過去と赤い雫 3

 数日後の昼前。窓の外で木枯らしが吹く音が響く中、来客が来たのでアスタは応対に出た。そこにいたのは既知の人物だった。


「久しぶりだな。錬金術師に話があるから入れてくれ」

「は、はい……」


 バンドラーにそう頼まれ、アスタは身をすくめつつも依頼人を館に通した。先日街で会ったときの彼の様子が頭を過ぎったが、だからといって門前払いするわけにもいかない。


「ヨルンさん、お客様です」


 起きた直後の食後のお茶を飲んでいたヨルンに知らせると、彼は眉をひそめた。


「あの依頼人か。また来たのか……」


 気が進まない様子でヨルンは応接間に向かった。目覚めたすぐ後に厄介な客と会話したくないと顔に書いてあった。


 お茶を淹れて持って行き、客の前に並べると、その腕をバンドラーにつかまれた。


「あの、なにか……」


 声をかけても離してくれない。もう片方の手に持っているトレイに載せたヨルン用のカップが、かたかたと揺れる。


 ヨルンが腰を浮かせた瞬間、アスタの腕が強く引かれた。カップが床に落ちる硬質な音が響く中、拘束され、首に冷たいものが突きつけられた。視線をそちらに向けると、細いナイフが目に入った。


「このホムンクルスは特別製らしいな。これと同じものを作ってもらおう。かつての妻と同じ姿と心を持つ、意思を持ったホムンクルスをな!」


 バンドラーが叫ぶ。その様子は、街で会ったときの不穏な様子をさらに加速させて、狂気に染まっているかのようだった。

 立ち上がったヨルンは、バンドラーと相対した。


「無理だ。そのホムンクルスの状態は、偶発的にできたものだ」


 ナイフを持つ手がぴくりと動き、刃先が皮膚に食い込む。かすかな痛みが走った。


「それに貴方の家族のことをろくに知らないのに、同じ意思を与えられるはずがない」

「嘘だ!」


 ヨルンの説明を、バンドラーは一喝して否定する。


「珍しい技術だから一見の客には出し惜しみしているのだろう。いくら金を積めばいい? 王族相手なら断らないはずだ」

「そんなことが自由にできるなら、とっくにやっている!」


 ヨルンが声を荒げるのを、はじめて聞いた。


「――でも、作ったところで活動年数は十年だ。また喪失を体験するだけだ」


 悲痛な顔で、ヨルンはそう言った。


「……喪失をもう一度? 構わない。何度でも繰り返し、同じように作ればいい。家族のことも、一から百まで教えよう。だから、やれ!」


 アスタの耳元で怒鳴られた。恐怖よりも、苛立ちが勝ってきた。


「駄目です」


 唐突に起こった事態に反応できずにいたが、すぐ傍に我を失った様子の人間がいると、かえって落ちついてきた。相手が客であり依頼人であり貴族だという遠慮も、バンドラーから手を出してきたという事実の前にはどこかへ掻き消えた。


