令嬢と怪盗 1

 翌日の朝。目が覚めたアスタは、倉庫から持ってきた鏡を覗き込んだ。鏡の中には白い肌に白い髪の、あまり馴染みのない顔が映っていた。


 館にいる他のホムンクルスより少し幼く見える、十代半ばほどの少女の顔。人形のように整っていて、色白過ぎて人間味があまりない。


 色素の薄い瞳は、角度や光の加減によって水色に見えたり桃色や黄色がかって見えたりする。他のホムンクルスとも違う不思議な色合いだった。


 背丈は小柄だった前世より数値的には高いだろうが、この館の女性型のホムンクルスと比べて一番背が低かったり、街で見かけた女性はノーラたちと同じくらいの背丈な辺り、相対的に低めなのはこれまでと変わらなさそうだ。


 昨日、ヨルンと話し合って、午前中と夜はこれまで通り他のホムンクルスとともに雑用をやって、午後は自由時間ということになった。午前中や夜に出かけたい場合はその都度調節、でしばらく回していく。


 ここ数日分の給金をもらい、クローゼットの引き出しにあった財布に入れた。財布も大分使い古したもののようで、新調してもいいかもしれない。


「ふふっ」


 寝癖を直しながら、知らず笑みがこぼれる。買い出しに行った日以上に、アスタの気分はふわふわと浮き足立っていた。


 自由時間。好きに街を回っていい。必要なものがあったら買っていい。なんて甘美な響きだろう。


 観察対象と言われ、ヨルンからしたら実験動物のような扱いなのかもしれないが、自由な時間と金を与えられて、人より丈夫で体力が有り余っている身体があるのだから、これ以上望むものがあるだろうか。いや、ない。


 アスタは上機嫌のままヘラとともに掃除と洗濯を終わらせて、昼食を食べた後にエプロンを外して街に繰り出したのだった。




 晴れた空の下、一昨日ノーラに案内された辺りを歩く。食料品を売る店が建ち並ぶ辺りから別の大通りに行くと、傾向が違う店が軒を連ねていた。


「家具、寝具、金物……服や小物のお店は――」


 看板を見ながら移動して行ったが、なかなか目当ての店には辿り着けなかった。あちこち見渡しながら歩いていると、人にぶつかった。


「わっ! ご、ごめんなさい……」


 尻餅をつきそうになったところを、腕をつかまれて事なきを得た。お礼を言おうとしたところで、驚いたような茶色の瞳と目が合った。


「お前、もしかして錬金術師のところのホムンクルスか?」


 ふと気づくと、帽子が地面に落ちていた。帽子に詰め込んでいた白い髪が、背に落ちた感触があった。


 覗き込むようにして見下ろしているのは、癖のある茶髪の少年だった。長身に粗い目の生地の服を着て、無骨なブーツを履いていた。年はヨルンより少し上、十代後半くらいだろうか。


「……だったらなんなんですか」

「お、なんだその反応。他のホムンクルスは買い出しに来たときにちょっかいかけても、そんな不機嫌そうに言い返したりしねえぞ」

「あ、あのですねえ!」

「焦って怒って顔が赤くなる……面白ぇ」


 彼はおかしそうに笑った。


「なあお前、俺と組んで芸でもやらねえ? お前のようなホムンクルス見たことあるやつ、いねえだろ」

「見世物になる気はありません!」

「見世物だよ」


 腕を引っ張られ、至近距離から目を合わせられた。茶色の瞳に鏡像のアスタのシルエットが映る。


「館に引きこもってなにしてんのかわかったもんじゃねえ錬金術師のところにいる、人と同じ姿をしてるけど人間じゃない、作られた存在なんだからな」


 ――意思を持つホムンクルスは希少です。悪人の耳に入ったら攫われて売り飛ばされます。


 ノーラの忠告が思い出された。これはまさか、その状況なのではなかろうか。


「は、離してください!」


 思い切り腕を振り払うと、「うわっ!」という声とともに、少年が突き飛ばされていた。壁際に積んであった箱にぶつかり、崩れる音が響いて土埃が上がる。ホムンクルスの力は常人より強いという説明を、いまさらながらに思い出した。


 これは正当防衛であり、不可抗力だ。大怪我をさせるようなことにはなっていないはず、多分きっと。

 そう自分に言い聞かせ、アスタはその場から逃げ出した。




 ――なんなんですか、さっきの人は!


