罪火
「魔力っていうのはね、肉体という器に注がれてる生命力みたいなものなの」
正面に座るヒルデが、古びた本をパラパラとめくる。
「ふむ?」
時刻は夕方。庭園でハーブの世話を終えた後、あたしはいつも通り魔法の授業を受けていた。
「アマネちゃんの身体にも、魔力が流れてるんだよ。血管、呼吸、神経、筋肉。いろんなものの流れに乗って、魔力はあなたの全身を巡っている」
この時だけは、普段とは打って変わって大人びた雰囲気になる。
「だから魔力が枯渇すれば肉体は死ぬし、生命力が枯れてしまえば魔法は使えなくなる」
あたしは、そんな彼女も好きだった。
「ああ。だから妖精にお願いするんですね」
そう言いながら、あたしは足元で眠るサラマンダーの頭を撫でる。
「そう! 自前の魔力には限界がある。な・の・で! 私たち魔法を操る者は、自然や妖精たちに力を貸してもらうのです!」
ビシっとあたしを指さしながらドヤ顔を決める師匠。
大人っぽいって思ったけど、やっぱりヒルデはどんな時でもヒルデだなぁ。
そんなとある日のありふれた日常を、眺めていた。
喪失感に、夢から醒める。
「くっ……ぁぁっ」
生きるために必要な何かを、一瞬で根こそぎ持っていかれたみたいだった。錆びれた回路を力づくでこじ開けて、無理やり電気を流したような感覚。突然全身にいくつも銃口が開いて、そのエネルギーを何も考えずに外に撃ち出した。
何が起こったのか。自分でも全く見当がつかない。
「はぁ……はぁ……」
意識もおぼろげ。立っているのが辛くて、思わずあたしは膝をつく。
「……いや」
だめだ。あいつを止めなくちゃ。
どういう理由かは分からないけれど、あいつがヒルデを無理やりどこかに連れて行こうとしているのは確かだ。
そしたら、彼女はきっと帰ってこない。あの顔はそういう顔だった。
それは、それだけは、絶対嫌だ!
「げほっげほっ」
貧血の時みたいに頭がくらくらする。とにかく酸素が足りない。そう思い深く息を吸い込むと、喉と肺が焼けるように痛んだ。
「あっつ……!」
ひりつく喉を掻きむしりながら身をかがめる。だけど、その痛みのおかげで少しずつ意識が現実に戻ってきた。なんだか喉だけじゃなくて肌もなぶられるように熱い。パチパチと、耳障りな音もする。
いったいなにが──
「……へ?」
全身で異常を感じ取り、伏せていた顔をおもむろに上げる。
そこに広がっていたのは、真っ赤な火の海だった。
「なん、で……?」
あたしの大好きな家が、燃えていた。
地獄かと見紛うほどの炎の波。
毎日一緒にご飯を食べたテーブルも、よく師匠とあの子が居眠りしていたソファも、嫌にうるさかった柱時計も、屋根裏にあるあたしの部屋へと続いている急な階段も。
ゴウゴウと音をたてながら、木造の家は自らの身を焼き続けていた。
「いやだ……いやだよぉ……」
そんな子供みたいな情けない言葉しか出てこない。
あ、そうか。なんでも、なんでもいいから、とにかく火を消さなきゃ。
でもどうやって? あたしにはそんな力ないのに。
「そ、そうだ! ヒルデ!」
彼女の魔法ならなんとかできるかもしれない!
そう思い、急いでヒルデの姿を探す。あたしの真後ろ、さっきまで彼女がいた場所。
そこには誰もいなかった。
「あ……」
はるか後方、最初にあたしが吹き飛ばされた場所のさらに奥に、壁を突き抜けて彼女が倒れこんでいた。
「ヒルデ!!」
まったく力の入らない脚を無理やり動かして、がれきをかき分けヒルデのもとへと駆け寄りその身体を抱き寄せる。
誰が、誰がこんなこと……!
