ホムンクルスと錬金術師の館 4
昼食を食べてからノーラによく行く店がある辺りを軽く案内してもらい、館に帰って来たときには思ったよりも時間が経過していた。しばらくすれば夕方だろうか。
倉庫の中を見て夕食時にヨルンと話をしてみよう、と考えながらアスタが館の廊下を進んで行くと、研究室の前を通ったときに、がたんと大きな音がした。なにか重いものが落ちたような――人が倒れたような音が。
「ヨルンさん、大丈夫ですか!?」
ノックをして声をかけたが、返事はない。
「あ、開けますよ」
ノーラのほうを一瞬振り返って、頷くのを目にしてから、扉のノブに手をかける。鍵はかかっていなくて、目覚めたときに目にした以来入っていなかった研究室の様子が視界に広がった。
アスタが寝かされていた細長い机に、学校の理科室で見かけたような実験器具や、開かれたままの本や帳面やペンが置かれている。目覚めたときよりもさらに雑然としているように見える部屋に、ヨルンが倒れていた。
「ヨルンさん、どうしてこんな――」
身体を仰向けにして顔を覗き込むと、ヨルンは薄く目を開けた。
「水……」
「水ですね!」
台所に行って水を汲もうとして、食卓に手つかずの昼食が一人分残っているのに気づいた。
研究室に戻ると、壁際のソファにヨルンが寝かされていた。さっき見かけたときはソファには本が積み上げられていたが、それらは床に移動していた。
「お水持ってきました」
受け取ったヨルンは水を飲んで一息ついた。
「ところでヨルンさん……ご飯食べてないんですか?」
「忘れていた。……いまから食べる」
「よく起きてなにも食べずに研究室にこもれますね」
世の中には朝食は食べない主義だったり、飲み物一杯で済ませている人もいる。ヨルンもその類だろうか、と思ったところで。
「起きてから食べていないというより、昨日から寝ていないのでしょう」
ノーラが淡々と補足した。
「ええっ、徹夜ですか!」
いや、最近のヨルンは昼前に起きてきて深夜から明け方に寝るという昼夜逆転生活をしているようだから、普段寝ている早朝から午前中に起きていた、というのが正しくて徹夜という表現は違うのかもしれないが、それはともかく。
「アスタさん。主は研究に熱中しているときは、よく睡眠や食事や水分の補給を忘れます」
「ぶっ続けで起きていて飲まず食わずだったら、そりゃ倒れますよ」
アスタは溜息を吐き出した。そしてこの館のホムンクルスが、主が食事を一食抜いたくらいで無理やり食べさせそうには見えないことに思い至ってしまった。
「というかそういうことは先に言って欲しかったです。倒れているのを見たときは、病気になったのか、転んで頭をぶつけたのかと心配したんですから」
「それは悪かった」
「ホムンクルスの活動年数が十年とか言っておいて、そんな不摂生をしていたら、作ったヨルンさんのほうが先に死にそうじゃないですか」
「……大丈夫、食事を忘れたくらいじゃ死なない」
「人は水分不足や熱中症で簡単に死にますよ」
ずっと入院していたからわかる。人の死は特別なことではない。ふとした拍子に、誰にでも訪れることなのだ。
「ヨルンさんが死んだら困ります。わたし、この世界のことをまだなにも知りません。ホムンクルスの主なら、わたしたちを置いて勝手に死なないでください」
我ながら支離滅裂なことを言っていると思った。だけどある意味偽らざるアスタの本音でもあった。
身近な人が死ぬのは哀しい。その相手がホムンクルスを作ったこの館で唯一の人間かと思うとなおさらだ。
「……ホムンクルスも泣くんだな」
「泣いてません」
感情が高ぶって目が潤んでいるだけだ。袖で強引に拭う。
そうだ、ヨルンはまだ生きている。病室で知り合った同年代の子たちとは違う。
「歩けますか? とにかく食事をとりましょう」
「ああ」
ヨルンはソファから起き上がり、立ち上がった。
「その後はしっかり睡眠を取ってください」
部屋を出ようとして、ヨルンが机のほうに目をやったのに気づいた。
「中途半端なものがあろうが明日にしてくださいね。また集中して頭を使って倒れたら元も子もありませんから」
「わかってる」
返事はあったが、この分ではどれだけ釘を刺してもやり過ぎにはならなさそうだ、とアスタは嘆息した。
翌日。アスタが朝食を食べていると、ヨルンが起きて来た。
「起きて大丈夫なんですか? あ、もしかして出かける用事でも?」
「用事はない。昨日は夜寝たのだから、このくらいの時間に目が覚めるものだろう。むしろ寝過ぎなくらいだ」
「昨日徹夜だったんでしょう。身体が睡眠を欲しているんですよ」
「そうか。そうだな」
寝起きの眠そうな顔でノーラが出したお茶を飲みながら、ヨルンは応対する。
「あ、館の主が起きて来たんですから、食事の用意を……」
「いま作っています」
台所からノーラの声と調理の音がした。アスタは慌てて台所に駆け込む。
「手伝います」
「もうじきできるので運んでください。主も誰かと一緒に食卓を囲んだほうが、腰を据えて食事に専念することでしょう」
居間に目をやると、ヨルンは持ってきた本を読みながらお茶をすすっている。このままだと本を読みながら食事をとりそうな気配だ。
パンとオムレツに野菜サラダが即座に用意され、さらに昨日買った新鮮な果物が二皿分切り分けられていた。
「これは……」
「昨日の買い物の際、貴方が見たことがない果物だから食べてみたいと言っていらしたので」
「あ、ありがとうございます」
