過去と赤い雫 1
父は社交的で仕事熱心な人だった。母は結婚前は薬草園の手伝いをしていて植物や科学の知識が豊富だった。
その二人の間にできた子供は、幼い頃から感情の起伏が少なかった。人の輪に入って行くよりも、本を読んだり母から知っていることを教わったりして、知らないことを探求することが好きだった。
この世界には知らないことがあふれていて、それを吸収して実践するには時間はいくらあっても足りなかった。
そんな子供を、父も近所の子供も異端視した。
ずっと部屋に籠っていたらいけない。独りは寂しいだろう? 人付き合いの経験を積まないと。いずれ社会に出て行って、新しい家族を作らないといけないんだから。
そんな言葉をたびたびかけられた。やりたくないことを押しつけられるくらいなら、独りでいたほうがずっとよかった。
自分の意見を押しつけてくる彼らが苦手だった。人付き合いは面倒で煩わしいと、思うようになっていった。
たまに母が責められているのを聞いた。
――お前が余計なことを吹き込んだから、あいつはああなったんだ。こんな僻地の街で勉強ができたところで仕事なんてないというのに。
父はきっと、自分の分身のようなやんちゃな子供が欲しかったのだろう。子供の頃は近所の友達と一緒に外を駆け回って大人に怒られても笑い飛ばして、十代の頃は若さに任せて無茶をして、大人になったらそれを懐かしみ自慢するような。
そのことを自覚するたびに、瞳は陰っていった。
大陸北の地方の短い夏が終わり、朝夜の気温が低くなって秋が深まってきた頃。錬金術師を訪ねて館に依頼人がやって来た。
この館の応接間は、研究室と書斎に面積を取られたのかあまり広くない。それでも依頼人が来たときくらいしか活用されない応接間はヨルンが常に出入りしている部屋のようにものが散乱することなく、綺麗に片付いていた。
そんな応接間のテーブルを挟んで、ソファに腰かけた依頼人と館の主は向かい合った。
「私はニクラス・バンドラー。王都から来た」
依頼人の壮年の男性は灰茶色の髪をなでつけ、立派な身なりをしていて、王都に住む子爵だと名乗った。ヨルンが名乗ると、薄い灰色の瞳でまじまじと黒衣の錬金術師を見つめた。
「話に聞いたこの館に住む錬金術師は、もっと高齢だと聞いたが……」
「師であるクレルヴォ・サウレンは三年前に亡くなった。彼の跡を継いで錬金術師として依頼を受けているが――若輩者に任せられないのなら、王都の高名な錬金術師に依頼したほうがいい」
「ああ、いや。腕が確かなら、子供だろうが女性だろうが関係ない。結果を出してくれるなら、依頼料は惜しまない」
「それで、依頼内容は?」
「妻と同じ姿のホムンクルスを作って欲しい」
しばしの間、応接間に沈黙が下りた。
「先だって妻を亡くしたが、子供にはまだ母親が必要だ。子供が健やかに育つためにはなに不自由ない環境だけではなく、両親が揃っていなくてはいけないだろう。金はいくらでも払う」
それに、と依頼人は苦渋に満ちた声で続けた。
「私にも彼女が必要だ」
黙って聞いていたヨルンは、膝の上で指を組んで依頼人を見据えた。
「ホムンクルスの活動年数はおよそ十年。成長も老化もしない。貴方と同じ時間は生きられない」
バンドラーが目を見張った。
「それから、ホムンクルスには意思はない。ものを食べて動力にし、教えたことはしゃべるが、それだけだ。動く人形でしかない」
「人形……」
「それでもいいなら引き受けるが。死者の身代わりが活動をやめたら、また新しい身代わりを作るのか?」
錬金術師にそう説明され、依頼人は言葉を失った。
お茶を出した後、応接間の外で立ち止まっていたアスタは、依頼人とのやり取りを聞いてしまっていた。
扉が開いてバンドラーが出て来たとき、肩を跳ねさせて居間のほうへ引っ込みつつも、耳を澄ませる。
やがて玄関から声が聞こえた。
「少し考えさせて欲しい」
そう言い残し、依頼人は去って行った。
――ホムンクルスは、誰かの代わりになりえる存在なんでしょうか。
前世で見聞きした物語を思い出す。ロボット、アンドロイド、AI。そうした存在よりは人に近くて、人ではない人工の存在。
ホムンクルスとしてこの世界に生まれたが、アスタのような意思を持つホムンクルスは特殊らしい。
現代日本から転生してきてホムンクルスの身体に意思が宿ってしまった状態が特殊、というべきか。
改めて考えてみて、ホムンクルスについてよくわかっていないと感じた。
客を見送ったヨルンが、アスタのほうをちらりと見た。多分立ち聞きしたことは気づかれているだろうが、彼はなにも言わずに研究室に戻った。
翌日、街でアスタが店の軒先を見ながら歩き回っていると、「おや」と声をかけられた。振り返ると、昨日の依頼人がアスタに目を留めて近づいて来るところだった。
「錬金術師の館でお茶を出してくれたホムンクルス――で合っているかな。白い髪を隠して昨日とは大分違う格好だから、もしやと思ったが」
「合っています。昨日はわざわざご足労いただき、ありがとうございました」
「君の主には歓迎されなかったようだが」
「そういうわけでは……」
「クーユオの街の錬金術師に依頼した者が、死者と同じ姿のホムンクルスを作ってもらったと聞いて遥々やって来たのだがね。十五年ほど前のことと言っていたか。うまくいかないものだな」
