令嬢と怪盗 3
暗闇の中で目を開いて、白い光が見えた。
――違う。白い髪と肌の少女……ホムンクルスだ。
「……う」
「あ、意識が戻ったようですよ、ヨルンさん」
「アスタ、ベッドから離れていてくれ」
そんな声が聞こえる中、少年は何度か瞬きをした。天井。豪華な室内。自分がベッドに寝かされているらしいことに気づく。
跳ね起きようとして、身体のあちこちが痛んだ。
「いっ……」
屋敷の二階から飛び降りたことを思い出した。足に硬い感触がする。添木を巻かれているらしい。
「急に動くな。傷口が開くぞ」
黒衣の少年が布団の上から手で押さえた。自警団員に混ざって領主の屋敷に潜入した際、ちらりと見かけた人物。漏れ聞こえた話によると、街外れに住むという錬金術師らしい。
彼はベッド脇に置かれた椅子に座り、今夜の騒ぎの元凶である少年の顔を覗き込んだ。
「君を追いかけていったホムンクルスから、話は聞かせてもらった」
「ああ……」
結局あの後、意識を失って捕まったことを察した。
平民が一生かけても稼げないような金を得ようとして、領主の屋敷に忍び込んだ結果がこれか。ままならないものだ。
「名前は?」
「……ヒスキ・ストラング」
捕まった以上、調べればすぐに素性は知られるだろうと、白状した。
「まず、今回のことでリンドグレン家の者に謝罪し、二度とやらないと誓え」
視線を巡らせると、ベッドを遠巻きにして、領主の家の令嬢が侵入者のほうを見ているのに気づいた。
「で、その後は自警団に突き出すって?」
そうなったら、未来は真っ暗だ。なんとか逃げる道を探さないと。だが武器は取り上げられているだろうし、この怪我では走れない。
「話は最後まで聞け。治療費のためにやったというのが本当なら――金は出せないが、患者を診てやってもいい」
「……あの話信じたのか?」
目を見張った。まだ夢を見ているのかと思った。夢でないのなら――闇と同色の髪と服で、愛想の欠片もない態度の癖に、とんだお人よしだ。
「うちの単純なホムンクルスを騙したというのなら、主として色々と言いたいこともあるが」
「……騙してねえよ。それが宝石を盗もうとした理由だ」
「そうか。医者の中には足元を見て高値を吹っ掛ける者もいる。もっと安価な薬でもなんとかなるかもしれない。薬代はもらうが」
「いますぐには払えないかもしれないが――必ず払う」
妹が死ぬような事態にでもならない限り、もう子供ではないのだから人前で泣くことはないと思っていたが、目頭が熱くなった。
「よかったですね。わたしの主、優しいでしょう?」
ついさっき武器を突きつけたホムンクルスが、そのときのことはおくびも出さずに微笑んだ。
「ああ……」
包帯が巻かれた腕で、ヒスキは目元を覆う。
どうにもならなくて追い詰められて、その末に領主の屋敷に忍び込んだはずだった。その先で救われるなんて、思わなかった。
「いい話だわ……」
「カティヤさん!?」
「怪盗から予告状が届いたときも、どこかで見た物語のようでわくわくしたけれど。兄妹愛のオチがつくとは思わなかったわ」
瞳を潤ませているカティヤに、室内にいた者たちの視線が集中した。
「他にはなにかないの? 名の知られた怪盗の血を引いているとか、有能な仲間や宿敵がいるとか」
「残念ながらねえな……」
この令嬢は一見領主の娘としての務めをまっとうしているように見えて、非日常的な事件やわかりやすい物語性のあるものが大好きなのではなかろうか。
その場に集う者の中に、共通認識が生まれた。
「怪盗を捕まえようと意気込んでいたとき目を輝かせていたのは、正義感からだけじゃなかったんですね……」
アスタがぽつりとつぶやいた。
ヒスキはこれ幸いとばかりに、カティヤに話を持ち掛けた。
「じゃあ領主の家のお嬢様が薬代出資してくれるか?」
「それとこれとは別問題よ。あなた、少しは自分がしたことを反省しなさい」
その日、ヒスキはカティヤの厚意で領主の館の客室に泊めてもらうことになった。
ヒスキは妹を一人にすることを案じていたが、意識が戻った時点でもう夜も更けていたのだからと説得され、そのまま眠りについた。
翌日の午前中。足を怪我したヒスキを送りがてら診察に行くことにしたヨルンに、アスタはついて行くことにした。
ヒスキの家は、大通りから逸れた道を進んだ先、酒場や庶民向けの食堂がぽつぽつと建つ辺りにあった。