覚えていてくれたらしい。そうした行動ができるのは、アスタが直接口にしたからだろうか。こういうのは意思を持ってやった行動とは違うのだろうか。
食事を食卓に並べてヨルンをじっと見つめると、彼はさすがに本を閉じてフォークを手にした。
食事をとりながら、アスタは話を切り出す。
「そういえば昨日、しそびれた話があるんですが」
「なんだ」
「わたしに入用のものがあれば買っていいと聞きました。ありがとうございます」
「ああ、意思があるのなら必要なものもあるだろうと。君のような少女なら、服とか化粧品とか……よく知らないが」
化粧品の前に、アスタに与えた部屋に鏡がなかったことをヨルンは知らないようだ。これまでホムンクルスの私生活など気にしたこともなかったのだろう。なにせ本来なら意思のないロボットのようなものなのだから。
「なにを買ったんだ? それともそういった個人的なことは訊かないほうがいいのか」
ヨルンはヨルンで、意思を持つホムンクルスに気を遣う気はあるらしい。その気の遣い方がどこかずれているだけで。
「鏡が欲しいと言ったら、ノーラさんに倉庫に余っているものがあると言われました。倉庫にある日用品なら使っていいんですか?」
「扉近くにある棚には錬金術関連のものはないから、あるとしたらそこだ。だが、正直あそこは僕もなにがあるのかしっかり把握していない。鏡のような劣化しないものならいいが、古いものの保存状態は保障できない」
「もしかして先代の錬金術師が残したものですか?」
「ああ。それに加えて、研究であまり使わないものを一時的に置いていたり」
話を区切るためか考えを整理するためか、ヨルンはお茶を飲み込んでから、結論を口にした。
「倉庫にあるものは使ってもいいが――入用なものは買えばいい」
「そのお金は……」
「請求してくれたら渡す」
突き放したような物言いだった。
ヨルンのようなすべて一人で完結する人間からしたら、生活圏内に第三者がいるだけでもストレスなのかもしれない。余計な話もしたくないのかもしれない。
でも二人きりでテーブルについて向き合っているいま、言っておきたいことがあった。
「あの、ヨルンさんは街に出たりしないんですか?」
「なんのために助手がいると思ってるんだ」
研究以外の面倒な雑事を全部やらせるため、というのはなんとなく察していたが。買い出しや採取、お使い担当がいる時点で、外に行く気がないのも伝わってきたが。だからって。
「人とかかわったりは」
「依頼人と話をしている」
そういう仕事上での付き合いだけではなくて、と言いたいが、取りつく島もなさそうだと感じてしまった。
けれど――ヨルンを見ていると、病院から出られずに独りで過ごしていた頃の自分を思い出してならなかった。
「……独りだと寂しいですよ」
「人間関係の煩わしさに無駄な時間を使うのは非効率的だ」
いつになく不機嫌さが滲んだ声音でそう言われた。
「君はここで作られて他者とかかわったことなどないはずなのに、なぜそんなことを言う?」
「それは……」
ホムンクルスは錬金術師に仕える存在。それなのに、意見を述べていいのだろうか。
――わたしだって、これまでろくに人とかかわってこなかったのに。
反省は後でしよう。そう決意し、アスタはヨルンをまっすぐに見つめて、言った。
「食材の買い出しで街に行って、思いました」
歩き回って見聞きしたものを思い出す。
「街には多くの人がいました。それぞれ自分ができることをやって、他の住人とつながっていました」
その街の風景の中に、自分を作った錬金術師がいてもいいのではないか。そう思ったのだった。
「少しずつでも人とかかわってみませんか?」
青い瞳がアスタを見据える。居間に静寂が落ちる。
やがてヨルンは合点がいった様子でふむ、と頷いた。
「街に行きたいのも、人とかかわりたいのも、君じゃないのか?」
「そ、そういうわけでは――」
見透かされた気がした。
せっかく健康な身体になったのだから、前世でできなかったことをやりたい。そう思っていたのも事実だった。主が人付き合いを好む性格だったら知り合いを紹介してもらえたのではないかとか、一緒に街を歩けたのでは、などと考えなかったわけではない。
だがそれを指摘されると、自分のやりたいことをヨルンに押し付けていたようで、動揺した。
しかしヨルンはアスタの狼狽など気にした様子もなく、さっきまで眠そうにしていた瞳に好奇心を宿した。
「――そうだな。せっかく意思を持つホムンクルスなんだ。雑用で使い倒すのは勿体ない」
そう独り言のように言ってから、アスタに提案した。
「僕に従属する必要はない。君はやりたいことをやればいい」
アスタは咄嗟に反応できずに、目をぱちくりさせた。
「街へ行って人とかかわりたいのだろう? そしてそのためには自由に使える資金がいる」
たったいま発見した仮説を披露するように、ヨルンは語る。
「助手として雇って賃金を出そう。まずはこれまで雑用をしてくれた分か。その給金と自分の時間でなにをやるか、観察したい」
「お給料をいただけるのはありがたいですが――」
「見聞きしたこと、思ったことのすべてを教えろとは言わないが、簡単な記録をつけて、報告できることはしてくれ」
テーブルに手をつき、身を乗り出して、ヨルンは楽しそうに言った。
「君はいま一番の観察対象だ」
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