2020年8月末

 9月を目前に、オペラ部の練習は再開された。


 国際ニュースはブラックライフマター運動の中での悲惨な出来事や、ワクチン開発の進展を報じていた。国内は安倍総理の辞意表明などがあった。

 だが美星高校では、それらは世間話程度のものとして、粛々とそれぞれが備える日々を過ごしていた。


 共同企画『オペラ部』の主な練習場所も、音楽室から舞台設備である小ホールに移った。いわゆる本番を想定した通し稽古に移行したのである。

 演劇部の演劇大会組の小ホール使用日は、音楽室での立ち稽古型の練習になる。


 それにともない、部員全体の複合した交流も増えた。10年生達は教室での友達作りに苦労していると先輩らに吐露するようになっていた。

 例年であれば夏前に聞くような話を、この時期にしているのである。


 美星高校の合唱部は代々、教室に居づらい子らのシェルターのような毛色があった。


 学年の上下関係が軽く、価値観や話題を無理に合わせる必要もないからだ。

 ――ただ発声を揃え歌声を重ねれば、それは一つの響きとなってまとまる。そしてその一体感は、自然と存在を肯定されているような感覚を各自にもたらす。

 それ自体が人間関係としての調和にも好影響をもたらすのである。


 もっとも、今年はその実感を得辛い状況がこれまで続いていた。皮肉なことに、合唱を禁じられた中での苦肉の策の『オペラ部』企画が分断させていたのだ。


 小ホールの舞台上の上手下手に、三方をアクリル板で囲われた歌唱用ブースが据えられていた。

 客席から見るとプラスチックケースのようなそれは、演劇部の持ち出しで用意された。舞台上にあるものはピアノとこの歌唱ブースのみである。


 録音撮影機材なども、ほとんどが演劇部側の用意である。元々は、地区大会からリモート上演もありうることを想定した備えだった。


 ――幸いにしてそこまでcovidの感染拡大は深刻化せず、地区大会は無観客上演での審査だという。

 それでも今夏の高校演劇全国大会はリモート開催になり、審査も賞の授与もなかった――。


 なお、コーラスワークは舞台袖から歌う。それらに囲まれた舞台で、演劇部員を中心とした役者陣が各役の身振りを担う。

 合唱部から抜擢された身振りの脇役たちは原則的にマスクを着用。演劇部側からの出演者である主要4役だけがマスクなしで演技をする。


 そうしなければ、一幕中盤に舞台上が過密になるためである。

 ――蝶々が芸者仲間を率いて登場。そこからの結婚式。更に坊主が蝶々のキリスト教改宗を怒って殴り込んでくる――までの一連の場面がそうだ。


 なお合唱部側のソリスト達は、アクリル板のブースの中ではマスクを外して歌う。

 囲いの中に入ってようやく、歌い手たちは自由になるのである。

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