「ヒルデ! 起きてよヒルデ!」
いくら声をかけても反応がない。ぐったりとしたその身体は、まるで糸の切れた操り人形のようだ。
皮膚がただれて出血している部分もある。だが、かろうじて呼吸はしているみたいだ。浅いが胸は確実に上下している。
「よ、よかった……」
早く治療を……いや火事をなんとかする方が先かいやまずはこの家から出ないと。
酸欠の頭がものすごい勢いでぐるぐると回る。今取るべき最善の行動は一体なんなのか、判断ができない。
そんな思考が、一瞬でぶった切られた。
「どけ」
灼熱の中、頭の上から突然冷や水を浴びせられたように身体が凍る。
「自らの力すら操れんとは。恥知らずが」
すすが舞い散る中でも汚れを知らない純白の外套。それはあまりにも場違いで、奇妙だった。きっと何も知らない人からすれば、天使とでも勘違いしてしまいそうな神々しさと畏れを同時に感じることだろう。
そんなあいつが、いつの間にかあたしと師匠の前に立ちふさがっていた。
「お、おまえ」
いけない、こいつのこと完全に忘れ──
「どけと言っている」
「ッ!?」
師匠を守らないと。そう思いボロボロの身体に鞭を打つ──なんてそんな暇すらも与えられず、気付けばあたしはまたしても床に倒れ、崩れていく天井を見上げていた。
「うぅッ」
遅れて、みぞおちのあたりに激痛が走る。あまりの痛みに声すら出せない。
いまあたし、蹴り飛ばされた……?
「ごふっ」
口の中が嫌に鉄臭い。
まったく見えなかった。気付いたらこうなっていた。とにかく相手の動きが速すぎて、ただの人間に過ぎないあたしじゃどうすることもできない。
「自らの業に焼かれて死ね」
限界を超え少しずつ途切れていく視界の先で、ぐったりとしたヒルデがあいつに抱えられ、消えた。
最後まで、あたしを視界に入れることすらせずに。
「まっ……て」
ヒルデは突然放り出されたこの世界で行く当てもなくさまよっていたあたしに、唯一救いの手を差し伸べてくれた人だった。
家族に、なってくれるかもしれない人だった。
もはや手を伸ばすことすら叶わない。全身が鉛みたいに重くてどうしようもない。
(なんにも、できなかった……)
ただただ蹂躙されるだけだった、そこら辺にいる平凡な女子高生でしかないあたし。せっかく教えてもらった魔法だってやっぱり使えなかった。
そんな自分自身の無力さ、無能さに、あたしという存在が内側から燃やされていくようだった。
「はっ、はは。アハハっ」
そして、気づいた。
そっか。結局、どこに行ってもあたしはこうなんだ。
自分じゃどうしようもできないことに巻き込まれて、やられたい放題。最後に残るのはゴミカスみたいに踏みつけられて震えて縮こまったあたし。もう、そういう風にどっかの神様に決められてるんだ。
「……もう、いっか」
何となくわかる。ここでゲームみたいに電源ボタンを一回押せば、あたしの人生それで終わり。終了。完封負けでゲームセット。
よくよく考えれば痛いのも辛いのも頑張るのも好きじゃなかったのに、よくぞここまで頑張った。そう自分を褒めてあげてもいいとすら思う。
「柄にないことしても……ムダってわけ……ね」
肌を襲う熱も徐々に強まってきた。火の手が少しずつこっちに近づいてくるのがわかる。多分、ここで意識を手放せばあたしは死ぬだろう。
「痛いの、やだなぁ」
呼吸をするだけで激痛が走る。空気の温度が高いせいで、息を吸うと喉から熱湯を注がれているみたいだ。
どうせもう死ぬなら……せめて、楽に死にたい。
そうだ。呼吸もやめちゃおう。痛いより苦しい方がきっと楽だ。
そうすれば、この身体中を襲う痛みと倦怠感からも逃れられる。
目を閉じる。そのまましばらく経つと、徐々に掠れて消えていく
あぁ、これが『死ぬ』ってやつなのかなぁ。
案外ふわふわしていて心地いい。干したての布団に飛び込んだ時と同じ感じがする。なんだ。神様も、最後くらい良い思いさせてくれるん──
「あー! 見つけたぁぁぁぁぁぁ!」
やわらかい闇に沈みかけたあたしに喝を入れるように、力強い叫び声が響き渡った。
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