兄妹と心境の変化 1

 普段はアスタがしゃべる声以外は静謐に包まれている錬金術師の館に、客の声が響いていた。


「薬代、足りない分はしばらく待ってくれ。頼む!」


 館を訪れたヒスキの懇願に、黒衣の錬金術師は無感動な顔を向けていた。


「――わかった。考えておこう」

「え、その返事、待ってくれるってことでいいのか? それともその内容を検討すると?」

「ここでこれ以上騒がしくするなら……」

「あ、静かにする、するから! ありがとな、恩に着る! じゃあな!」


 玄関の扉が閉まる音がして、けたたましい足音が去って行く。

 玄関でヒスキと話をしていたヨルンは、やれやれとヒスキが持ってきた代金が入った袋に手を伸ばした。


 お茶を出した後、台所で話を聞いていたアスタは、二人のやり取りにどうにも冷や冷やしていた。


「あの、ヒスキさんも踏み倒そうとしているわけじゃないと……」

「わかってる」


 治療費薬代をこれまでより安く済むようにしたところで、無料になったわけではない。

 最初の支払いこそ、屋敷で怪我をしたときの治療代やいろいろ協力してくれた礼も含めてきっちり払ってくれたが、一ヶ月後に早々この様子では、これから先が思いやられた。


「治療費がなくて領主の屋敷に忍び込むようなやつだからな」


 ヨルンの嘆息交じりの言葉に、アスタも肩を落とした。


「また無茶なことをされる前に、対策を打っておくか」




 翌日。アスタはヨルンからの言伝を持って、ヒスキの家を訪ねた。


「素材採取?」

「はい。いま、担当のホムンクルスが回復中でして。指定した素材を取ってきてくれれば、薬代を割り引くそうです」


 内容もマトがやっていたような狩猟や断崖に生える薬草までは指定されていない。十分人間に可能なものだ。


「なんなら竜の爪や不死鳥の羽根を取って来ていただければ、薬をただにしてこちらから報酬を払うと」

「そんなん取って来られるくらい強かったら、こんな僻地の街で燻ってないで英雄になれるっての」


 呆れたようにヒスキは言った。


「ヒスキさん、他人を躊躇なく殴れる自分は強い、って自慢していたじゃないですか」


「下町の喧嘩に慣れてんのと、魔物の中でもすげえ部類から身体の一部を入手できるかって話を一緒にされてもな」


 なるほど、そういうものらしい。


「で、どこでなにを取ってくればいいんだ?」


 ヒスキはアスタが持つ採取内容が書かれたメモに手を伸ばした。快く受けてくれたヒスキとともに、森を目指して歩いて行く。空はよく晴れていて、絶好のお出かけ日和だ。空に鳥が飛んでいるのが見えた。


「そういえば、この世界って竜や不死鳥と呼ばれるような存在がいるんですね。街で暮らしている分には見かけませんから、てっきりいないのかと」

「竜や不死鳥がその辺にごろごろいてたまるか。ってか街ってのはそういう脅威から住人を守るためにあるんだ」


 博識な錬金術師のところのホムンクルスなのに、なんで知らないんだ、という目で見られた。


「魔物退治を生業にしているような方も見かけませんでしたし」

「そんなんやるのは昔話で語られる英雄や騎士くらいだっての」

「いまはいないんですか?」


「獣と大差ないようなやつならその辺の森にもいるだろ。それこそ鳥型のは羽根、獣型のは毛皮採取のため、肉が食えるやつは食材にするために」

「ええっ!」


「なんでそこで驚くんだよ。近くの森によく採取に行くって言ってなかったか?」

「マトさん――先輩のホムンクルスに少し習った程度の腕で狩れる鳥や小動物が、まさか魔物だなんて」


 マトに弓や投石や仕掛けの作り方を習って、初心者向けの獲物を相手に練習していたが、知らないうちにモンスターをハントしていたかもしれないらしい。

 レベルが低いうちは、少しの経験値でレベルが上がるものだ。一から五くらいにはなっただろうか。


「少し習った程度の腕、ねえ。ホムンクルスは人間よりも力強いんだろ?」

「そ、そうですが」

「なら近くの森にいるやつくらい、的確に当てられるようになったら楽勝だろ」


 ヒスキはそう言って笑った。もしかしてアスタのことを、錬金術師の館の他のホムンクルスと同程度の能力を持っていると思っているのだろうか。


 買い被り過ぎだ。特に森での採取や狩猟は、この世界で目覚めてからはじめてやったようなものだった。少しずつ上達していくのは楽しいが、マトほどの腕前になるかと言われると疑問が過ぎった。


