宝石の中の女神様

「というわけで、私とアンタは不本意ながら。ほんっっっとうに不本意ながら! 世界の終わりまで一心同体、文字通り運命共同体になってしまいましたとさ! 主にアンタのせいでねぇ!」


 さっきからヒステリックに喚き散らしているのは、あたしの胸元にいつの間にかぶら下がっていた首飾り。直系一ミリにも満たないであろう細い輪を、いくつも繋げて作られたチェーン。


 その意匠の金細工が、小さなひとつの宝玉を支えている。チェーンと同様に眩い金色をした金属の線がかたどるのは、見事な鷹の片翼。その羽の付け根あたりに、球形をした深紅の宝玉が埋め込まれていた。


 その中でオレンジ色の炎がゆらゆらと揺らめき、時たま火花を散らしている。


 どうやら、この炎が声の主らしい。


(あれは……夢じゃなかったんだ)


 宝玉に閉じ込められた炎。それに意志を表出させているのは、女神『フレイヤ』。


 フレイヤといえば、愛と豊穣の女神。そして何より、北欧神話でも随一の美貌を持ち、あらゆる異性と関係を持ったことで有名だ。


 それはあの創造神オーディン主催の宴会で、ロキ神に「こいつはここにいる全員の男と寝たことがあるんだ!」と暴露されたという逸話が残るほどで、そのお相手の種族も神から妖精、人間やドワーフまで多岐に渡る。一説では双子の兄であるフレイ神とも関係を持ったとか持っていないとか……。


 どうやら、あたしは色々な意味ですごい女神様と聖誓ゲッシュを結んでしまった……らしい。


 正直なところ、意識が朦朧としていてよく覚えていないのだけれど。その誓いを交わす儀式の際に手順を誤ったらしい。


 本来ならあたしがこの宝石の中に閉じ込められるはずだった。だけどあたしが“結び”を行ってしまったせいで、からだの主導権がこちらに渡ってしまったのだ。


 高飛車に振る舞ってはいるが、とんだうっかりさんである。


「あ~もう……どうしてこう上手くいかないのぉ……」


 喚き散らしたかと思えば、急にしおらしくなり、またヒステリー。さっきからこの流れを延々と繰り返している。それでも現状の説明がわかりやすいあたり、要領だけはいいのかもしれない。


「だいたいねえ! ゲッシュはそんな適当な気持ちで結んでいいものじゃないのよ! 下手すれば死ぬまで解けない呪いになりかねないんだから! ていうか、私とアンタの場合はまさにそれよ! 何よ“世界の生吹が尽きる時まで”って! それ、文字通り世界が滅亡するまでこの誓いは有効ってことになるのよ!? どうしてくれんのよ!」

「しょ、しょうがないでしょ。勝手に言葉が出てきたんだから。それに、浮かんだ言葉をそのまま口に出せって言ったのはそっちじゃん」

「うぐっ。そ、そうだったかしらぁ……? 記憶にないわねぇ、これっぽっちも。ピューピュー」


 確かに、フレイヤとの誓いがなければあたしは今ここにいないだろう。フレイヤと契約を交わし体内のあらゆる回路を共有したからこそ、彼女の創り出す魔力があたしに流れ込み、命を繋いでくれたのだから。


 だけど死にかけの人間を騙してその身体を乗っ取ろうというのは、あまりにも極悪非道すぎるのでは。


「いや、そもそも騙そうとしたのはそっち……」

「はいうっさーい! もうこの話は終わり! 終わりでーす! もっと建設的な話題にしましょー!」


 なんというか、彼女の言動がまるっきり子供のそれで、正直なところ……かなり和む。ついさっきまで希望もなく途方に暮れていた心も、彼女の騒がしさとひとりぼっちじゃないという安心感のおかげで、だいぶ落ち着いていた。


 あまりにもこちらの事情を考えない言動にはイラっとすることもあるけれど、まあそれもご愛嬌ということで。


「ごほんっ。では、現状の問題点と行動方針を整理するわよ、アマネ」


 まるで学校の先生のような口調だ。くいっと眼鏡を持ち上げていそうな音まで聞こえてきそう。


「まずその一。忌々しいゲッシュの効果で、アンタの魂には私の意識と女神の権能の、恐らく一部が刻まれている。なので、アンタの魂が壊れれば私の意識も道連れ。そうなればヴァナヘイムで眠っている私の最高に美しい肉体も、イズンのリンゴを食べることができず老化で朽ちる。これは文字通りユグが滅びるまで有効」