残念そうに、バンドラーはつぶやいた。
「あの館に住んでいた先代錬金術師の方は、そうした依頼も受けていたんでしょうか」
「そうだろうな。惜しい人を亡くした」
惜しいのだろうか。死者の復活を望む人がいるのはわかるが、作られたホムンクルスは死者とは別の存在なのに。
「お嬢さんもホムンクルスのようだが……あの館にいたホムンクルスや他の錬金術師のところで見たものとは違うような」
気落ちしていた様子だったバンドラーの瞳に、別の感情が宿っていった。
餓死しかけていた人がごちそうを発見したかのような、盲目的な希望を抱いてしまった人の顔だ。しかしそんな状態で重いものを食べたら、栄養がある料理でも身体にいいとは限らない。
子爵の瞳に浮かんでいたのは、不穏な色だった。
「まるで、人間のよう――意思があるかのようだ」
アスタははっとした。
ホムンクルスを求めている依頼人と、気安く話をし過ぎたかもしれない。ただでさえ感情が顔に出やすいのに、他のホムンクルスと比べられては違いは歴然だ。
「そ、そんなことないですよ。では失礼します」
慌ててごまかし、アスタはその場を立ち去った。
胸の動悸を無視しながら早足で目的地も決めずに移動する。心なしか空が曇ってきた気がした。もしかしたらよく知らない裏路地に入ってしまったかもしれない。
先程のバンドラーの様子が頭に浮かび、それを振り払おうと頭を振る。そんなとき、
「アスタ? 久しぶりだな」
と声をかけられた。振り返ると、見知った少年がアスタに笑いかけていた。
「ヒスキさん……」
「ちょうどよかった。薬代、取って来るからヨルンに届けてくれるか?」
「あ、はい……」
アスタの様子に、ヒスキは「ん?」と首を傾げた。
「どうした? なんか元気ないな」
「いや、そんなことは……」
「そっか、わかった。じゃ、代金取りに行くのにつき合え」
そんな提案をしつつ、少し歩いた先の店でヒスキはパンを三つ買い、一つをアスタに差し出してきた。香ばしいにおいが鼻孔をくすぐる。
「うまそうだろ。焼きたてだ」
「そうですね。おいしいです」
一口食べて感想を述べる。焼きたてのパンの香ばしいにおいの前には、また無駄遣いして、なんていう小言は無粋だ。
「だよな。じゃあ、薬代はちっとまけてくれって頼んで……」
「パン代払いますから。それとこれとは別です」
貨幣を渡し、歩きながら少しずつ食べる。ヒスキは元気がない理由を訊ねないが、元気づけようとしてくれたのは感じた。
しばらく歩いてパンを食べきってから、アスタは問いかけた。
「ヒスキさんは、大切な人にそっくりのホムンクルスを作ってもらえるとしたらどうしますか?」
「んな金があると思うか?」
「も、もしもの話です」
「それ、ヨルンを引き取った錬金術師の話か?」
アスタはぴくりと反応した。
「俺がガキの頃にも噂を聞いたな。街外れの錬金術師に依頼すれば、死者と同じ顔したホムンクルスを作ってもらえる、って」
どうやら街の住人にとっても有名な話だったらしい。
「数年前まであの館に住んでいた錬金術師は、死者の復活を研究してた。だから街の住人から異端視されて――ああ、いや」
その館に住むホムンクルスに話しているのだと気づいたのか、ヒスキは語尾を濁した。
しかし先代錬金術師についてよく知らないアスタとしては、配慮などせず詳しい話を教えて欲しかった。
「ヨルンさんが跡を継いだということは、その研究も……?」
成功したら、ヨルンの師匠が蘇るのだろうか。それとも他の誰かが。
「どうだろうな。いま、あいつに一番近いところにいるのはアスタだ。お前が知らないなら、外部の人間が知るはずもねえよ」
「そうでしょうか……」
ヨルンのことも、先代錬金術師のことも、知らないことだらけだ。
「ああ、あともう一個」
人差し指を立てて、ヒスキは続けた。
「アスタって自分の部屋があるとか、いつだか言ってたじゃん。それってホムンクルスにそれぞれ個室を与えてるってことだろ。それ、錬金術師としては珍しい部類じゃねえか?」
「そうなんですか?」
「お前に言うのもなんだけど、普通のホムンクルスは人間と似たような身体でも、意思がない人形みたいなもんなんだろ。いくら休ませるためベッドが必要といっても、何人もいるなら大部屋にまとめて、のほうが効率いいんじゃねえか」
「そういえば……」
「ヨルンが師匠の習慣をそのまま引き継いでるなら、その先代錬金術師、ホムンクルスをただのもの扱いしたくなかったのかもな」
そうなのか。だったら会ったことのないヨルンの師匠に感謝しなければ。
「どんな人だったんでしょうね、その先代錬金術師の方」
「俺も会ったことはねえけど、偏屈で人間嫌いって噂なら聞いたな」
街外れの館に住み、ホムンクルスを作って家事や雑事を任せているような錬金術師なら、そういう人間と言われて納得だが。
「……ヨルンさんの親ってわけじゃないんですよね?」
「ああ。でも似た者同士って感じだよな」
ヨルンは師匠の影響でああなったのか、それとももとから他人に壁があり内にこもるタイプだったのか、気になるところだった。
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