 それにしても、知らないうちにエンカウントしていたにせよ、この世界に魔物がいることは確定らしい。


「ヒスキさん、魔物に詳しいんですか?」

「人並の知識しかねえよ。魔物のことなら俺よりヨルンのほうが詳しいだろ。素材に魔物の毛皮や爪を欲してるんだから」


 それもそうだ。帰ったらヨルンに聞いてみよう。アスタでも理解できる内容の本でもあればいいのだが。


 そんな話をしながら歩いていると、ヒスキに声をかけてくる者が何人かいた。年齢は様々だが、みなヒスキと似たような簡素で着古した服を着ていた。


「どうした、ヒスキ。今度はその娘と付き合ってんのか」

「違ぇよ。こいつは大事な依頼主であり、今回の仕事仲間ってやつ」


「確かにおれたちよりいいもん着てるな。嬢ちゃん、金持ってんのか? おれらにも仕事回してくれんか」

「すごい白い肌だな。もしかして――」


「えっ、いえ、わたしはその……」

「はいはい、またの機会にな。俺たちは急いでるんで」


 早足で進んで行き、知り合いたちから遠ざかってから、ヒスキはアスタに向き合った。


「ヨルンから聞いたぞ。お前、なんか珍しいホムンクルスなんだって? 面倒事を避けたかったら、街の住人にいちいち反応してんじゃねえ」

「それ、初対面時にホムンクルスに一緒に芸をしようと誘った人の台詞じゃありませんよ」

「もうしねえよ」


「その言葉、信じさせてくださいよ。あ、気遣ってくれたことは感謝します。それにしてもヒスキさん、友達が沢山いるんですね」

「友達じゃねえよ。腐れ縁や仕事仲間だったことがあるってだけだ。ずっと同じ街に住んでりゃ、望まずとも付き合いができる連中っているだろ」


 あの館に長いこと住んでいそうなのに、街に友人らしい友人がいなさそうなヨルンのことが頭を過ぎった。


「ところでヒスキさん。言い難いことなら言わなくていいんですが……ご両親は」

「子供二人残して失踪中」

「ええっ」

「もう何年も帰って来てねえし、街の外で野垂れ死んでるってことかね」


 なんでもないことのように、ヒスキは笑って言った。


「だからネアは俺が守らないといけないんだ」




 街外れの館近くの森につき、ヒスキとともに指定された薬草や茸、木の実を収穫し出す。

 この一ヶ月の間にもマトの手伝いをしたので、最初に行ったときよりも目当てのものを見分けられるようになっていた。


「そういやアスタ。前は他のホムンクルスと似たような格好だったけど、最近はそうでもないな。ヨルンの趣味か?」


 街に行くようになってから揃えた外出用の服を見て、ヒスキが不思議そうな顔をして言った。


「わたしが選んだんですよ。森に行くなら動きやすい服のほうがいいでしょう」

「合理的だな。でもその見た目で珍妙な格好してたら、白い髪を露出させてるより目立つぞ」

「珍妙!?」


「男装というには中途半端だし、女性の武人や身体を動かす仕事に就いてる人は、もっと違う格好してるな」

「そうですか……」


 街を行きかう人々の格好を参考にしつつ、店にある服をあれこれ組み合わせて動きやすさを目指したのだが、この世界の街に馴染む服装には程遠かったらしい。


「ま、あの館のホムンクルスならどんな格好してても、ある意味みんな納得するけどな」

「その評価はちょっと困ります……。森に行くときはともかく、街に行くときはこうした格好はやめたほうがいいのはわかりました」


 エプロンを取ったロング丈の濃色のワンピースよりは平服らしいのではないかと思っていたが、なかなかうまくいかないようだ。


 一番目にする服装はメイドや執事のような服装のホムンクルスと、黒い上下の錬金術師なのだから、別の方向性を目指してみたのだが。


 そして普通から外れた格好で館から出て行っても、ヨルンやホムンクルスたちがそのことを指摘してくれないことはよくわかった。自分の服すらろくに構わないヨルンが、アスタが着ている服に対して可否を口にする様子は想像できなかったが、それにしたって。


 最初に街に行く前はノーラがホムンクルスの先輩らしく助言してくれたが、アスタが午後の時間を自由に過ごすようになってからはなにも言われなくなった。主の観察対象には余計な干渉はしないことになっているのだろうか。


