兄妹と心境の変化 2
「魔物について知りたい? だったら……」
ヨルンに魔物について訊いてみたところ、初心者向けの本を貸してくれた。アスタは一応文字が読めるが、文章も平易で子供でも内容が理解できるように書いてあるように思えた。ヨルンが子供の頃に読んだ本なのだろうか。何度も読んだような跡があった。
本によると、人間にとってそこまで脅威でない魔物なら、街の近くにも生息している。しかし凶暴で人を食うような魔物は人里離れた地に生息し、街で生活している分には目にすることはない。
最近では街道も整備されて、危険区域は壁や柵で囲われ、旅をしていても人を襲うような魔物と遭遇することは昔に比べたら大分減ったという。
この世界に魔物は存在していても、人々がもっとも恐れる脅威というほどではなくなっているようだった。
どこかにいることは知っていても、街の中で遭遇することはない。現代を生きる日本人から見たサバンナの肉食動物や、海に生息する鮫のような扱いだろうか。
「ところでヨルンさん。この間のヒスキさんへの言伝の際、竜の爪や不死鳥の羽根を取って来れば報酬を払うと言ったのは冗談だったんですね?」
街の周辺にいるはずもなく、喧嘩慣れしている程度の腕で敵うはずがないのだから。
そうか、ヨルンも冗談を言うのか、とアスタは感慨深く思ったが、居間にやって来て休憩中のヨルンは、わずかに目を細めてお茶をすすった。
「死ぬ前に一度くらい見てみたいものだな。竜の爪や不死鳥の羽根」
研究熱心な錬金術師の辞書に、冗談という字は載ってなさそうだった。
本によると、人と魔物の生息区域を分けたのは、人智を超えた力を持つ竜や不死鳥かもしれない、という説があるという。その理由が希少な素材を得るために乱獲されたからではないといいな、とアスタは思った。
それから本から顔を上げてアスタもお茶で喉を潤しつつ、向かいの席に座るヨルンを見た。
興味がある分野について語るときのヨルンは、一見無表情のように見えても瞳に好奇心を宿していて楽しそうだ。そんな風に思えるようになってきた。
錬金術師として受けた依頼と作業。研究、実験、読書、知識欲を満たすためにできること全般。ヨルンは自分一人でできることで完結している。そこに第三者が入る隙などないかのように。
他人に期待しない、当てにしないから、他人とほとんどかかわらなくても暮らしていける。だからこれまで館に閉じこもっていてもやってこられた。好きな分野に携わっているだけで、ヨルンは満たされているのだろう。
そのことが少し羨ましくて、少し寂しかった。
ある日の午後。薬を届けがてら、アスタはネアを見舞った。ヒスキは仕事で外出していて、ネアと二人で午後のひと時を過ごすことになった。
「ネアさんは病気を治したらなにをしたいですか?」
「お兄ちゃんにご飯を作ってあげたいの」
「ご飯?」
「あと、部屋の掃除とか」
ネアにつられて、アスタは二人が住んでいる集合住宅の一室を見渡す。寝室は体調が悪い人が歩き回っても問題がない程度に片付いているが、居間は雑然としていて掃除も行き届いているとは言い難かった。
「お父さんたちがいなくなってから、お兄ちゃんはわたしのために病人でも食べられるような料理を作ってくれて……お返しをしたいなって」
胸がじんわりと温かくなった。
「お兄さん想いなんですね」
「ずっと頼ってばかりなのが嫌なだけなの」
どこか不満そうに言う少女は、そうしていると年相応の子供に見えた。
「それにお兄ちゃんの料理って、栄養があって食べられればいいって感じのものだから。お母さんの料理を目指して練習なきゃ」
妹のためを思ってしているであろう兄の行動は、いまいちすれ違っているようだった。
アスタも前世で子供の頃、身体を丈夫にするためにとレバーや自家製野菜ジュースが続いたことを思い出した。
夕方、店を覗いていると、帰宅するところらしいヒスキと行き会った。薬をネアに届けたことを伝えると、礼を言われた。
「送ってってやろうか」
「いえ、ネアさんについていてあげてください」
「残りの代金をヨルンに届けるついでにだよ」
そう言われては、断る理由はなかった。歩き出してから、ヒスキは大通りの食品を売る店が連なる辺りの屋台を指さした。
「ホムンクルスってもの食えるんだよな。そこの食ったことあるか?」
「ありませんけど」
「じゃ、おっちゃん、二つくれ」
「はいよー」
あまりの早い注文に、止める間もなかった。やがてタレのついた肉の串焼きが一本、アスタに差し出された。
「ほれ」
「ありがとうございます……ですが」
夕食を食べられなくなったらどうするんですか、と続けようとして、腹が鳴った。
「やっぱこのにおいがすると腹減るよな」
お腹を押さえて赤面しつつ、アスタは照れ隠しに串焼きにかぶりついた。
甘辛い大衆的な味はノーラが作る似たような肉料理より癖がある味で、前世であまり食べたことがなかったジャンクフードを連想させた。
「……おいしいです」
「なんで悔しそうに言うんだよ」
「食べ過ぎて太ったらヒスキさんのせいですから」
「街中を歩き回ったり、館で雑用したり森に行ったりしてるようなやつ、ホムンクルスでなくても簡単には太らねえよ」
食べながら、館への道を歩いて行く。ヒスキは瞬く間に串焼きを食べてしまい、アスタは先に食べ始めた者としての意地で残りを食べきった。
「あ、あと買い食いを注意されたらヒスキさんからもらったって言いますからね」
「そんなことでいちいち怒るのか? お前のご主人は」
アスタは言葉に詰まった。午後の自由時間にどこへ行ってなにをしようが、ヨルンも館のホムンクルスも特になにか言ってくることはない。
普通の子供と違って体調を崩しがちなのだから、なにが入っているかわからないものを食べないで、としつこく言われていたのは前世での話だ。
