ホムンクルスと錬金術師の館 3

 館で暮らすようになって数日経ち、気づいたことがあった。

 ヨルンはとにかく生活能力がなかった。放っておくと寝食を忘れて研究や実験に没頭している。


 食事は栄養がとれれば味は気にしない、着るものもなんでもいい、という状態だ。だからホムンクルスに身の回りの世話をさせているのかと、納得するしかなかった。


 この館は街外れに建っていて、街まではしばらく歩かないと辿り着かない。なぜ街の中心地からほど遠い不便な場所に住んでいるのだろうと思ったが、ヨルンの生活態度を見て、なんとなく理解した。


 ヨルンは決められた時間に起きて仕事をして帰宅し、いつも通りの時間に眠りにつく、という生活はできない。ついでに言うと愛想も社交性もなく、近所付き合いをしろと言われても無理だろう。


 だから街外れの館に住み、自由気ままに研究や実験をして、その研究成果や作成物などで対価をもらっているのだろう。


 生活スタイルは人それぞれだ。他人が口を出すことではないし、新入りが館の主に進言するようなことでもないだろう。


 だが、元入院患者に言われたくはないだろうが――もう少し外に出てもいいのではなかろうか。


 だって勿体ないではないか。健康な身体があるのだから。……健康だと思う。ろくに外に出て行かず、体力がなさそうではあるけれど。


 なんてことを考えつつ、街へ買い出しに行く日を楽しみに、アスタは館での雑用をこなしていった。


 この館には、アスタの他にホムンクルスが三体いる。どれも先代の錬金術師から引き継いだもので、活動年数はどれも残り数年だから、その間に新しいものを作らないといけない、とヨルンに言われた。


 主に調理や買い出し担当がノーラ。掃除洗濯、館の修繕や庭の整備担当がヘラ。館の中担当の二体がいれば日々の生活は問題なく回っていて、アスタは自分の存在理由がたまにわからなくなった。


 元々入院生活をしていて家事はからっきしだった身だ。それなら家事以外ならできるのか、と自問自答してみたが、マゼンダの髪のホムンクルス、マトがやっていることはさらに難易度が高いものだった。




「狩猟と採取、ですか?」


 マトについて行くことになった日、言われたことをアスタは反芻した。


「はい」

「食料庫にあるお肉はマトさんが仕留めたものだったんですか」

「肉は副産物です。獣の毛皮や骨、魚の鱗、鳥の羽根や爪を主が必要としているときもありますから」


 確かにゲームなどではそうしたアイテムが作成物の素材として提示されることもあるが、実際に生物を狩って入手していると聞くと、途端に生々しく感じるのはなぜだろう。


 執事然とした端正な外見のホムンクルスが、言葉遣いは丁寧なものの、淡々と説明しているからというのもある。


「アスタさんはそれらの情報も欠如していますか?」

「はい……」

「いきなり動く動物を仕留めるのは大変です。今日は植物の採取を覚えましょう」


 その提案に、アスタは安堵した。そしてマトとともに、籠を手にして森に向かった。


「ではまず、この木になっている実を収穫しましょうか」


 マトは高くそびえ立つ木に、軽快な動きでさくさくと登って行った。途中で振り返り、声をかけて来る。


「大丈夫です。頭から落ちない限り、しばらくすれば回復します」

「その話なら屋根に上ったときにも聞きましたが」


 そもそもここまで高い木に登ったことがない、という主張をしても、きっと何事もなく流されることだろう。


 小学校に入る前頃に、アスレチック用に足場がつけられた木登りならしたことがあった気がする。それだって大分前の話だ。


 梯子も足場もない状態でどうすればいいのか。マトに見下ろされる中、アスタは恐々と木の幹に手をかけた。見様見真似で木の幹の出っ張りに足をかけ、少しずつ登って行く。力があるからか、思ったより楽かもしれない。