 アスタはバンドラーの手ごと、ナイフを握り締めた。


「ヨルンさんをこれ以上苦しめないでください」


 ぎょっとして身じろぎした様子がバンドラーから伝わってきたが、手を離してなんてやらない。握る手に力を込める。


「わたしがいるから同じように意思を持つホムンクルスを作れというのなら――前例なんてなければいいんです」


 そう宣言し、アスタはナイフを自分の首に突き刺した。


 ――他人を躊躇なく殴れる、刺せるような雰囲気はまるでねえ。だから、それができる俺のほうが強い。


 いつかヒスキが言ったことが蘇った。

 多分バンドラーは、人を刺したことなんてない。本気で刺すつもりなんてない。だから、隙が作れるはずだ。


 あとはヨルンがどうにかするだろう。




「う、うわああああ!」


 返り血を浴びて、バンドラーはアスタから手を離した。

 白い髪や肩口のエプロンが赤く染まったホムンクルスの身体が、ぐらりと傾ぐ。ナイフが刺さったままの細い身体が床に倒れる動きが、ひどくゆっくりと感じられた。


「な、なんでこんな……やはり人殺しが作ったホムンクルスは壊れているのか!」


 真っ白になりかけたヨルンの頭が、狼狽しきったバンドラーの叫び声で我に返った。


 ――そうだ。これは過去の再現じゃない。ホムンクルスはこの程度では、死なない。


 そう自分に言い聞かせ、ヨルンはバンドラーに体当たりした。衝撃がテーブルを揺らし、客に出したカップも倒れる音がした。


 荒事に慣れていないのか、バンドラーがすぐさま反撃してくることはなかった。ヨルンが床に倒れた貴族を押さえつけていると、騒ぎを聞きつけたのか応接間の扉が開いた。


「どうしました」

「依頼人が暴れた。拘束するから手伝ってくれ」


 声をかけてきたノーラに、ヨルンは指示を出した。

 こういう事態を想定して、応接間の引き出しには縄が常備されていた。滅多に使ったことはなかったが、用意していた先代錬金術師の備えはいま役に立った。


 縄を手にしたノーラが、バンドラーを後ろ手で縛り上げた。


「わ、私にこんなことをしてただで済むと思っているのか!」


 なにかわめいているが、聞いている余裕はなかった。ヘラもやって来たので、依頼人はホムンクルスたちに任せることにする。


 アスタの傍に膝をつき、抱き起す。重力に任せて頭が垂れる。目は閉じられたままで、身体に力はない。


 見下ろした先で、アスタの肩を支えている手が震えている。依頼人が刃物を取り出したときよりも、アスタが意識を失っている姿を目の当たりにしているいまのほうが、悪寒が這い上がって来た。大丈夫、と何度も頭の中で繰り返す。


 ――大丈夫。人間なら死んでいるかもしれないが、ホムンクルスなら、死なない。人間と同様に急所だとしても、首を落とされたわけじゃない。だから。


 そう自分に言い聞かせ、ヨルンはアスタを抱き上げて研究室に運んだ。


 ――死なせない。死なせたくない!


 ホムンクルスが目覚めたときに寝かせていた長机に横たえる。ぽた、と雫が落ちてアスタの服に染みを作った。

 目元を強引に拭い、冷静になろうと深呼吸する。


 ――独りだと寂しいですよ。

 ――少しずつでも人とかかわってみませんか?


 アスタの言葉には、父が言ったような押しつけがましさはなかった。群衆が口にするような、昔から人として当たり前とされていたことを強要している風でもなかった。


 自分ができなかったことを悔やんでいて、それを近くにいる人間にも体験させたくない、というような切実さがあった。


 そんな彼女を――失いたくなかった。




 意識を失って眠っている間、夢を見た。この館はいまほど古びていなくて、そこに住む錬金術師の若者は、アスタを作った者ではなかった。



 クレルヴォ・サウレンはホムンクルスを事故で破損させ、新しいものを作るまでの間、渋々家事手伝いを雇った。

 錬金術師と同年代の家事手伝いの少女は、彼の学問の徒らしいやり方に反発した。


「人と会わずにこんなところで一人で研究しているなんて不健康よ」


 雇った初日に言ったことがそれだった。


「他人のやり方を否定するな、人と交流することだけを最上のことのように言うな」


 そう言い返し、早く新しいホムンクルスを完成させなければ、と作業の手を早めた。


 新しいホムンクルスが家事や採取をするようになっても、元家事手伝いはたびたび館に顔を見せて、彼もそれを追い返しはしなかった。


 やがて彼女に恋人ができ、結婚したという報告を受けた。


「掃除が行き届いていない、倉庫にものを溜め込み過ぎ。それにもういい年なのに、まだ結婚していないの? 伴侶がいたらわざわざホムンクルスなんて作らなくてもよくなるでしょう」


 たまに子供を連れてやって来て、一般大衆が言うような常識を押しつけてきた。


 彼女の息子は母親に似て自分が世界の中心にいると思っているような子供で、我が物顔でいたずらをして他人の領域を荒らし回り、それがまかり通ると思っているような少年だった。


 やんちゃな子供が十代半ばに成長した頃、彼女は死んだ。


 彼女は他人の領域を侵害し他人のやり方にケチをつける無礼千万な女性だったが、明るく溌剌とした、たった一人の友人だった。


 それをここで終わりにしたくなかった。だから不本意ながら、彼女にもう一度会うための研究を開始した。


 家事だけでなく助手も入用になったので、彼女に似せたホムンクルスを作った。意思のない人形。彼女とは違う。人間味のない反応しかしない、人工の生命体。


 白い髪では一見したところの印象はまったく違ったが、よくよく顔を見たら似ている。その白い髪を別のわかりやすい色に染めた。

 館の二階、倉庫からあふれたものを収納していた部屋を整理して、そこに置くことにした。


 さらにホムンクルスについて研究した。精霊や幽霊など、実体を持たない存在の器となるという言い伝えがあり、実現させられないかと試行錯誤した。他にも何体か作り、実験体にした。


 いつからか死者に似せたホムンクルスを作る錬金術師の噂が流れてるようになり、そうした依頼を持ち込む者が時折現れた。見た目だけならいくらでも似せられた。しかし死者と同一の心が宿ることはなかった。