「そっか……わたしはもう、なにを食べても注意されないんですね」
栄養バランスを考えず、塩分糖分をとりすぎても、体調を崩すことはない。その代わり、およそ十年で活動は止まる。
普段意識しないことを改めて思い出してしまった。気にしたところでどうにもならないことではあるが。
「どうした?」
「なんでもありません。それにしてもヒスキさん、面倒見いいですね」
「そうだろ」
「それはそれとして、そうやってたびたび散財するからいざというときに薬代がないのでは?」
「あのな、治療代も薬代も、ここで我慢したところで捻出できる額じゃねえよ」
そうは言っても、少しずつでも溜めていたら大金になるのではないだろうか。
しかし自分が好むものを知り合いに気軽にあげるような人だからこそ、街に多くの親しい人がいることに納得がいった。
周囲にひと気がなくなってきてから、アスタはぽつりと言った。
「ネアさんと話をしたんです。病気が治ったらなにをしたいか訊いたんですが、意外な答えでした」
「意外って、なんて言ったんだ?」
「それは本人に聞いてください」
思わず答えそうになり、プライバシーを考慮してそう言っておいた。
「わたしは病室から出られなかったとき、外に出たかったし友達が欲しかったんです」
「病室? 採取担当のホムンクルスが回復中とか言ってたな。その状態のことか?」
「え、ああ……そんな感じです」
小学校に入学するとき、母に言われた。友達百人できるといいね。
少子化に拍車がかかる今日この頃、一学年のクラスを合わせても百人もいないようだったが。まだ入退院を繰り返していなかった頃は、希望を持っていられた。
入院するようになってからは、こんな身体に生まれなかったら、と何度も思った。普通に毎日学校に行けていたら、部活に入れていたら、もっと誰かと親しくなれたのではないか、と。
いまでは実現できなかったからこそ、その言葉は呪いのように刺さっている。
「ヨルンさんもあまり他者とかかわりたがらないようですし。わたしの願いは間違っているんでしょうか」
「ま、やりたいことも願いも人それぞれだろ。みんながみんな同じようなこと考えてたら、つまんねえじゃん」
「そ……そうですね」
ある意味当たり前のことなのに、ヒスキに言われたことがアスタに染み渡っていった。
この気づきを、病室で独りきりだと嘆いている前世の自分にさせたかった。
友達が沢山いないといけない。休みの日はみんなと外で遊ばないといけない。空気を読んで人付き合いをして、若いうちから異性と付き合っているような人間のほうが、人生経験を積んでいる。家にこもっているよりも外に出て行ったほうが価値がある時間。友達や恋人がいないと寂しい人で、将来孤独死する。
そうした考えこそ、普通で当たり前だと信じているような親だった。それを正しいことの指針として、子供を育てていた。
母はきっと、死ぬ間際に大勢の友人が病室を訪れて別れを惜しんでくれるような娘が欲しかったのだろう。残念ながら、そんな娘にはなれなかった。
転生して別の世界で生きていくことになったことだし、もうその呪いに付き合う必要もないのかもしれない。そもそもいまのアスタは人間ではないのだし。
行ったことのない場所に行きたい、知らない誰かと親しくなりたい、と思うのはやめないけれど。それはいまのアスタの願いだ。親に強要されたからではない。
しかしアスタの心境の変化としてはそれでいいとして、これまでの言動を思い返すと、恥ずかしくなってきた。
「わたし、ヨルンさんに自分の意見を押し付けていたかもしれません……」
ヨルンのやり方や生活態度、彼の思想に異を唱えた。その言い方は、親が孤独な人間に対して否定的だったことを彷彿とさせた。
自己完結していて他者の評価など気にしていない様子のヨルンが羨ましかったのは、アスタがもっとも身近な人間、親からの評価を気にしていたからだ。
だからヨルンにも呪いの言葉を投げかけていた。個人主義だとしても、錬金術師として問題なくやっていけるのなら、それで十分だっただろうに。
「そっか」
青くなるアスタに、ヒスキは笑いかけた。
「けどさ、ずっと館で研究してた錬金術師が街に出て来るようになったのは、あいつの意思だろ? 本気で嫌なら、ああいう頑固そうなやつならてこでも動かんぞ」
「あ……」
「それに、ヨルンがあの日領主の屋敷にいてあれこれ手助けしてくれたから、妹の件がすげえ助かった。アスタのおかげだ」
「……ありがとうございます、ヒスキさん」
「礼言ってるのはこっちだっての。そこは素直にどういたしまして、で終わらせとけ」
夕日に染まる街を歩きながら、アスタの心がじんわりと温かくなった。
館に帰ったアスタは、居間に出てきたヨルンに神妙な顔で向き合った。
「あの。以前言ったことについて、お話が」
いきなりのことに虚を衝かれた様子だったが、ヨルンはお茶一口飲んで続きを待った。
「わたしに自由をくれたのに、わたしはヨルンさんに必要以上に干渉していました。だから、その、街に出るとか人とかかわるとか、やりたくないなら無理しないでください」
「そうか」
カップから顔を上げたヨルンから返事があった。
「あ、でも――ヒスキさんはヨルンさんに助けてもらったこと、とても感謝していました」
その後、沈黙が続いてアスタが夕食の配膳をしようかと思ったとき。
「……街」
「え」
「また行こう」
ぽつぽつと言葉が紡がれ、アスタの瞳に光が宿っていく。
「君が干渉してきたのがきっかけだとしても、そう悪くないと思えたから」
「は、はい!」
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