令嬢と怪盗 2
屋敷で怪盗の対策を練っていたカティヤは、昼間会ったホムンクルスとともに来訪した黒い外套を着た錬金術師を見て、長い睫毛に縁取られた大きな瞳を瞬かせた。
「あら、錬金術師じきじきにお出ましとは。ホムンクルスさえ貸していただければよかったのに」
「怪盗を捕まえるよりも、もっと手っ取り早い手がある」
挨拶もそこそこに話を切り出したヨルンの慇懃無礼さを怒るでもなく、カティヤは屋敷の中を指し示した。
「話を聞かせてもらいましょうか。中へどうぞ」
ヨルンとマトに続いて、アスタも屋敷の中に入る。
街の中心に位置する領主の屋敷は、花や木々が調和するように植えられた広大な庭を通った先にあった。
屋敷は建築年数を感じさせるが丁寧に整備されていて、長い廊下には大きな肖像画や絵画、燭台などが飾られている。
応接間に通されると、飴色のテーブルにふかふかのソファがあり、天井にはシャンデリアが吊るされていた。
「すごい、お城みたいですね……」
「あら、ありがとう。でも地方領主の屋敷程度でお城なんて言っていたら、王都の貴族の邸宅はあなたにとっては天上の神々の宮殿に見えるのかしら」
「す、すみません」
「彼女はホムンクルスとして目覚めたばかりだ。見た目はご令嬢と同じ年頃に見えても、子供のようなものだと思って欲しい」
「そうなの? 確かになんだか不安そうにしているようだけど。……ホムンクルスには詳しくないけれど、そちらの赤毛の方とは違うように見えるわね」
カティヤの言葉に、アスタは背筋を伸ばして表情を館のホムンクルスのような無表情に変えようとした。
意思があるホムンクルスがここにいることをカティヤに知られるのは、ヨルンの本意ではないのかもしれない、と思ってのことだ。だがいまさら遅いのかもしれない。
そんなアスタを呆れの混じった目で見てから、ヨルンはカティヤに向き直った。
「それで、怪盗が狙っているものというのは?」
「ええ、リンドグレン家に伝わる宝石よ」
応接間の隣にある広間の奥に、大ぶりの宝石がついたペンダントが飾られていた。薄紅色で雫型の宝石は、カティヤの髪の色をストロベリーブロンドだと思ったせいか、苺を連想させた。
広間に移動して怪盗が狙うものをまじまじと見たヨルンは、結論を出した。
「これなら模造品を作って盗ませればいい。売ったところで二束三文にもならないようなものを」
「模造品って、予告された時刻まであと何時間もないのに」
「いまから作って間に合わせる。対価は後でホムンクルスの貸し出し代とまとめて払ってくれればいい」
「――なるほど。あなたがわざわざ来てくれたのは、そう提案するためだったのね」
「無駄に大捕り物を演じるよりはいいだろう? 怪盗などという非常識な存在をまともに相手にして、護衛やホムンクルスを無駄に疲労させ、屋敷を壊されてもいいというのなら止めないが」
「大捕り物……ちょっとやってみたかったんだけど」
ぽそりとカティヤがつぶやくが、ヨルンに怪訝そうに見つめられて、笑顔を作った。
「そうね、被害が少ないのに越したことはないわ。錬金術師ヨルン・クーラン。あなたに正式に依頼しましょう。予告された時刻までにペンダントの模造品の作成をお願いするわ」
街の住人の錬金術師への風評からして、カティヤがヨルンにどう出るか不安だったが、依頼人と請負人として、問題なく取引は交わされたようだ。
そのことに安堵しつつ、アスタはヨルンがこもっているカティヤに用意された作業用の部屋のほうに視線をやった。
ヨルンは出された夕食を一気に食べた後、夕食の間にマトに取ってきてもらった材料や道具を手に、模造品制作を開始した。
どこにいても個室で作業することになる錬金術師に、ぶれないなあ、とアスタは感じた。
「……で、わたしはなんのためにここにいるんでしょうね」
ヨルンの策で怪盗対策が終わるのなら、マトが頼まれたものを取りに行ったときに一緒に館に帰ってもよかったのではないか。
自分の存在価値に疑問を抱いてしまうが、荷物を届けたあとのマトも領主の屋敷に残っている以上、一応念のための待機だろうか。
「あら、そんなの怪盗が出たら捕まえるために決まってるじゃない」
「カティヤさん」
独り言を聞かれた、とアスタは肩を跳ねさせた。
「で、でも模造品を盗ませるということで落ち着いたのでは?」
「あなたの主の策に頷きはしたけれど。私、悪いことをする人って許せないのよね」
「その気持ちはわからなくもないですが……」
「模造品を盗ませた後に、追い詰めて捕まえるのよ。本物の家宝には指一本触れさせないし、屋敷に被害も加えさせないように護衛には言ってあるわ。あなたも協力してくれるわよね」
「それだと大変だから、穏便に済ませようということになったんじゃ……」
