ホムンクルスと錬金術師の館 2
そうして錬金術師の館での生活がはじまった。
目覚めた初日は前任者を埋めて夕食をとり、その片付けをして館の中をざっと案内してもらっただけで終わってしまった。
次の日こそ頑張ろうとアスタは張り切って早起きしたものの、窓から日が差し込んでも、アスタの感覚からしたら朝食の時間になっても、ヨルンは起きて来なかった。
やがて三体のホムンクルスが一階に降りてきて、それぞれの担当の場所へ移動しそうになったので、アスタは慌てて声をかけた。
「あの、わたしはなにをすればいいでしょうか」
薄紫の髪をアップにしたノーラという名前の女性型のホムンクルスが足を止め、振り返った。無機的な瞳と目が合い、一瞬びくりとする。
「指示を承っています。私たちの仕事を順番に体験し、仕事を覚え、どれが向いているか考えてください」
静かで淡々とした言葉が返ってきた。無機的ともいう。フィクションで描かれるロボットやアンドロイドのような印象だ。それに比べたら、確かにアスタの反応は普通とは違うと思われるだろう。
「得意な技能があるのなら、それを専門にやっていただくことになりますが。今日は午前中は私と一緒に料理をして、午後はヘラと掃除をしてください」
ヘラというのは薄緑の髪と瞳のホムンクルスだ。
「料理と掃除ですね」
反芻して、アスタはふと思った。
「……助手というから、もっとこう、錬金術師の補佐みたいなことをするのかと思っていましたが」
これではただの家事だ。家事代行やハウスキーパーの仕事だ。
「錬金術師の研究や実験に補佐は必要ありません」
「そうですか……」
「主の滞りない日常を補佐するのに私たちは必要です」
「そ、そうですよね!」
「それにこの館は一人で暮らすには広いですから」
そういえば先代がいたと言っていた。もとは二人とホムンクルスたちで暮らしていたということか。
「館を維持していくにも、私たちは必要です」
言外にヨルンは館の整備など二の次三の次と言われた気がしたが、気のせいだろうか。
「ではまず――」
「あっ、ところで朝食は……」
昨日は夕食が出た。ホムンクルスは人ではないが、有機物を摂取して活動源とするらしい。昨日身体を動かしたからか、夕食を食べて一晩寝た後、適度な空腹感があった。
「人もホムンクルスも一日二食食べれば十分というのが主の持論です」
「マジですか……」
その言い方だと、この世界の標準ではなさそうだった。
ホムンクルスたちは朝食を食べずにそのまま担当の場所で動き始めるから、朝食の時間と思われる頃合いになっても起きて来なかったのか。食事の支度や片付けの時間をかけないのだから、ある意味合理的ではあるが。
食べられないとわかると余計空腹感を覚えるもので、腹の虫が鳴った。ホムンクルスでも腹が鳴ることはあり、恥ずかしいと頬が熱くなることもあるらしい、とアスタは実感する。
別にそこまで食い意地が張っているわけではない。病院では薄い味付けで量も少な目だったものの、食事は毎日決まった時間に出ていた。そのせいで、どうにも一日三食が身に染みてしまっているだけだ。
「そういえば貴方は一般的なホムンクルスと違って意思があるから、そちらに活力を使う、と主がおっしゃっていました」
「すみません……」
「まずは貴方の食事を作りましょうか」
「い、いいんですか?」
手を煩わせるのは悪いと思いつつも、ありがたいという想いのほうが勝って食いついたアスタだったが。
「いい機会です。貴方がどれくらい料理をできるのか見ています」
「え」
ノーラが作ってくれる流れかと思っていたら、雲行きが怪しくなってきた。
「基本的な調理の知識は入っているはずです。自分一人の分を、手早く、食材を使い過ぎないように、作ってみてください」
台所と食料庫を行き来しながら、アスタは考える。必要な情報や一般常識は入力されているとヨルンに言われた。
食料庫の袋や箱に書いてある中身を記したメモ――この世界の字は読める。言葉も問題なく通じる。この街の名前がクーユオで、国の名前がプロイアヴリオだというのも、昨日寝る前にこの地について知ろうとした際に頭の中から出てきた。
だがいくら脳内を検索しても、この世界の料理の作り方や、現代日本のものとは違う火元、竈などの使い方は引き出されて来なかった。
――どうしよう。
これは試験かなにかなのだろうか。失敗したら料理担当から外されるのだろうか。というか大分ヨルンの説明と違うのだが、意思を持つホムンクルスは頭の中の情報に欠落があるのだろうか。
ここ数年入院していて、小学校高学年や中学に通えていた頃の家庭科の調理実習で作ったぱっと思いつくものというと、ご飯の炊き方に出汁からとった味噌汁。……駄目だ、ここで作れるはずがない。
そして入退院を繰り返していたひ弱な子供は、伏せっていない日に料理を練習しようなんて思っていなかった。
――そ、それでもパンにチーズを載せたトーストくらいなら家で作ったことが! 朝食ならそれくらいで十分……。
そこまで考えて、トースターがないことに気づいた。
「なにかできましたか?」
声をかけられ、アスタは近くにあったパンをつかんだ。馴染みのあるパンより硬い感触が返って来た。
「これ、そのまま食べていいですか?」
ノーラはそれを見つめ、食料庫から瓶を取って来た。
「ジャムならありますが。入用ですか?」
「い、いります。ください」
いっそ呆れた反応でもされたほうがマシだった。
お腹を満たしたアスタは、それからひたすらノーラの指示で野菜を洗い、切り刻んだ。
「痛っ」