 それを繰り返していけば実のなっている辺りまで行けるはずだが、アスタが太い枝に辿り着いた時点で、マトは背負った籠を木の実で一杯にしていた。


「アスタさんは木登りの練習をしていてください。希少な茸が生えているか見てきます」


 そっちの採取を先にやって欲しかったなあと思いつつも、アスタは軽やかな身のこなしで枝から飛び降りて駆けて行くマトを見送るしかなかった。


 木登りは降りるときのほうが怖かったりする。アスタが登ったとき以上の時間をかけて、せっかく採取した実を落とさないようにしつつ地面に降りたとき、マトが帰って来た。


「あ、おかえりなさい……って、どうしたんですか、その腕!?」


 マトの右腕の袖は赤く染まっていた。


「崖に珍しい薬草があったから取りに行ったところ、穴から蛇が出てきて噛まれて落ちました。腕を折っただけです。止血もしました」

「は、早く館に帰りましょう!」

「腕はもう一本あります。今日の分の採取をしなければ」


 どうやらこれがホムンクルスの普通のやり方らしい。同じことをやれと言われても、難しいとしか言いようがない。


 この世界のホムンクルスはこの扱いが普通なのか、ヨルンの方針がこうなのか。情報が欠如していることに、アスタは不安になった。


「マトさんは毎日狩猟と採取ですか……」

「主の用事を果たすために街に行ったり、街の外に行ったりすることもあります」

「街の外ですか? いいですね」


「食事と野宿以外走り続けると、馬車より早く王都に着きます。依頼人と早急に連絡を取りたいときは、手紙よりもホムンクルスを飛ばすほうが早いというのが主の弁です」


 前言撤回。大分過酷なお使いを任されているようだった。




 翌日は待望の街への買い出しの日だった。

 軽い朝食を食べてから帰りが遅くなったときのために昼食の用意をして、準備万端だと玄関へ行こうとしたところで、ノーラに声をかけられた。


「出かけるときはエプロンを外して帽子を被ってください」

「あ、はい。……帽子を被らないと失礼になるんですか」

「そういうわけではありません。ただ、ホムンクルスだとわかると絡んでくる人もいますから。ただの通行人に紛れるに越したことはありません」

「はあ」


 だったら肌の色はともかく、髪はもっと一般的な色に染めるなりすればいいのに。そう思ったが、ヨルンにそこまで気が回らなさそうだ、という結論に達した。


 部屋に戻ってエプロンをベッドに置き、クローゼットを開ける。真っ先に目に入る数着は、現在着ている服と同じもの。服に悩む必要がない分、選ぶ楽しみもなかった。


 クローゼット内の棚と引き出しに、帽子や鞄や細々とした衣類があった。目覚めた日に髪をまとめたほうがいいのかと思ったものだが、髪を結えそうな紐もある。


 ノーラの言葉を思い出し、目立たないようにしたほうがいいのかと長い髪をポニーテールにして、帽子の中に押し込んだ。これだけ長い髪なのだから凝ったヘアスタイルもできそうだが、いまはそんな余裕はない。


 玄関に戻って「これでどうですか」と訊くと、「大丈夫です」とお墨付きをもらえた。かくして数日前に屋根から眺めた街へと赴くことになった。


 買い物籠を手に錬金術師の館からしばらく歩く。クーユオの街の中心部に近づいて行くとともに、草木が減って建物とすれ違う人が増えていく。


 茶髪、黒髪、金や灰色など、様々な髪色の住人を見かけた。服装も年代も様々で、老若男女が街を闊歩している。顔立ちや体格はアスタの感覚からしたらやはり西洋的で、彫が深く背が高い。髪や肌の色素が薄い者が多かったが、アスタたちほど真っ白な肌の者や、いかにもホムンクルスらしい者は見当たらなかった。


