第4話 京助のお願い

 源蔵はお美代を、細い路地二つ向こうの家に送り届け自分の長屋に戻る途中だった。


 まだ沈みきらない夏のお天道様――。


 源蔵は提灯ちょうちんを使わないでも道を歩くことが出来た。


「おみっちゃん。おめぇはいずれ、あの呉服問屋に嫁いじまうのかい?」


 ここにはいないお美代に話しかけて源蔵は切ない気持ちにかられた。

 源蔵はお美代に長らく、秘かに想いを寄せている。


 お美代の働く呉服問屋にはちょうど嫁探しを始めた息子がいる。

 以前お美代を訪ねた時に店先で楽しそうに話すお美代と若旦那の姿を見たのを源蔵は思い出していた。


 源蔵の前に鼠を野良犬が追いかけて横切ると、はたと我に帰った。

 源蔵は自分の想いが虚しかった。



 兎角とかく、暮れ始めから夜の間は物騒だ。

 最近は辻斬りが所構わず出没しては、お侍だろうが町民だろうが見境なく問答無用で斬りつけてくるっていうから、源蔵は辺りを警戒をしながら家を目指した。


 源蔵が自分の長屋の家に帰り着くと中から人が勢いよく出て来た。


「誰でぃっ! 盗人ぬすっとか?」


 源蔵は走り去ろうとした男の襟を後ろからぐいっと掴み、自分の方に手繰たぐり寄せた。

 男の襟と帯とを掴み源蔵は両手でじたばたする男をひょいっと上に持ち上げてから、そのまま地面にうつ伏せに乱暴に転がした。


 どかっとその男の背中の上に源蔵は勢いよく乗っかった。

 どんとした大きな尻に敷かれ源蔵の下敷きになった男は、ガマ蛙のような喉を潰した声を出した。


「ぐぅぇぇ。源蔵さんっ。あっしですよ、あっし

「あぁっ? 京助じゃねえか。俺はてっきり盗人ぬすっとかと」

「それより早くどいてくんなよ、源蔵さん」


 源蔵が慌ててどいてやると京助はひょいっと立ち上がった。京助はぶつくさ言いながら体の砂埃を払う。


「大体源蔵さんのうちに盗むもんなんかあるかってぇの。……ったく、酷い目にあったじゃないか」

「すまねぇなぁ。京助、急ぎだったのかい?」

「そうだ、そうだ。て、大変てぇへんだ」

「京介、そんなに焦ってよ。一体いってえ何事だい?」


 聞けば京助は遊郭で遊んで、もう一軒蕎麦屋でも行こうとした矢先、例のお屋敷の使用人に声を掛けられたそうな。


『京助さん、探しておりました。手前どもの迎えの駕籠かごを寄越しますから、源蔵さんとお二人で今夜屋敷に遊びに来るよう、ぜひにと主人が申しております』


「だから慌てて源蔵さんを呼びに来たんだよ。なかなか帰って来ないから外に探しに行くとこだったんですぜ」

「そうかい。戸口にいた俺に気づかないほど、京助おめぇは必死だったって訳かい」


 よくよく源蔵が聞けばいつもはほとんど喋らない屋敷の使用人が親しげに笑いながら饒舌じょうぜつに京助に誘いをかけてきたようだった。

 どこかキナ臭さい。


「俺は行かねぇぞ、京助」

「源蔵さん、そんなこと言わずに付き合っとくれよ」

「俺はやっぱり大工仕事が性に合ってらぁ。明日親方に頭下げて仕事を手伝わせてもらいに行こうかと思ってんだ。こう休みばかりじゃ、俺も大工道具も錆びついちまうからよぉ」


 源蔵はお美代と会ってつくづく思った。

 やっぱり自分には真面目な道が合うだろうし、何よりお美代の前では胸を張って誇れる仕事をしてる姿を見せたいと思った。


『必ず屋敷にはお二人でいらしてくださいよ? くれぐれもよろしく頼みます』


 京助は屋敷の使用人の言葉を思い出していた。京助は真っ向から源蔵には頼むことにする。

 今の頑固な源蔵を上手く言いくるめるのは、たとえ口八丁手八丁の京助でも骨が折れそうだと悟っていた。


「源蔵さん、俺を助けるつもりで頼むよ。なぁ、源蔵さん」

「おめぇを助ける?」


 源蔵は眉根を寄せた。

 屋敷に行くのが何故京助を助けることになるのか、ちいっと思い当たらず、源蔵には分からない。


 京助は憐れな風を大げさに装い、源蔵の腕に泣き真似しながら縋りついた。


「お屋敷でもしかしたら新しい仕事に就けるかもしれないだろ? あっしもいい加減、源蔵さんみたいにちゃあんとしっかり働いてたんまりお腹いっぺえ御飯おまんまが食いてぇんだ」


 源蔵は京助の言動が多少芝居がかっているかと思ったが、ようやく京助も改心したのかと付き合ってやる事にした。


「京助の渾身の願い、ここで断わりゃ男がすたる。仕方ねぇなぁ、一度きりこれきりだぞ。もう付き合わねぇからな、京助」


 源蔵はなんだかんだと言ったって、弟分の京介の頼みを断れない人の良さと心の熱さを持っている。


「ほんと助かるよ、源蔵さん。恩に着る」


 二人が源蔵の家の前で押し問答し合い、そうこうするうちに日がとっぷりと暮れていた。

 涼しい夜風が吹いて空には黄色くまん丸お月さんが顔を出していた。


「んっ? あれは何でぇ」

「光だ、源蔵さん。こっちに向かってるみたいだよ」


 遠くの山の方から、暗闇に浮かぶぼんやりな光の玉が、一つ二つとこちらに近づいて来る。

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