舞台上の御伽噺 1
クーユオの街がある国、プロイアヴリオは大陸北の半島にあり、冬が長く夏が短い。
アスタはホムンクルスなので人間ほど寒さや暑さの影響は受けないものの、この世界で目覚めたときは春と聞いてこれから温かくなっていくのかと思ったが、いつまでも肌寒い気候だったので、その地形に納得した。
そんな春が終わり、温暖化のせいで夏の気温が上昇していた前世から比べたらまだまだ涼しいと感じる初夏に、季節が移り替わりつつあった。
ある日の午前中。いつもより早く起きてきたヨルンが軽食を食べて、アスタとノーラが昼食の仕込みをしているとき、手紙が配達された。
基本的にこの館に手紙が届くならヨルン宛なので今回もそうかと思ったが、宛先にあったのはアスタの名前だった。
この世界に転生して、はじめて手紙をもらってしまった。どきどきして裏返すと、差出人はカティヤだった。封蝋で封をされた封筒に入っていたのは招待状だった。
アスタは居間に戻って主に報告する。
「ヨルンさん、カティヤさんからお誘いです。今日の昼間、怪盗の一件のお礼に食事をご馳走してくれるそうです。よろしければヨルンさんも、とありますが」
「報酬なら既にもらったが。それに今日はやってしまいたいことが」
「そ、そうですか。一緒に街に行くいい機会かと思ったんですが」
つれない返事に肩を落とすと、ヨルンはフォークに刺していた芋を口に運び、咀嚼して飲み込んでから、答えた。
「……わかった。行こう」
アスタの表情が明るくなった。
「いいんですか?」
「食事をするだけだろう? その後、店の素材を見て帰る。君は好きなだけ彼女と親交を深めればいい」
暗に自分は交流をする気はないと言っているようなものだったが、ヨルンが外に出る気になったのなら上々だ。
「はい!」
元気に返事をし、昼間からの予定が決まった。
領主の屋敷を目指して歩いて行き、街の大通りに差し掛かったところで、なにか思い出した様子のヨルンに問われた。
「そういえば装飾品を買いたいとか言っていたが。買ったのか?」
「買ってないですね。森に行くときの服ですらヒスキさんに駄目出しされたので、もう少しこの街の平均的な装いがわかってからにします」
道行く人々は、最初にアスタが街に来たときよりも薄着になっていた。それでもそこまで気温が高くないからか、いかにも夏服という人は少ない。
ヨルンはというと、相変わらずの黒の上下に薄手の黒い上着を羽織っていた。生地は薄くなっても、春先と印象は変わらなかった。
ヒスキによると、錬金術師は特権階級でなに不自由なく暮らしているという印象らしい。後者に関しては間違っていないだろうに、金持ちらしさが特にないのはなぜだろう。
研究室にこもってひたすら研究や依頼のための作業をして、それ以外は知ったことではないという優雅さの欠片もない生活をしているからというのもあるが――やはり一番は、毎日代わり映えのしない服を着ているからではないだろうか。
「暦の上では夏になったようですし、ヨルンさんはなにか新しい服を買ったりは」
「傷んだら変えている。いまのところ、持っている分で不自由していない」
ばっさりだった。この間、ヨルンに対して過干渉過ぎたかもしれないと反省したアスタは、それ以上しつこくこれまでと違う服を勧めることは躊躇われた。
「そういう君は、館にいるときより気合を入れた服だな」
「や、やっぱり珍妙ですか?」
エプロンを外した館で着ている服のほうがマシだと言われたらどうしよう、と思わず問いかける。
帽子を被って白い髪を隠し、ブラウスにロングスカートという、領主の屋敷を訪れても失礼にならないようなフォーマル目の服にしたのだが。
「君が領主の屋敷を訪ねる服を選ぶとそれになるのか。興味深い」
ヨルンからの賞賛は期待していなかったが、いいとも悪いとも言われなかった。
領主の屋敷を訪ねると、カティヤは以前とは異なる淡いベージュのドレスで現れた。こういう装いの変化こそ、衣替えの醍醐味だという好例だった。
「カティヤさん、お招きありがとうございます」
「来てくれて嬉しいわ。久しぶりね、アスタ」
楽しそうに会話する二人の後ろで、居心地悪そうにしている錬金術師がいた。手持ち無沙汰な様子を隠しもしない。
「ヨルンもわざわざよく来てくれたわね」
「……アスタだけ誘えばよかったのでは」
「この間のお礼だと書いたでしょう。それにヨルンともまた会いたかったわ」
「今度は切り裂き魔でも出たのか」
「いまは特に事件は起きていないけれど、錬金術師と親交を深めておけばいざというときに依頼もしやすいでしょう?」
「錬金術師は便利屋ではないのだが……」