大通りからそう離れているわけではないのに風景は様変わりし、道にごみが目立ち、建物の壁は経年劣化が見られた。建物が間を開けずに建ち並んでいるからか、日当たりは悪く、薄暗く思えた。
古びた集合住宅の階段を上った先の一室が、ヒスキとその妹ネアの住居だった。
「ネア、昨日は悪かった。ちょっと怪我しちまって」
「おかえり、お兄ちゃん。怪我って――」
寝間着に上着を羽織った格好で出迎えた少女は、頭に包帯を巻いて借りものの杖をついている兄と、背後にいる白い髪のホムンクルスと黒衣の錬金術師という客二人を見て、目を見張った。
「お客さん?」
「ああ。ネアを診察してくれるってさ」
「お医者様? お兄ちゃんと同じくらいの年に見えるのに、すごいんだね」
「残念だが医者じゃない。錬金術師のヨルンだ」
ヨルンの名乗りに、ネアはさらに目を丸くした。
ネアは十歳くらいに見え、あまり外に出ないからか日に焼けていない白い肌で、子供ということを差し引いても小柄で痩せた体躯だった。
肩にかかる長さのふわふわした薄茶の髪。榛色の瞳が、この家にはじめて来訪した者たちを見つめていた。
ヨルンはベッドに戻ったネアを診察し、体調についていくつか質問した。その後、ヒスキに向き直った。
薬なら用意できる、これまでどこの医者にかかっていたのか、といったことを患者から距離をとったところで話している中、ネアがアスタに話しかけてきた。
「あの……お客さん」
「あ、わたしはアスタといいます」
「アスタさん。昨日、お兄ちゃんになにがあったか知ってる?」
「ええと、それは……」
ヒスキが詳細を話していない以上、昨日の顛末を勝手に教えるのは気が引けた。
「怪我をして気絶したところを近所の方に保護されて、一泊させてもらっただけです。怪我は安静にしていたら治りますよ」
「そう」
ネアはどこか寂しそうな顔で、納得したかのような返事をした。
「お兄ちゃん、わたしのために無茶するの。治療代や薬代のために危ない仕事をして、無理してばっかりで」
「ネアさん……」
「今回もそうだったんだよね」
どこか諦めたような顔で、ネアは言った。
――ああ、この娘はわたしと同じだ。
身体が弱く病を抱えていて、家族を心配させてばかりだった前世の自分。自分ではどうにもできなくて歯がゆかった。たびたび入院なんてしなければ、その分のお金も見舞いに来た時間も、別のことに使えただろうに。
気遣われるのが心苦しかった。自分なんて構わなければいいのにという想いと、見捨てられたらどうしようという二律背反。こんな身体で生まれてきた理由を探して、答えなんて出なかった。
ネアも同じような想いなのかもしれない。
「またお見舞いに来てもいいですか、ネアさん」
「来てくれるの? 嬉しい」
顔をほころばせるネアを見て、思った。彼女を一人にしたくない、孤独にしたくない、と。
やがて話し合いに結論が出たらしく、ヒスキがネアのもとにやってきた。
「ネア。別の医者に診てもらって、その上で錬金術師に薬を用意してもらうことになったから」
「そうなの?」
「ヨルンの知り合いの医者を紹介してくれるってさ。飯食ったら行ってみよう」
「うん。ヨルンさん、ありがとう」
「別の医者にかかってヨルンの薬を飲んだら、きっと治るって」
未来の展望を口にする兄妹を前に、ヨルンはそれらの話題に肯定も否定もしなかった。
アスタとヨルンが近くの食堂で食事をするために一度ヒスキたちの家を出ようとしたとき、ヒスキがなにか思い出した様子で棚の上のものをつかんだ。
「ああ、そうだ。アスタっつったっけ。これ」
ヒスキが差し出してきたものを見て、アスタは見覚えがあることに気づいた。
「あ、わたしの帽子!」
「ネアにやろうと思ったんだけど。持ち主と再会してその主に恩ができちまった以上、勝手にうちのものにしちゃあ駄目だよな」
「いろいろ言いたいことはありますが……拾ってくれてありがとうございます」
「おう。ところで知り合いになったことだし、改めて一緒に芸でもする気は」
「まだ諦めてなかったんですか」
つっこみを入れるが、ヒスキの物言いは冗談染みていて、アスタも本気にしたわけではない。だが。
「うちのホムンクルスに妙な芸を仕込むな。見世物にする気か?」
据わった目をしたヨルンが、アスタとヒスキの間に入って来た。他愛ない軽口が通じない人間がここにいた。
