舞台上の御伽噺 3

 読み合わせをしたので、次は動きをつけて練習することになった。練習場所は応接間から、悠々とダンスができそうなほどの広さを持つ広間に移った。


 素人役者たちはまだ台詞を完璧に覚えた状態からはほど遠く、台本の冊子を持ったままぎこちない演技を繰り広げていた。


「姫、そなたを生まれ育った国に帰しはしない」

「ああ、なんということでしょう」

「食べられたくなくば大人しくしているのだな。そなたは我に捧げられた身。美しい髪も瞳も身体も心も、すべて我のもの……」


 棒読みだった台詞の語尾が、ごにょごにょと薄れていった。そこに主演兼監督のカティヤからつっこみが入った。


「ヒスキ、そこで赤くならないでもらえる?」

「いや、だってさ。言ってて恥ずかしいだろ、これ」

「男の夢でしょう? 美しい女性が自分に逆らわず、好きにしていい状況って」


「いや、こういう話で男の浪漫っつーと、血沸き肉躍る強敵との戦闘だろ。姫を口説いてるとこじゃなくて」

「なるほど、口説く努力もしたくない、と。参考になるわ」

「なんの参考だよ。ってかせっかくここまで覚えたんだから、これ以上台詞変えたりすんなよ、頼むから」


 練習が始まってから何度目かわからない、カティヤとヒスキの言い合いがまた発生した。


 そんな中、石像になりきって邪竜と姫の掛け合いを少し離れたところから聞いていたヨルンが、アスタに声をかけてきた。


「女性向けに脚色した舞台は、この物語の邪竜のような高圧的で無礼千万な男が頻出するようだが。君もああいうのが――」

「あれは悪役ですよ。高圧的でなんぼです」

「……それもそうか」


 納得したのかしていないのかよくわからない反応が返って来た。


「ところでずっと同じ姿勢で止まっていると、身体が……」

「え、ええと、無理しないでください」


 気遣う言葉をかけてみたが、本番ではヨルンが石像を模した灰色の衣装を着て佇んでいるかと思うと、無性に笑えてきた。


「それにしても、竜、か」

「この辺にごろごろいるものじゃないそうですね」

「危険区域で区切られているからいまは、な」


 ということは、この昔話に語られている時代は、もっとあちこちでエンカウントする存在だったのだろうか。


「その昔も、人の言葉を解するような高い知能を持つ竜は、あまり人の前には出て来なかったという」


 アスタの疑問に答えるように、ヨルンは言った。


「ヒスキのような邪竜なら、希少な素材をいくらでも取れそうなものだが。爪、角、牙、鱗、……血液は強い効果を持つ薬や毒薬の材料になるというが、まだ使ったことはないな」