 最初に彼女に似せて作ったホムンクルスの活動年数が尽き、後継を作るほどの時間が経った。

 どうやっても彼女は蘇らなかった。彼女に似せたホムンクルスに愛憎を覚えた。これに彼女の意思が宿れば、それでよかったのに。


 しばらくして、彼女の息子とその伴侶が死んだこと、彼らの子供が一人残された事件が起きたことを知った。


 彼女の面影がある少年と対面した。表情豊かで怒ったり笑ったり忙しそうだった彼女と、雰囲気はまるで違う。


 やんちゃ坊主だった彼女の息子は結婚して、子供ができて、ここまで育っていた。あれから長い時間を一人で過ごしていたことを思い知った。


「一緒に来るか?」


 少年は青い瞳でこちらを見上げ、頷いた。

 その子供を引き取って以降に作ったホムンクルスは、もう誰かに似せることはなかった。



 死ぬ前に、彼は夢を見た。ベッドに横たわった年老いた錬金術師を見下ろす彼女の夢を。


「相変わらずね、あなた」


 呆れたように彼女は言う。


「死者の蘇生なんて、いくら博識な錬金術師でもできるはずないじゃない」


 錬金術のことなどろくに知らない癖に、知ったような口を利く。


「それなのに何十年も無駄にして。勿体ない」


 お前も相変わらず、人のやり方を否定して自分の意見を押しつけるものだな。

 そう皮肉気にあの頃のように思って、彼は息を引き取った。




 意識が浮上し、夢の内容が薄れていく。目が覚めると、自室の天井が目に入った。ベッドに寝かされていたらしい。


 ぼんやりした頭のまま周囲を見渡すと、枕のすぐ横でヨルンが顔を伏せて寝ているのがアスタの目に入った。憔悴した顔だ。


「……ヨルンさん」


 声をかけると規則的な寝息がやみ、がばっと顔が起こされた。見開いた青い瞳と、目が合った。


「アスタ」


 掠れた声で名前を呼ばれ、アスタは頷いた。


「……よかった、意識が戻って」


 泣き笑いのような顔で、そう言われた。

 心配をかけてしまったようだ。そうアスタが思ったところで、ヨルンの眉がひそめられた。


「身体が頑丈だろうが、回復能力が高かろうが、不死じゃないんだ。致命傷を負えば活動停止する。そうなったら――」

「ご、ごめんなさい……」


「君の代わりはいないんだ。意思が宿った理由もわからない。いなくなったら、もう同じものを作ることなんてできない」

「……はい」

「だから、無茶しないでくれ」


 そう、懇願された。


「……善処します」


 前世では、大人が問題を先送りにするときの言い回しだと言われていた。いつか大変な事態に直面して、ホムンクルスの身体でどうにかできそうなことなら、主を守るために多少の無茶はしてしかるべきだろう。


 ――違う、主だからではなく。わたしはきっと、ヨルンさんや親しくなったみんなを守りたいんだ。


 この街で出会った人たちが、アスタにとって大きな存在になってることに気づいた。だからあのとき躊躇せずに、自分に刃を突き立てたのだ。

 その結果、ヨルンに哀しそうな顔をさせることになったのは、想定外だったけれど。


 ――ああ、そうか。


 最初は無表情で不愛想だと思っていた錬金術師にも、揺れ動かされる心が、強い感情があることが、わかった。


「まったく……今回は君のおかげでなんとかなったからよかったものの……」

「あ、そうなんですか」

「誇らしそうな顔をしないでくれ」


 バンドラーの件は、自警団に引き渡して事なきを得たという。貴族に盾突いて大丈夫かと思ったが、アスタが意識を失ってから目覚めるまでの三日ほど、子爵家からなにか言ってくることはなかったらしい。


 そして三日意識が戻らなかったホムンクルスは、いくら回復能力が高いといえど、首を負傷するとなかなかのダメージだったらしいと実感した。


 包帯が巻かれているが、ずきずきと痛む。しばらく安静、食事も部屋に持って来る、と言われてしまった。この北の地は冬が長いと聞いていたから、いまのうちに街の行ったことがないところへ行ったりネアの見舞いに顔を出したりしたかったが、予定は潰れることとなった。


 ノーラが持って来てくれた消化によさそうなスープを飲みながら、部屋の椅子に腰かけてアスタの様子を窺っているヨルンに話を振った。


「そういえばヨルンさん、はじめて名前を呼んでくれましたね」

「そうだったか?」

「名前をつけてくれたとき以降、呼んでくれなかったじゃないですか」


 この世界でホムンクルスとして目覚めて半年経ち知り合いも増えて、カティヤたちから呼ばれるようになり、馴染んできた名前。

 その名前をつけた当人は、もっぱら二人称で済ませていたように思う。


「いいですね、名前で呼ばれるの」

「そうか」

「名前は大事ですよ。ホムンクルス四号とかじゃなくてよかったです」

「……」

「どうして目を逸らすんですか」


 この様子だと、これまで館にいたホムンクルスの名前は先代錬金術師がつけたのだろう。他人に興味がなかったヨルンでは、自作したホムンクルスの名前が番号になっていてもおかしくなかったということか。人名として通用するものを思いついてくれてよかったと心から思う。


 また呼んでくださいね。そう言いかけたが、伝えたらかえって呼んでくれなくなりそうだ。だからアスタは口元が緩むのを引き締めながら、食事を再開した。

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