前回は怪盗の対策のためにやるべきことがあったから、カティヤとともに作戦を語ってやるべきことをやっていた。だが明確な目的がないとヨルンは途端に口数が少なくなり、カティヤのテンションについていくのが大変そうだった。
テーブルに並んだ昼食は、以前出された夕食よりも豪華なものだった。アスタは目を輝かせ、舌鼓を打った。
しかしこれからデザートというところで、ヨルンは席を立った。
「すまないが甘いものはあまり食べないので、二人で食べてくれ。ご馳走になった。失礼させてもらう」
カティヤが止める間もなく、立ち去ってしまった。
「す、すみません。ヨルンさん、どうにも個人主義というか……」
「これまで待ち外れの館にずっとこもっていたと言われる錬金術師が、二度もこの屋敷に来ただけでも進歩だわ。それにアスタも、ヨルンが主ならあまり悪く言うものじゃないわよ。周りになにか言われても、あなたは擁護や賞賛をしてあげないと」
「確かにそうですね」
元日本人の特性、身内に対して謙遜する癖が出たようだ。
「では言わせてもらいますが、ヨルンさんはああ見えていい人ですよ」
「ええ。でもそれを知っているのは、私とヒスキと彼の妹さんと、館に住むアスタたちくらいでしょうけど」
「そうなんですよね……勿体ない」
「この間の怪盗の件であなたたちに力を貸してもらったことを、社交の場で話したわ。これまでクーユオの街の錬金術師を知らなかった方々から、依頼が増えるといいわね」
「ありがとうございます、カティヤさん」
怪盗の件を引き受けた結果、上向きになったこともあったようだ。そのことにアスタは安堵した。もっとも一番よかったことは、カティヤやヒスキと知り合えたことだけれど。
初夏に採れる果物を使ったケーキの綺麗な飾りつけとおいしさにアスタが顔をほころばせていると、カティヤが話題を変えた。
「アスタはホムンクルスのわりに自由に街に出てきているようだけど、あの館ではそういう方針なの?」
「あ、はい。午前中は雑用をして、午後は好きにさせてもらっています」
「街でなにをしているのかしら」
「散歩とか買い物とか……ネアさんに薬を届けたときは、そのまましばらくお話をしたり」
「あら。私のところにももっとたびたび来てくれていいのに」
「カティヤさんは領主の家の令嬢ですからお忙しいのかと」
「事前に連絡をくれれば予定を調整するわ」
「連絡……館のホムンクルスが言うには、手紙よりもホムンクルスを使って連絡を取ったほうが早いと聞きました」
そこまで言って、この世界でのマナーや礼儀の問題だろうか、とアスタは感じた。
「それは手紙しか連絡手段を持たない人相手の場合でしょう。錬金術師なら、なにか簡単に連絡を取れる方法を知らないのかしら」
簡単に連絡を取れると聞いて、電話やメール、メッセージアプリが頭に浮かんだ。だがこの街では携帯電話やタブレット端末はおろか、電話すら見たことがない。
「錬金術師はそうしたことができるんですか?」
「アスタ、あなたは錬金術師をなにをする人だと思っていたの?」
「宝石の模造品を作ったり、薬を作ったりしていましたね」
「アクセサリーの模造品なら宝石職人でも作れる、薬なら薬剤師のほうが専門でしょう。錬金術師は世界の神秘を知り、常人にはできないことをやってのける力を持つ存在。人により得意分野は様々だけれど、ものを作り出すことに秀でた者が多いわね」
ホムンクルスに薬に宝石の模造品。ヨルンはまさにそのタイプだ。
「欲しいものを依頼すると、これまで存在していなかったようなものでも作ってくれることがあるらしいわ。そのためには相応の資金がいるけれど」
「そうなんですか」
そんなことをしているのなら、研究室にこもりきりでも生活していける理由としては十分だった。これまで存在しなかったものを作るなんて、ものによっては重要な功績を残した偉人として称えられるのではないだろうか。
そこまで考えて、思った。意思を持つホムンクルスなんて、これまで存在しなかったものの際たるものではないのだろうか。
「歴史に名を残した錬金術師は、似たような発言を残しているわ。この世界にかつて存在した失われた技術を再現したのだ、って」
この世界には失われた古代文明でも存在するのだろうか。それを再現しているのが錬金術師だとしたら、夢が広がる話だった。
「話が逸れたわね。アスタの趣味は他になにかあるか訊きたかったの」
「趣味ですか? 最近は趣味と実益を兼ねて、館のホムンクルスに教えてもらったり料理の本を読んだりして、作ったことのない料理を作っていますよ」
目覚めた当初に比べたら、竈の使い方も覚えて包丁で野菜の皮を剥くのにも慣れ、レパートリーも増えた。屋根や棚の上に上って掃除をしても、恐怖感は薄れた。人は成長するものだ。いや、人ではなくホムンクルスも。