 数階建ての集合住宅が建ち並んでいる場所を過ぎると、店が軒を連ねる大通りに辿り着いた。

 慣れた様子でノーラが食材を吟味し始めた中で、アスタが周囲を見渡していると、中年の男性店員に声をかけられた。


「ノーラが連れてるってことは、あんたも錬金術師に作られたホムンクルスかい?」

「はい。新参者ですがよろしくお願いします」

「さっきからきょろきょろして、そこらの娘のように落ち着きがねえな。ホムンクルスってのはもっと人形染みた存在だと思ってたが」

「あ、わたしは実は」


 話し込みそうになったところで、ノーラがアスタの手を引いた。


「すみません、急いでいますので」


 おやおや、と店員は困ったように笑った。

 その店から離れたところで、ノーラと向き合った。逆光がホムンクルスの顔に影を落とし、少し怖い。


「知らない人に話しかけられても返事をしないでください。そういった情報も欠如していますか?」


 それはこの世界の常識というより、もとの世界でも言われていたことでもあるが。


「でも、よく利用するお店の店員さんでしょう? 世間話くらいしたっていいじゃないですか」

「他愛ない話をしつつ、余計なものまで買わせようとするのが彼らのやり口です」

「それはそうかもしれませんが……」


 アスタの耳元で、ノーラは声を潜めて忠告した。


「それに、意思を持つホムンクルスは希少です。悪人の耳に入ったら攫われて売り飛ばされます。堂々と口外しないでください」

「そうでした……すみません」


 トラブルの元になることをしそうになっていたことに気づき、アスタは肩を落とした。


「そう沈み込まないでください。なにか入用のものがあるなら街に行った際に買うといい、と主からの言伝です」


 アスタはがばっと顔を上げた。


「本当ですか! なんなら買っていいんですか?」

「家や馬車を買えるほどの額は持たされていませんが」

「そ、そんな大層なものは買えません。あ、わたし鏡が欲しいです」

「そういえば貴方の部屋の鏡は、前任者が割ってから新しいものを置いていませんでしたね。鏡なら倉庫に使っていなかったものがあったと思いますが」


「……待ってください。もしかして、他のホムンクルスの部屋には鏡が普通に置いてあったりするんですか?」

「あります。そうでなければ身支度をするときに大変でしょう」


 もっともなことを言われてしまった。


 掃除のために移動した範囲で見かけなかったので、あの館に鏡はないのではと思いかけていたが、そういえば館の主であるヨルンは見た目に気を遣わない人だった。


 クローゼットがある部屋に置いてあれば十分という考えで、新入りの部屋に鏡があるかどうかなど気にしていなかったのだろう。


 大概ヨルンも説明不足だと思うが、アスタも改善できそうなことは要求するなり、疑問があったら質問するなりすればよかったのかもしれない。


 この世界がこれまで暮らしていた日本より不便でも、人間が暮らしていく上で最低限必要なものなんてそこまで差はないのだろうから。


「わかりました。鏡は倉庫から持っていきます」

「そうですか。他に入用なものを買う前に、なにが必要で倉庫になにがあるか、確認してからのほうがよさそうですね」

「はい。ヨルンさんと話し合ってみます」


 かくしてはじめての私物購入は先延ばしになったのだった。


 その日はノーラの買い物の仕方を見てやり方を覚え、購入した食材を持ってついて行くことに終始した。客引きの声や話し声、様々な格好、それらが耳や視界に入ってくると、やがてくらくらしてきた。


 前世では病院で寝起きしていて同室の患者や見舞いに来た家族や医者や看護師としか顔を合わせず、ここ数日はたった一人の人間と三体のホムンクルスしかいない館にいたのだから、無理もないことだった。体力があるホムンクルスでも、意思があれば人に酔いもする。


 街はにぎやかだが、そこから外れた場所に建つ館の静謐さが余計際立つようだった。

 街に行けば同年代の若者もいるのだから、ヨルンも住人たちと交流すればいいのに、とふと思った。

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