽祭がダメなのか』という校内からの意見への対応策としての側面もあるもののようだった。

 だが、実際としては内側にフレームを仕込んだ不織布マスクのほうが飛沫抑制の効果は高い。あくまでもパフォーマンスとしてである。

 これに対して顧問の間宮は『本番では重ねて使おう』という形で落ち着いた。


 合唱部OBOG会から支援が入り、速やかに全員分の歌唱用マスクの確保に成功した。

 波乱は含むものの、結果的には無事の開催確定である。


 その一方で演劇部の3月公演は、中止となった。

 例年通りであれば演劇大会の上演演目の出演者と演出を変えて、12年生の卒業公演になる。

 だが、今年はその舞台となる小ホールに観客を入れられないのだ。学校側から感染対策が不十分として、認められなかったのである。


 既に商業演劇は一定基準の感染対策を講じた上であれば、一般公演は認められている。

 だが、高校演劇はそうではない。特に校内での自主公演となれば、その責任は学校側が負担することになる。

 その学校から待ったが掛けられてしまっては、どうしようもなかった。


『オペラ部』と同様にリモート公演で――という案も、10年生からは出た。

 だが卒業公演の主役であるところの12年生の3人がこれを嫌がったのだ。


 ――これを話し合うミーティングの場でも、やはり全員がジャージだった。

 5月の時と違いがあるとすれば、人数が倍に増えたことと、ジャージの上にコートを重ねているのが何人かいることくらいだろうか。


「やっぱり、演劇は客がいて成立するものだよ。確かにオンラインも楽しかった。だけど、実質ゲネプロで終わるだけ、客の空気感もない客席は、味気ないよ」

 沖原の言葉に、他のふたりもうなずくばかりだった。


 10月の高校演劇地区大会も、一般来場ナシ、客席は審査員といくらかの関係者のみという形で行われた。

 それを経験した10年達も、これには納得するところがあった。

 

 明衣も文句のつけようがなかった。彼女なりに実感があるのだ。

 蝶々夫人の収録の時、真っ暗な客席はゲネプロという無観客の稽古とほとんど違いを感じなかった。

 それは『次、本番です』という声がかかっても実感がわかなかった。油断すると、舞台の上で役を離れて我に返ってしまうのではないかと思うほど、空虚だった。


 だが、いざ始まると合唱部の歌い手達が出番を終え次第、客席に回って舞台を見てくれた。

 場面が進み、その人数が増えるに従って『人前で演じている』という実感はいくらか高まった。それはとてもありがたい感覚だった。

 そこに自分達のしていることの意義を、強く感じることができたのだ。


 高田はこう言った。

「どうしてもやりたければ、次の世代だけでやって。私は地区大会で十分燃え尽きたから」

 他校が脚本ないし演出を顧問が行う中で、彼女は受験と並行して自力で脚本と演出を成し遂げた。その達成感だけで十分、というようだった。


「お前は結局、今年は出演せずだったな」

 沖原に言われて、高田は不敵に笑んだ。

「そっちの方が向いてる人が、演劇部やってたっていいでしょ?」


 そういう彼女に、沖原はにへらっと笑った。

「かっこいー」


 茶化すような言い方に、高田は目を剥く。

「ちょっと! 今ので台無しなんだけど」

 これにPA室はけらけらとした笑い声があがった。

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