「あなたを作ったのはあの錬金術師でしょうけど、今夜雇ったのは私よ。つまり、いまは私が主ね」
人を使い慣れていそうな領主の娘が胸に手を当てて堂々と言うと、説得力があった。
「……もしかしてカティヤさんも、ヨルンさんが街に馴染んでいない異端者だから、意見に反したことをしてもいいと思ってるんでしょうか」
「なにそれ」
きょとんとした顔を返された。
「え。でも」
「領主の家は錬金術師に出資していると言ったでしょう? 錬金術師の腕は信頼しているわよ」
「……そうだったんですか」
カティヤは自分がやりたいことをやり遂げようとしているだけで、ヨルンを異物として見ているわけではないようだ。街での対応を見た後だったから、カティヤの言い分に安堵した。
「そんなことを心配するなんて、あなた、変わってるわね。他のホムンクルスと違って表情がころころ変わるし。最近のホムンクルスってそういうものなのかしら」
必死に無表情でいようとしても、顔に出ていたらしい。
「気に入ったわ。そういえば名前聞いてなかったわね」
「あ、アスタです」
「そう。よろしくね、アスタ」
笑顔を向けられる。こんな風に同じ年頃の少女と話をしたのはいつ振りだろう、とアスタは思った。
しかし、よろしくされたところで自分になにができるのだろう。
屋敷の内外には既に護衛と使用人、街の自警団員が配置されている。模造品が完成したら、広間にも立つだろう。そこに混ざればいいのだろうか。正直、怪盗を捕まえろと言われても、有益な働きができる自信はないのだが。
予告されたのは夜の九時。あと一時間半ほどで現れる予定だ。
監視カメラでもあれば楽なのだろうが、とこの世界にはなさそうなものに想いを馳せて、怪盗が出てくる漫画や映画などでは、そんなものは軽々とすり抜けて侵入してくるのだと思い出した。
そう、セオリーとしては、この場にいてもおかしくない者に変装して紛れ込んでくるのだ。
「……カティヤさん。自警団の人を呼んだと聞きましたが、全員信用のおける方ですか?」
「え」
カティヤの顔が固まった。
「ええと、腕に覚えがある方を頼んだだけで人選は……」
「怪盗が紛れ込んでいるかもしれません。屋敷の中には入れないほうが」
「そ、そうね!」
使用人を呼んでカティヤがその旨を伝えようとしたとき。屋敷の上階から、なにかが爆発したかのような大きな音が響いた。
「まさか、怪盗が現れたの!? 大変だわ、二階にはお父様の秘蔵の品を集めた部屋が!」
カティヤは護衛や使用人を引き連れ、二階へ駆けて行った。大勢の足音とざわめきが響き、過ぎ去る。
それについて行こうとしたアスタだが、階段を上がろうとしたところで足を止めた。
「……この光景も、怪盗が出てくる話ではよくあるパターンだったような」
概ね大きな音や派手な演出は引っかけで、怪盗はその隙に目的のものを悠々と入手している。怪盗が主役の話としては、めでたくお宝を得てハッピーエンドだ。
「……目的のもの? ヨルンさん!」
ヨルンが作業している部屋をアスタは目指した。駆け込もうとして、扉の前にマトがいるのに気づき、事情を話して開けてもらった。
「どうした? まだ時間ではないはずだが」
「予告されたペンダントは!?」
「ここにあるが。模造品を作っているのだから、本物と見比べないことには」
「盗られてないんですね。ならよかった……」
では、さっきの音に怪盗は関係ないのだろうか。
「もう怪盗が現れたのか?」
「いえ、轟音がして」
ことの顛末を語ると、ヨルンは訝しげな顔になった。
「広間の護衛はみな、二階に行ったのか?」
「そうみたいですね」
「広間や廊下にも値打ちのものが飾られていたな。この隙にそれらを盗んで自警団に紛れて逃走すれば、わざわざ家宝など盗まずとも儲けになりそうだ」
現実にあり得そうな予想を聞いてしまい、アスタは青くなった。
「広間に行きます! マトさん、扉の前に立っていてください!」
急いで広間に取って返すと、帽子を目深に被った自警団員らしき男が立派な調度品についた引き出しを漁っていて、ぎくりとして振り返った。
「あなたが怪盗ですか! 予告の時間を守らず、予告したものを盗まないなんて、怪盗の風上にも置けませんね!」
「ちっ」
注意喚起するアスタの横を、男が走り去って行く。いくつかの装飾品が懐に収まりきらなかったのか、床にこぼれ落ちた。
「ああっ! 待ってください!」
現実は非情だ。捕まえたい相手が前口上を大人しく聞いて待っていてくれるはずもなかった。
「応援、応援を頼みます! 怪盗かはわかりませんが、泥棒です!」
必死にアスタが叫ぶが、二階まで声が届かないのか、護衛たちはすぐには戻ってきてくれない。
――これは、わたしが捕まえないとどうにもならない!?