「なにアスタ、こいつそういう方向で融通利かないのか? 屋敷で追いかけてきたお前より剣呑な顔してんぞ」
「ヨルンさん、落ち着いてください。ヒスキさんの冗談ですよ」
「冗談だから、と枕詞をつけておけばなにを言ってもいいと思っている連中は苦手だ」
「お前の言う苦手は万死に値すると同義のようだな。ったく……わかった、ヨルンの前でアスタに妙なことは言わんようにするから」
「僕の前だけでなくてだな」
「でもさ、そんくらい軽く流せるようでないと、これから先苦労するぞ」
「……君に心配されることじゃない」
反論を無理やり飲み込んだ様子で、ヨルンはアスタを連れて、ヒスキの部屋から出て行った。
食堂を目指しながら歩いて行くヨルンを、アスタは帽子を被りながら追いかけた。
「あの、ヨルンさん、ヒスキさんの言うことは気にしないほうが」
「別に気にしていない」
「そ、そうですか?」
いつもの無表情気味の顔と比較しても、不機嫌に見えるのは気のせいだろうか。
考えてみたらヒスキとヨルンは正反対だ。ああいうふざけ半分で適当なことを言いつつ他者と交流するタイプは、普段まともに他人とかかわらない錬金術師からしたら、苦手な性格だろう。
「もっと厄介な依頼人とかかわったこともあるから」
「……ならいいんですが」
できれば依頼人としてだけではなく、年の近い知り合いとして交流してくれたらいいのだが。これまで館の外の用事をすべてホムンクルスに任せていたような錬金術師にそこまで望むのは、酷なことだろうか。
ひとまずは、アスタが目覚めてからずっと館の研究室にこもっていた者を、街に連れ出せただけでもよしとしておこう。そう結論を出した。
館に帰ってから、アスタはヨルンに礼を言った。
「ヨルンさんのおかげで、ネアさんの治療費や薬代はこれまでより安価に済ませられるようになりました。ありがとうございます」
「ああ……いや、君に礼を言われることじゃない」
「ヒスキさんもネアさんも感謝していました」
そうか、とヨルンはぽつりと言った。
「そういえば、どうしてカティヤさんに協力してくれる気になったんですか?」
「効率がいいやり方があるのなら、ホムンクルスを貸すより早いと思っただけだ」
昨日のことを思い出したのか、ヨルンは嘆息した。
「結局怪盗は予告した宝石を盗まずに泥棒の真似事をして、それを発見した君が怪盗を追いかけて行って、あまり意味はなくなったな」
「ご、ごめんなさい」
「いや。君になにもなくてよかった」
好奇心を瞳に宿すことがあっても笑顔を見せたことがなかったヨルンが、かすかに笑った気がした。
「それに――たまには人とかかわってみるのもいいかと思った」
「あ……」
先日のアスタの話を、少しは聞いてくれる気になったということだろうか。
「領主の家の令嬢もヒスキも、最終的に錬金術師の客となってくれたし。客層を広げられたか」
「……待ってください。それ、人と人としてかかわってないんじゃ」
「ああ、そうだ。客といえば」
椅子にかけたままだった黒い外套のポケットを探り、ヨルンは小さな箱を取り出した。
「模造品のペンダント、結局使わなかったし持ってきてしまったな。つけるか?」
「えっ、見せてください」
箱の中にはリンドグレン家の家宝である雫型の薄紅色の宝石とよく似た、大振りの模造石がついたペンダントがあった。薄暗い部屋にこれがあったら、余程の審美眼がないと本物と見間違うだろう。
「綺麗ですねー。でもこれをつけて歩いたら、それこそ領主の屋敷から盗んできたと思われそうな」
「領主の屋敷に本物があるのだから大丈夫だろう」
「そうですか?」
しかし館の雑用をしているときに、これだけの大振りの石がついたペンダントをつけていたら邪魔かもしれない、と思っていると。
ペンダントを掲げてじっとアスタを見つめているヨルンと目が合った。
「……やはりこれはリンドグレン家の者に似合うように作られたものか」
「そうですね」
「君にはそれとは別に――」
「そうだ、結局昨日も今日も買い物はできてないんでした。服だけでなく、なにか安価な装飾品とか売ってますかね。ヨルンさん、街に行く気があるなら今度一緒に行きましょう」
アスタの提案に、ヨルンは溜息を吐き出してから、答えた。
「気が向いたらな」
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