「アスタって見た目だけなら貴族の令嬢と似たような綺麗さなのに、着飾ろうとは思わないんだな」


 綺麗と言われた。だがホムンクルスは人工物なのだから、アスタが知るものはみな端整な外見だ。それこそよくできた人形を褒めているようなものだろう。


「錬金術師の助手が必要以上に着飾ってどうするんですか」

「ああ、あいつはお前以上に着るものに気を遣わなさそうだな。でもさ、錬金術師ってのは俺たち平民からしたら特権階級みたいなもんだぞ」


「そうなんですか?」

「王都にいる錬金術師なんかは爵位持ってて当然、古くから続いた家が血と知識と秘術を受け継いでるっていう噂で。その秘術を持ってして王家御用達になってたりとか」


 初耳だった。


「ヨルンだってあんな館に住んでて、身の回りの世話させるためにホムンクルス何体も作って、それでいて高報酬の依頼をこなしてんだろ? 日々の暮らしに精一杯の平民が同じことできると思うか?」


 確かにそうだ。ヨルンはそれができるだけのこれまで培ってきたものと、才能があるのだろう。


「貴族の令嬢と言えばさ、アスタ、領主の家のお嬢様に気に入られてたじゃん。服の一着や二着、もらえるんじゃねえ?」

「ドレスを着て館の雑用をしたり森に行ったりはできませんよ」


 そこまで言って、ふと思い起こすことがあった。


「ヒスキさんは、カティヤさんとはどうなんですか?」

「どうって……」


 ぶち、と薬草が引き抜かれる。土を払ってざるに入れて、それからヒスキは続きを言った。


「迷惑かけたんだから労働で返せって言われて」

「ただ働きですか」


 そちらに時間を取られて薬代を稼ぐ余裕がないのではないか、と思ったが。


「俺が落ちて壊した茂みを直したりして、それはまあ当然だと思うんだけど。その後、飯出してくれたり、妹の分っつって残りもの詰めてくれたりで」

「おいしいですよね、カティヤさんの屋敷の料理」

「そりゃもう。って、そうじゃなくてだな」


 もしかしたら怪盗に目を輝かせていたカティヤのことだから、ヒスキとお近づきになりたいのだろうか。それとも、ヒスキの家の事情を心配しているのだろうか。

 なんてことを考えていたら、はあ、とヒスキが溜息を吐き出した。


「ヨルンといい、リンドグレン家のお嬢様といい――なに不自由なく暮らしてお高く留まってんだろ、とか思ってた自分を一発殴りたくなるよな。二人とも、最初の印象や噂と違ってお人よしっつーか……」


 言い難そうにしながらもぽつぽつと語るヒスキを見て、アスタは微笑んだ。


「そう言ってくれるヒスキさんもいい人ですね」

「なんだそりゃ。怪盗相手にいうことじゃねえな」


 はは、とヒスキも笑った。


 しかし、アスタは思った。カティヤはともかく、ヨルンのことはそこまで羨ましがるようなものではないのではないか。この間の怪盗の件から街の人とも少しずつかかわるようになってきたけれど、その前は本当にずっと館で研究ばかりだったのだから。


「街に知り合いが沢山いるヒスキさんがわたしは羨ましいし、ヨルンさんにもそうなってもらいたいです」

「そっか。ないものねだりだな」




 陽が落ちてきた中、館に帰り、アスタとヒスキは採取したものを依頼主に渡した。


「ただいま帰りました」

「頼まれた素材だ」

「ああ、助かった」


 残りの薬代から提示された薬草や木の実の分を引いた分が提示され、ヒスキは胸を撫で下ろした。


「このくらいならどうにか……」

「そうか」

「あ、なるべく早く用意できるよう努力するんで。じゃあまた!」


 ヒスキは調子のいいことを言って、錬金術師の館を後にした。それを最後まで見送ることなく、ヨルンは二人が採取してきた植物のチェックをしている。

 もう少し会話が続けばいいのに、とアスタは思わずにいられなかった。


 夕食を食べながら、今日のことを話題に出した。


「森での採取ですが、マトさんのようにはいきませんけど、少しずつ慣れてきた気がします。ヒスキさんにどこでなにが採取できるか教えたら感心されました」

「よかったな。友達ができて」

「と、友達……そうなんでしょうか」

「違うのか?」


 出会ったときは怪盗と屋敷の護衛で、今日は依頼主の代理としてのつもりだった。

 だけど、そうか、友達。同じ年頃なのだからヨルンと親しくなってくれればいいと思っていたが、アスタの友達と言われると、なんだかむず痒い。


「友達……というより、少し年上だから先輩って感じですね」

「先輩? ……というかこの間作られたばかりなのに、少し年上?」


「ああ、いえ。でも、いいですね、こういうの。親しい人が増えていく感じ、わくわくします」

「……そうか」

「ヨルンさんはしませんか? ヒスキさんやネアさん、カティヤさんと知り合って」

「……どうだろう」


 アスタがテンションを上げているのと対照的に、ヨルンからは淡々とした、あまり興味なさそうな返事をされた。完全に否定されなかっただけでもよしとしておこう。

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