 苛立ちともやもやした想いを抱えながら、アスタは道を歩いて行く。

 しばらく行ったところで、やたらと道行く人が振り返るのがわかった。視線が合うと慌てたように逸らされたり、怪訝そうな顔をされたりした。


「……あ」


 頭に手をやる。落とした帽子を拾う余裕もなかったことを思い出した。


「あの娘……」

「もしかして錬金術師のところの」


 そんな潜められた声が聞こえ、奇異の目を向けられた。


「よく買い物に来るホムンクルスと違って、今度の娘は随分人間味があるんだな」

「けどよ、人間じゃなくて錬金術師の所有物なんだろう? 意思のない人形を使ってなにをしているのやら」


 声を潜めることすらせず、にやにや笑いながら大っぴらに話題に出す男たちもいた。悪意と嘲笑が混じった批評をぶつけられる。


 街の住人のそうした対応で、なんとなく悟ってしまった。ヨルンは街に馴染んでおらず、街の住人は彼のことを異端視して、好き勝手言っていい存在だと思っているのだと。


 前世でのこと――ずっと入院していて、たまに学校に顔を出したときのことを思い出した。

 腫物に触るような対応。珍獣を見るような視線。それが嫌で、体調がいいときでも学校に行く足が重くなった。


 もっとも、中学に入った頃には一年の中で入院している期間のほうが長くなり、学校が嫌なんて言う余裕もなくなったけれど。


 ――わたしはあのとき、立ち向かえなかった。


 だけどヨルンは身体が弱いわけでも、治らない病気を抱えているわけでもない。このままでは駄目だ。どうにかしたい。あちこち彷徨った末にそう結論を出した矢先、


「見つけたわ」


 後ろから声をかけられた。


「あなたでしょう? 街の大通りをうろうろしているという、錬金術師の館の新しいホムンクルスは」


 振り返った先にいたのは、華やかな装いの十代半ばの少女だった。

 ストロベリーブロンドというのだったか、赤味がかった金髪を巻いていて、庶民とは一線を画すような光沢のある布地を使った赤紫のドレスを着ている。


 背後に控えている青年は従者だろうか。マトを見て執事のような格好だと思ったものだが、本物の格の違いを見せつけられた気がした。


「私はカティヤ・リンドグレン。この街の領主の血を引く者よ。今日の夜、あなたを雇いたいの」

「雇う……それは願ってもないですが」


 いきなりの展開についていけず言葉を濁すアスタに、カティヤは呆れた顔になった。


「なに、主に聞いてないの? 領主は錬金術師に出資しているから、街になにかあったときにはホムンクルスを貸し出してくれることになっているのよ。もちろん対価は払うわ」

「そうだったんですか。それで、今日の夜なにかあるんですか?」


 自然災害の予報でもあったのかと思いかけ、この世界に天気予報や災害予知なんてあるのだろうか、と疑問が生じた。

 だが、カティヤの返事はアスタの予想とはまったく違うものだった。


「怪盗が来るのよ」

「……はい?」


 アスタが目を丸くする中、カティヤは矢継ぎ早に説明した。


「怪盗よ、怪盗。我が家に予告状を出してきたの。よりによってお父様が王都に出向いているときを狙ってよ。なんて卑劣なやつ、一緒にとっちめてやりましょう」


 それは街ではなく、領主の家になにかあった、というべき状況なのではないか。


「ま、待ってください。わたしは……」


 家事だけでも手一杯、屋根や木に登るだけでも手一杯だったのに、怪盗を捕まえられるとは思えなかった。


「ホムンクルスなら人間より身体能力が高いのでしょう? 以前、街を嵐が襲ってボロボロになったときも、彼らの手があったから一気に片付いたと聞いたわ」

「それとこれとは……」


「あなたで駄目なら、他のホムンクルスでもいいわよ。あと何体か、館にいたでしょう? 錬金術師が貸し出してくれるなら、できるなら全員来て欲しいものだけど。屋敷の警護に、狙われた宝石の警護、怪盗が出たときに追いかける……何人いても足りないわ」


 たじろぐアスタに構わず、カティヤはまくし立てる。


 そんな中、ふとアスタの頭を過ぎる考えがあった。この問題を解決すれば、街を束ねる存在に認めてもらえるのではないか。そうすれば、街外れに住む錬金術師や彼に作られたホムンクルスが、街で異端視されることはなくなるのでは。


「わかりました。一度帰って主と相談して、夕方また来ます。わたしが無理だと判断されても、他のホムンクルスを貸し出せるならそちらへ向かってもらいます」

「そう。快い返事を期待しているわ」


 領主の家の令嬢は、紫の瞳を細めて優雅に微笑んだ。




 館に帰ったアスタは研究室にこもっていた主に声をかけ、事情を説明した。

 作業が途中で中断されたヨルンは関心がなさそうに聞いていたが、聞き終わった後はさらに渋面になった。


「怪盗? 馬鹿らしい」


 話を聞いた上での評価は、一刀両断だった。


「そうは言っても、カティヤさん一人では不安でしょう」

「一人じゃない。領主が留守だとしても、あの屋敷には使用人も護衛も沢山いるだろう」

「それはそうでしょうが……」


 この分ではホムンクルスを全員貸し出して欲しい、なんて頼んでも断られそうだ。


「一晩怪盗対策のために屋敷に行けば、報酬がいただけます。わたしの好きにしろと言われた以上、この件は受けさせてもらいます」


 役に立てるか不安だが、という弱音は押し隠して、駄目元でそう申し出た。


「そうか」


 ヨルンはしばし考え込んでいた様子だったが、やがて顔を上げた。


「わかった、許可しよう」

「あ、ありがとうございます」

「マトも連れて行け。荒事には一番向いている」

「いいんですか?」

「君一人をなにか起こりそうな場所に向かわせるほうが心配だ」


 どうやらアスタが華麗に怪盗を仕留められるとは、露ほども考えていないらしい。期待に応えられるかわからないと思っているのを見抜かれたのか、他のホムンクルスから目覚めてから数日のアスタの報告を聞いたからだろうか。


 他のホムンクルスほどの働きができない自覚はあるが、主からの評価が低いというのもなかなか心に来るものがあった。これから挽回できる機会は回って来るのだろうか、と思っていると。


「それから――僕も行こう」

「……はい?」


 ヨルンの意外な提案に、アスタは目を丸くした。

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