 好奇心に彩られた瞳でヨルンは語る。


「いや、ヒスキさんがどう見えるかはともかく、一応設定上はこの話における強敵ですからね?」

「そういえば昔話の解釈の一つに、竜の血を浴びて強靭な身体となった英雄の話があったな」


 前世で読んだ神話のような話がこの世界にもあったらしい。


「いいですね、浪漫ですね」

「そうだろうか。強大な存在の影響を受けてしまったら、元が英雄でも、人の理から外れてしまうのではないか」


 仮定の話を元に、理屈っぽく小難しい話を語る。実に錬金術師らしかった。




 半月ほど経ち、それぞれの場面を演じる上でぎこちなさが減ってきて、それなりに見られるものになってきた頃。

 邪竜と英雄の対決シーンを何度か練習した後、ヒスキはカティヤに声をかけた。


「ところでお嬢様。なんか運動とかやってんのか?」

「演劇に有用だからと言われて、体力作りをここ一ヶ月ほどやっているわ」

「ああ、道理で練習しても体力がもつと……」

「発声にしろ立ち回りにしろ、体力がないとどうにもならないのよね。さらに踊ったり歌ったりできる役者はどうやっているのかしら」


 王都で見た歌劇を思い出しつつ、カティヤは言う。


「お嬢様が努力してんのはわかった。で、剣を握ったことは?」

「ないわね」

「棒を手にして喧嘩したことなんかは……」

「あると思う?」


「……その辺、指導役はなんか言わなかったのか?」

「そもそも演技の基本すらなっていない素人の集まりよ。殺陣についてあれこれ言われると思う?」

「だよなあ」


 息を吐き出してから、ヒスキは続けた。


「で、もうちょいどうにかしたい、とか思ってねえ?」

「思ってるわよ。剣技の基本なんてわかってないし、剣の素養があるうちの護衛に聞いてみてもお嬢様には危険だから、ってちゃんと教えてくれないし」

「ふーん。お嬢様が頼んでんのに協力してくれねえ、と」


「舞台で映える殺陣が実際の剣技と違うとはわかっているわ。でも……」

「ああ。だから、舞台での映えを意識しつつ、もっと殺す気で向かって来いよ」


 ヒスキの提案に、カティヤは目を瞬かせた。


「お嬢様の英雄には殺気が足りん」

「……だって小道具の剣だって、当たれば痛いでしょう」

「死にゃあしねえよ」

「そうだとしても……」

「多少怪我してもいいじゃん。雇った協力者なんて使い捨てろよ」


 ヒスキの言いように、カティヤはむっとした顔を向けた。


「覚えてねえか? 俺、屋敷の二階から落ちたんだぞ。そんときのほうが、余程死ぬかと思ったぜ」

「……そうだったわね」


「それに下町で暮らしてると、よく喧嘩に巻き込まれて殴られたり蹴られたりしてるし。その暴力に比べりゃ、練習でポカポカ殴られようがなんともねえな」

「そう、わかったわ。本気で向かっていけばいいのね」

「おう。その意気だ」


 その後の練習で、カティヤは練習用の軽い棒をヒスキに打ち込んだ。これまでの打ち合わせにない部分を攻撃し、八割方は防がれたが、当たったときもあった。

 一区切りついてから、カティヤはヒスキに近づいた。


「あ、あの。大丈夫? 何回か思いきり――」

「平気平気。当てようとしてたじゃん。そのくらいやらんと迫力出ねえからな」


 ヒスキの反応に、カティヤは笑みをこぼした。




 やがて練習が進む中、本番用の衣装が完成したので衣装合わせとなった。


 アスタは普段着ないようなドレスを着て、照れをなんとか抑えようとしつつ、着替えた部屋から出て行った。集まった者の視線が集中するのがわかり、頬がさらに赤く染まる。

 やがて、カティヤが声を上げた。


「やっぱり私の見立てた通り、可愛いわ!」

「あ、ありがとうございます。……でもカティヤさんが普段着ているドレスよりも派手じゃないですか?」


 あちこちに金の縁取りがされ、宝石を模した輝く石がついている。大きく膨らんだスカートはボリュームがあり、これまで練習した動きがそのままできるのか不安になるほどだった。


「舞台衣装は派手でわかりやすく、よ。それに昔話なのだから、現在主流のドレスとはまた違うわ」


 そういうカティヤも、古風な英雄の衣装に身を包んでいた。マントをたなびかせ、旅装束のような格好で腰に剣を差している。ブーツやベルトの使い込んだ感じはわざわざ汚れ加工にしたのだろうか。

 巻き毛をリボンでまとめて帽子を被った姿は、普段の令嬢らしい姿とは印象が違い、少年らしさがあった。


「カティヤさんも格好いいです!」

「そう? 私としては、もう少し英雄らしく背が高く見える小細工をしたかったんだけど。底が厚過ぎる靴は履き慣れていないと危険だって言われたものだから」


 ブーツを指さして、カティヤは残念そうに言った。それでも踵が高いブーツを履いたカティヤは普段より目線が高く、凛々しく見えた。


「アスタは理想通りだわ。綺麗な白い髪が舞台に映えるわね」


 プロデュースした出来に満足した様子のカティヤに、ヨルンが口を挟んだ。


「待て。ホムンクルスを劇に出しているなんて噂が広がったらまずい。これだけの衣装を用意できたなら、かつらもあるだろう」

「ええー。……しょうがないわね。アスタ、何色の髪がいい?」


「姫なら金髪でしょうか」

「そうよね。金髪にして巻き毛にすればきっと豪華さが増すわ」


 台本の冊子にメモするカティヤ。

 もしかしてかつらの話が出なければ、本番ではこの髪を巻いていたのだろうか。縦ロールにした白い髪の自分を思い浮かべてしまった。


「主演の二人は相変わらず乗り気だな」

「普段着ないような衣装を着るとわくわくしませんか? それに」


 アスタはヨルンのほうに目を向ける。普段黒衣ばかり着ている錬金術師は、いまは古風ではあるが立派なローブを着ていた。幅広の袖口には複雑な模様が描かれ、フードを留める襟元には宝玉を模した石が飾られている。


 世俗から離れて隠居している賢者というよりは、宮廷に仕えていそうな絢爛さがあるが、わかりやすさ重視ならこれでいいのだろう。

 この衣装で舞台に上がるのは一シーンだけで、残りは石像かと思うと勿体なかった。


「……ヨルンさんも素敵ですね」

「金がかかってそうな衣装だからな」

「それだけじゃなく! その」


 ヨルンからしたらごてごてし過ぎで機能的とは程遠いのだろうが、アスタとしては言っておきたいことがあった。


「……格好いいです」

「……そうか」


 その後、二の句が継げずに黙り込む二人に、邪竜の衣装を試着したヒスキが近づいてきた。


 竜を模しているといっても着ぐるみや被り物ではなく、頭に角、背中に羽根や尾を生やし、蛇皮の肩当てや手甲、脛当てをつけている。

 大仰で刺々しいシルエットで、黒に近い緑の色味でダークさを出した様子なのも含めて、一昔前のRPGの中ボスらしさがあった。


 カティヤに邪竜を擬人化させるとこうなるのか、それともこの世界の現在の演劇界の主流がこうなのか。


「で、ヨルンの感想は?」

「……感想とは」

「女の子が着飾ってんだから、なんか言うことあるだろ。ほら、俺らに遠慮せず」

「そうね。私たちはいないものと思って」


 気がつけば、カティヤもアスタたちの様子を興味津々とばかりに窺っていた。

 さらに黙り込み、アスタから顔を背けるヨルン。

 アスタはどきどきと鼓動が高まっていった。が。


「……館に帰ってから伝える」

「うわ、ここで言わんでどうすんだよ」

「素直に言ってくれていいのよ? 可愛い、素敵だ、素晴らしい、って」

「お二人とも、ヨルンさんはそういうのは柄じゃないですから……」


 なんとかフォローしようとするものの、衣装を着ているときに直接感想を聞けなかったのは、少し残念だった。


「ヒスキさんはカティヤさんになにか言うことは?」

「女の子の役をやりゃあよかったのに」


 ひどく残念そうにヒスキは言った。ある意味正直者だった。


「その台詞、既に十回くらい聞きました」

「いまからでも遅くねえ。英雄を女性にしようぜ」

「そうしたら姫とのラブロマンス要素はどうなるんですか」

「そっか、その問題が。……いや、別にそこはそのままでも」

「そこの邪竜。馬鹿なこと言ってると成敗するわよ」


 カティヤに諫められ、雇われ素人役者はびくりとして背筋を伸ばした。舞台裏を見ていると、英雄が凶悪な邪竜相手に苦戦するような話には見えなかった。

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