「それは館のホムンクルスとしての役目をこなすためでしょう。自分の楽しみのためだけにやりたいことは、散歩と買い物だけなの?」
そう言われて、前世での趣味を思い出した。学校を休んでいる間や入院中の時間を過ごすためにやっていたことを。
漫画を含む読書、ドラマや映画の視聴、音楽鑑賞、ゲームやインターネット。見事にインドア人間のお手本のようなラインナップだが、実際身体が弱くて外に行けずインドアだったのだから仕方がない。
そしてこの中のどれなら、この世界の住人にも通じるのかと考える。
「読書や音楽鑑賞ですね」
「錬金術師の館なら本は沢山ありそうだけど……ヨルンが読むような専門書をあなたも読むの?」
「いえいえ、まさか」
「なら巷で流行っているような、探偵や怪盗や殺人鬼が出てくるような話?」
「ミステリーですか、いいですよね。わたし、一昔前に流行ったレンガのような分厚い本を毎日少しずつ読むのが好きで」
「待って、どこの界隈でレンガのような本が流行ったの?」
アスタは笑顔のまま固まった。駄目だ、なにを言ってもボロを出す。一見会話が成立しているようで、二人が想定しているのは別の世界の本だ。
「確かに印刷技術の向上によって本は昔に比べたら普及したし、厚い本を書く作家もいるけれど。レンガほどの厚さの物語が主流かと言われると……専門書や辞書ならあるんでしょうが」
「すみません、なんでもないです。忘れてください」
「そう? まあいいわ。とにかく物語が好きなのよね」
「はい。いいですよね、面白い物語は。現実を忘れられて」
「……そんなに現実が辛いの?」
「あ、いえ、昔の話です」
下手なことを言うとヨルンに対する風評被害になる。気をつけなければ。いまは体調が悪くて伏せっている状態から目を逸らしたいわけではないのだし。
「素晴らしい物語に魅せられるのはわかるわ。私は本よりも……その、劇が好きなのだけれど」
これまでのはきはきした物言いとは違い、どこかもじもじしながらカティヤはそう切り出した。どうやらその話をしたかったらしい。
「劇ですか」
演劇を生で見たことはないですが、と言いかけて、ふと思った。
ドラマも映画も、人が物語を演じているという意味では同じなのではないか。そういう意味では好きな作品は沢山あった。
「わたしも素敵だと思います」
「そうよね! このよさがわからないなんて人生損しているわよね!」
さっきまでもじもじしていたのが嘘のように、熱弁された。しかも若干早口で。
「趣味が合う友達ができて嬉しいわ。今度この街の舞台を見に行きましょう。いえ、いっそ王都の劇場まで足を延ばすべきだわ」
「えーと……他の貴族の方と行ったほうがいいのでは……」
「この街の貴族で同じ年頃の女性で、観劇を趣味としている人がいないから困っているのよ」
領主の家の令嬢などという身分でも、望んで得られないものはあるらしい。
「この街クーユオは、王都が近いといえば近い立地ではあるものの、辺境なのよ」
「はあ」
「つまり、役者として有名になりたかったら、こんな街に来るよりも王都へ行ってしまうの。そして王都の劇団はこんな辺境へは滅多に来ないわ」
ライブなどで全国公演とうたっていても、ただし主要都市のみ、というやつだ。哀しい地方格差があるのは元の世界だけではないらしい。
「だから劇の文化が発展しないし、この街の住人で観劇を趣味としている人はあまりいないのよ」
「お、お気の毒に……」
「でも、この街出身の役者多数で構成されたクーユオの劇団も素敵なの! まさに知る人ぞ知る存在ね。王都の住人は泣いて悔しがればいいわ」
笑顔でそう締めくくるカティヤは、楽しそうだが若干王都の住人への恨みも混じっていた。そして紅茶で喉を潤し、息を吐き出す。
「役者や演劇にかかわる仕事に憧れたこともあったけれど。お父様に反対されているのよね」
諦めたような顔でそう言うカティヤに、アスタは頭に浮かんだことを口にした。
「やればいいじゃないですか」
「……いや、だから反対されて」
「カティヤさん、お金も人脈もありますよね。領主さんはいつも家にいるわけじゃないんですよね」
それに健康だし声もよく通る。見栄えのする容姿で、人前に出るのも慣れていそうだ。なにか問題があるとは思えない、むしろ向いていそうに見えた。
「バレなければいいんですよ」
「そ、そうよね!」
最初会ったときは優雅で余裕ある令嬢という印象だった少女が、期待と不安の入り混じった顔でアスタの言葉に同意した。
「じゃあ、あなたも協力してくれる? 報酬は払うわ」
「はい!」
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