 彼女の言う魂が壊れるとは、魔法や魔術で精神のみが破壊されること。そして外傷による肉体の死も含まれているらしい。


 まさに生き地獄ね、とため息をつくフレイヤ。姿は見えなくとも、やれやれと首を振っているのが手に取るようにわかった。


 しかし、生き地獄とは散々な言われようだ。でも命を救われたのはこちらの方なので、あまり強くも言い返せない。


「その二。当面の目的としてはアンタの寿命が尽きるまでにゲッシュの解除方法を探しつつ、オッタルの捜索。ついでにアンタの師匠……えーっと、ヒルデうんちゃらだっけ? を助け出す」


 この通り、あたしの話なんて片耳でしか聞いてない。馬耳東風。女神に念仏。

 

「ま、これに関してはアンタの努力次第よ。話を聞いた限り、私にもてんで心当たりないし。たいして興味もない」


 さすがにこの言いぐさにはカチンときたが、ばれないように息を吐いてぐっと抑え込む。彼女とはお互いの目的のため、末長い協力関係になるのだから。こんなことでいちいち争っていられない。


「ってなわけで、まずは近くの町で聞き込みよ。喋るイノシシなんて目撃情報、そこらへんにウヨウヨあるでしょう」


 フレイヤの数多の恋人。そのうちの一人であるオッタル。人間である彼がオーディンの呪いを受けてイノシシの姿に変えられてしまった、というのはあたしの知っている伝承通り。それをフレイヤ自身が身体を国に残し、意識だけを下界に飛ばして探しに来るというのは聞いたことがなかったけれど。


 やはり、あたしの知っている北欧神話とはところどころずれがあるようだ。


「それじゃ、さっさと鷹の羽衣はごろもでここを移動しましょう」

「た、鷹の羽衣?」


 鷹の羽衣って、たしか被ると大きな鷹に変身できるっていう、あれのこと……?


「そうよ? 使えるでしょ? 仮にも私と魔力を共有してるんだから」

「いや、そんな当然のことみたいに言われても困るんだけど……。どうやればいいの?」


 こっちはこの世界に来て数週間しか経っていない。しかも魔法もろくに使えないと、ついさっき説明したのに。


 というかあたしをユグに呼んだのはこのフレイヤだというのだから、まだこの世界に順応できてないことくらい察してほしい。


「ハァ……。アンタ、本当に魔法や神具に関しての扱いはお子ちゃまなのね。弟子がこれじゃあ、師匠のレベルの低さがうかがえるわ」


 さすがに我慢の限界だった。


「……おまえ」


 知らず、どすの効いた声が漏れる。


「ヒルデは関係ない。ただあたしに才能がなかっただけ。もしこれ以上ヒルデのことを悪く言うなら」


 そう言いながら、見た目に反して羽のように軽い首飾りを外す。


「これを、ここに置いていくから」

「ば、ばかなことはおやめなさい! もぉ、わかったわかった! 今後そこには触れないから!」


 おろおろとうろたえる彼女の口調に多少満足したあたしは、地面に放り出そうとしていた首飾りを元に戻す。


「やれやれ。よっぽど、その師匠のことが好きなのね」


 呆れたように、そうつぶやくフレイヤ。


 ……好き。


 そうだ、それは間違ってない。ヒルデはあの子とあたしを拾ってくれた恩人で、なんだかんだでいつもあたしたちのことを気にかけてくれていた。


 だから、受けた恩は返さないといけない。


「……そうだよ。だから助けに行くの」

「ふーん。ま、がんばりなさいな」

「興味なさそうだね。自分から聞いてきたくせに」

「そうね。ま、私は私のため、アンタはアンタのため。せいぜいお互い利用しあいましょう」


 図書館に置いてあったおとぎばなしとか、ライトノベルとか。


 あたしが小さい頃から憧れてきたお話たちは、もっと夢に溢れていた。胸元の宝石みたいにキラキラ輝いていた。


 でも、これが現実。


 全身すすと泥にまみれ、意地の悪い女神にいいように利用されかけ、頼れる人も行く当てもなく。


「……わかった」


 そう言いながら見上げた空は、今にも泣きだしそうな曇天模様。


 結局、どこに行っても現実はこうなんだと、そう諦めるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

♀キス♀から始まる神話救済 まり雪 @mariyuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