聖誓
あたしの頭上に、鷹が飛んでいた。
いや、正確には巨大な鷹の形をした炎だった。周りで轟々と燃えているそれとは別の、もっと主張の激しい煌めきを放つ紅蓮の炎。それが二メートルはあろうかという翼を広げ、大きなかぎ爪を引っ提げ、燃え盛る瞳であたしを見下ろしていた。
「ちょっ、ええ!? ていうかめっちゃ燃えてるんだけど! アンタ大丈夫!?」
今まさに死のうとしているあたしの耳に、なんともハイテンションかつ場違いな瑞々しい女性の声が鳴り響く。
大鷹の嘴がそれに合わせて動いている。どうやらこの炎の鷹が声を発しているようだ。誰かの使い魔か何かだろうか。
「……ごほッ、だいじょうぶに……みえる?」
自分では見ることができないけれど、今のあたしはきっとひどい有様だろう。息も絶え絶えにそう返した。それだけで喉がひりつくし全身が軋む。あまり喋りたくない。
「そうね。ぜんっぜん見えないわ。何があったか知らないけど、全身から生命力(イド)が抜け落ちてる。外傷もひどい。このままじゃ、確実に死ぬわね。もってあと数分ってとこかしら」
それは気遣いも悲しみも一切感じ取れない、事実を淡々と告げる声。目の前で一人の人間が死にかけているのに、いったいどういった神経をしているのだろう。
「……で、いつまでそうしてるわけ? ちゃちゃっと治して外に出るわよ」
隣に着地した謎の大鷹は、倒れこんだまま動かないあたしの顔を不思議そうに覗き込む。高飛車な口調がいちいち気に障る。
(できるならとっくにやってるっての……)
それこそあたしがヒルデのように魔法が使えれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。恨み言のひとつでも言ってやりたかったが、そうする体力も気力も残っていなかった。
「
……ヒルデは、無事だろうか。あの男の口ぶりからすると危害を加えることはなさそうだけれど、とてもじゃないがあれがまともな人間とは思えない。
そんなこっちの心中を察する気もないのか、大鷹はひとりでぺらぺらと喋り続けている。
いい加減、意識を保つのも辛くなってきた。大鷹の騒がしい声ですら子守唄のように聞こえる。
「おーい、聞こえてる?」
バッサバッサとその場で羽を動かし、熱風であたしの顔をなぶってくる大鷲。そろそろ大概にしてほしい。あたしは顔をわずかに左右に振った。
あたしには、魔法は……使えない。
「はぁ!? 冗談でしょ!?」
どうなってんのよ……。なんでこんなやつが私の器に……。
そうぶつぶつ呟きながら、血相を変えたように大鷲がウロウロと徘徊し始める。いや顔色なんて全然わからないのだけれど、そんな風に見えた。
「光の小人たちは……ってもう! あいつらいっつも肝心な時にいないんだから! 私に他人の治癒なんてできやしないっての!」
いよいよ瞼を持ち上げていることすら辛い。身体の痛みも気づけばほとんどなくなっている。寝不足の時みたいに思考が鈍る。現実が遠のいていく。
それを、耳元で騒ぐ大鷹が許してくれない。
「あぁ~もうしょうがない! 今からあんたとの間に
それは聞きなれない単語……というわけでもなかった。どこかで聞いたことのある言葉な気がする。
途切れ途切れの意識でも、あたしの脳内にある図書館が勝手に該当する本を引っ張り出してきた。
たしかアイルランド語で『
そんなものを、あたしとこの鷹が? それであたしが助かるの? でも、あたし方法なんてわからな──
「私に続けて
あたしの心配を吹き飛ばすようにまくし立てながらそう言うと、翼を広げ飛び上がった大鷹が、爆ぜた。
さっきまで大鷹を形作っていた紅蓮の炎があたしの目の前で渦を巻き、姿かたちを絶世の美女へと変えた。大鷹の時と同じように、炎が女性の姿をかたどっている。それはまるで教科書で見た芸術品のように魅惑的なプロポーション。長くたなびく髪に、豊かな胸。それに反比例するかのように細いくびれと、適度に丸みを帯びたおしり。そしてすらりと伸びた長い手足。
薄れていくあたしの意識を激しく揺さぶるほどに、強烈で圧倒的な美だった。
「心に浮かんだ情景をそのまま言葉にしなさい。私が起点と結びをやるわ」
眼前に浮かぶ女性が、そう言いながらあたしの真っ黒に汚れた手を握る。耳障りな高音は鳴りを潜め、さっきとは別人のように落ち着いた声。繋いだ手からは、あたたかいなにかが流れ込んできた。
「いくわよ」
唇が触れそうな距離。それくらいまで、ゆらめく顔らしき部分があたしに近づいてくる。そのまま、お互いの額が音をたてずにぶつかった。これだけ煌々と燃え盛っているのに、額と手、どちらも不思議と痛みは感じない。
そして、それは唐突に始まった。
──私は明ける あなたは暮れる
彼女の言葉が波紋のように広がっていく。同時に、崩れ落ちていく家が視界から消えた。
──姉妹の星に 我らは集う
自然と、口が動く。網膜に浮かんだ景色を、そのまま
──いざや結ぼう 血肉の
繋がっていく。神々しさすら感じる紅蓮と。意識が、神経が、血管が、命が。
──いざや紡ごう 金星の輪を
さっきまでいたはずの焼家の代わりに映るのは、巨大な黄土色の惑星。
──乙女の愛舞に 目を覚ます
そこで軽やかに踊るのは、美しいひとりの女性。
──我ら至高の 赤涙なり
その人はなぜか、血のように真っ赤な涙を流している。
──共に歩もう
優雅なステップには不釣り合いな、悲しみに暮れた表情。
──世界の生吹が 尽きる時まで
あたしはそんな彼女を放っておけなくて、手を伸ばした。
「ちょっ、それは言いすぎ──」
慌てふためいた言葉が、唐突に起きた暴風に遮られる。その暴風はさっきまで浮かんでいた情景全てを巻き込んでいき、眼前の女性諸共ものすごい勢いであたしの身体に入りこんできて……。
驚きと、
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