そうこうしているうちに男は階段を駆け上がり、二階に上がってすぐの場所にある窓を開けて足をかけた。
迷っている暇はない。アスタは窓から飛び降りた男を追って、身を投げ出した。
「え……」
空中で男にしがみつく。浮遊感は一瞬で、すぐさま落下した。
庭の茂みに落ちたらしい。枝が折れる音が聞こえ、身体に細い枝や葉が突き刺さるのがわかった。
とてつもない衝撃を覚悟したわりに、痛みとショックで動けないほどではなかった。森で手を怪我したマトが平然としていたのを思い出す。痛くないわけではないが、骨を折っていたとしても打撲程度の痛みだろうか。
これがホムンクルスとしての痛覚なら、身体が頑丈とか回復が速いという以前の問題で、咄嗟のときに有利だ。怪我をしていても、すぐに動き出せる。痛みで思考が真っ白になることもない。
アスタが地面に倒れている男を捕まえようとしたとき、相手ががばっと身体を起こした。
「ってー……お前、なにすんだよ!」
「人のものを盗もうとした怪盗に言われたくありません! ……って、あなたは」
目深に被っていた帽子が落ちて晒された顔は、十代後半の少年のものだった。癖のある茶の髪に瞳。その顔に見覚えがあった。
「あなた、昼間会った――」
声を上げようとしたところで、口をふさがれて茂みの影に連れ込まれた。突然のことに反応できずにいると、明かりを手にした護衛たちが茂みのすぐ前を駆け抜けて行った。
「いたか!?」
「お嬢様いわく、怪盗なら空を飛んで逃げるくらいやって当然らしいからな」
「家宝は盗られてないんだし、さっきの泥棒は本当に怪盗なのかね」
なんてことを言いながら、護衛たちは去って行く。足音がなくなってから、少年ははー……と長い溜息を吐き出した。
口を塞いでいた手が緩んだところで、その手を口からはぎ取りつつ、アスタは彼の手首をがっしりつかんだ。
暗がりの中で、アスタと少年の視線が交錯する。少年は手を振り払おうと力を込めるが、ホムンクルスの力のほうが強かった。そのことに気づいたのか、少年の顔が渋面になる。
「離せよ」
「嫌です」
「そう言わずに――いっ……」
立ち上がりかけた少年が、もう片方の手で足を押さえて地面に膝をついた。怪我をしているらしい。足だけでなく顔や身体のあちこちの細かい傷から血が滲んでいて、額に脂汗が浮いていた。
これが高所から落ちた人間の反応だ。同時に自分は人間ではないのだと、いまさらのように感じた。
顔を上げた少年が、前髪の合間からアスタに情に訴えるような瞳を向けてきた。
「……なあ。見逃してくれねえか?」
「駄目です」
「なら、お前の活動を止めないといけなくなる」
懐から出したナイフをワンアクションで抜き放ち、アスタの首元に突きつけてきた。
「わ、わたしのほうが強いですよ。回復能力だって高いと聞いて」
「お前、身体能力が人より高いホムンクルスっていっても、人を傷つけるのに慣れてないだろ」
ぎくりとした。図星だった。
「本気で捕まえたいなら、問答してる間に叩きのめせばいい。それだけの力があるんだろ。なんなら手首の骨くらい握り潰せるんじゃねえの」
「それは――」
こんな事態になるのなら、荒事に慣れているらしいマトに戦い方の基本を習っておくのだった、と思ったが後の祭りだ。
「でもお前には他人を躊躇なく殴れる、刺せるような雰囲気はまるでねえ。だから、それができる俺のほうが強い」
少年が露悪的な笑みを浮かべた。
アスタは息を呑む。夜風が庭の木々を揺らす音が聞こえた。
「もし昼間、わたしがあなたに協力してお金を稼いでいたら、こんなことはしなかったんですか?」
「予告状を出したのは今日の朝だからな。それに芸で稼げるっつっても限度がある」
少年の声が掠れ、息が荒くなってきた。
「……どうしてお金が必要なんですか」
「言ったらその分くれるのかよ」
「あげませんが、今回の報酬を貸すことはできるかもしれません。利子はもらいます」
「そんなん払えるかっつの」
笑い飛ばそうとしたかのような声だった。そんな提案は信じられない、それでも縋り付きたい――というような。
しばしにらみ合っていた二人だが、やがて少年はぽつりと言った。
「……妹の治療費」
「え」
「なんて、ベタな理由、信じるか? まあ――」
ナイフが地面に落ち、硬い音を立てた。
「もう、無理か……」
少年の身体がぐらりと傾いで、地面に倒れた。後頭部の髪が赤く染まっているのが見えた。
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