野菜を切るときは猫の手を守っていれば指は切らないだろうと思っていたが、そういえばピーラーを使わずに野菜の皮を剥いたのははじめてだったかもしれない。
怪我をした手で調理したらいけないんじゃなかったっけ、と布巾で止血して傷を見直すと、五分も経っていないのに傷が消えていた。
回復能力が高い、という説明を思い出す。刃物で切った浅い傷ならすぐに治るらしい。
「切り終えましたか? 火の通り難いものから鍋に入れてください」
ノーラの指示で野菜を入れる。火にかけられた鍋からは、やがておいしそうな匂いが漂ってきた。
昼前にヨルンが起きてきて、ぼんやりした様子で居間の席につき、ノーラが出したお茶を飲んだ。
「ヨルンさん、いつもこの時間に起きるんですか?」
「え……ああ。毎日というわけでは」
生活習慣が不規則な人間の常套句が返ってきた。
「ところで、その……」
朝の一件を伝えると、眠そうにしていたヨルンの瞳に好奇心が宿った。
「台所の使い方がわからない? 埋め込んだ常識に不備があったか、それとも意思がある分、頭の中の情報がそちらに使われているのか」
言葉はわかる、字は読める、街や国の名前は知っていると伝えると、ヨルンは腕を組んで考え込んだ。
「あ、あと。この館の常識も最初から知っているのがホムンクルスの普通ですか? わたし、朝が意外に遅いことも一日二食なことも知りませんでした」
「そうか。まあそういうことだ」
それ以上の説明はする気がないらしい。
「わからないものは仕方がない。他にもなにかあるようなら、ホムンクルスに教えてもらって覚えてくれ」
「はい」
追加で常識を埋め込むわけにはいかないようだ。
最初からこの世界で生きていくための情報が頭の中に入っているのなら、知らない文化に触れても適応するのが早いのではないかと思ったが、そううまくはいかないらしい。
「食事を運びます。来てください」
「あ、はい」
ノーラに声をかけられ、台所へ行く。肌寒い気候にはぴったりの温かいスープと卵が載ったサラダとパンに、アスタは顔をほころばせた。
「……ところでこの世界では、肉は貴重だったりするんでしょうか」
「この館においてそこまで貴重ではありませんが。主は現在寝起きなので」
「そうですよねえ」
がっくりと肩を落とす。せっかく食事制限なしでおいしいものを食べられるようになったと思ったら、一日二食、そのうち一食は朝食のような食事。贅沢を言い出したらきりがないが、朝はパンを一つ食べただけの身としてはもう少しなんとかしたくもなった。
これからの課題だ、と思ったところで。
「夕食は少し多めに作って取り分けておきますから、明日の朝、食べてください」
ノーラの言葉に、アスタは目を輝かせた。
食事が終わり、ヨルンはすぐに研究室に引っ込んだ。
午後になり、アスタは薄緑の髪を三つ編みにしたホムンクルス、ヘラについて行き、館の掃除をすることになった。当然のことながら掃除機などなく、箒とはたきとモップと雑巾が主な掃除用具だ。
居間を掃除した後、最近拭いていなかったという階段の拭き掃除をして欲しいと言われた。人間だったらその二ヶ所でくたくたになりそうなものだが、ホムンクルスは体力があり、連続で動き回っていても身体的にはまだ余裕があるようだ。
三時のお茶の時間という概念はこの館にはないらしく、次に連れて行かれたのは館の外だった。ヘラは梯子を持ってきて、壁にかけた。肩にかけた鞄には大工道具や木材が入っている。
「先日の嵐で屋根が破損した様子です。修理するのでついて来てください」
「二階の屋根に上るんですか?」
「はい」
「……プロの大工さんに頼んだりは」
「私たちが自力でできることを依頼してどうするのですか」
もっともなことを言われてしまった。そしてこれも館の維持、整備と言われたら、なにも言い返せない。
「貴方の知識の欠損は聞いています。主に私がやるので、その助手をしてください」
「はい……」
「大丈夫です。この高さから落ちるくらいでは活動停止しません」
この館のホムンクルスは、万能かつ恐怖心を克服していないと務まらないことが判明した。
ヘラに続いておっかなびっくり梯子を上って行く。屋根に手をかけたときには、大分精神が疲労した。
ふと顔を上げると、空の天辺より落ちて来た日差しが視界を刺した。それにつられて昨日行った森のほうを見ると、緑の木々と草原が目に入る。道の向こうに建物のシルエットが、街が見えた。
「街……」
なんだか無性に泣けてきた。別の世界に生まれてなお、これまでと同じように、普通の人々の暮らしからは切り離されている気がした。
そもそも人間の身体に転生しなかったのだから、当然かもしれない。だけど今日やったことは完全に家事でしかなく、昨日目覚めたときのわくわく感が薄れていくのを感じていた。
周囲にはこんなに綺麗な景色が広がっているのに、街には他に人がいるだろうに、館の外へ勝手に行くわけには――。
「街に行きたいのですか」
屋根の斜面で金槌を構えるノーラから声をかけられ、アスタは肩を跳ねさせた。
「は、はい」
「ならもうしばらくしたらノーラが買い出しに行くので、ついて行くといいでしょう」
「え、行っていいんですか?」
「食材や消耗品の買い出しも私たちの役目ですから」
「そうだったんですか……」
拍子抜けした。館の外に行ってはいけないわけではなく、がんじがらめにされているわけでもなかった。
――わたしはもう、病院から勝手に出て行ったらいけない入院患者じゃない。
外の世界へだって歩いて行ける。まだ見ぬ誰かと知り合える。
そう思うと、家事だろうが高所での作業だろうが、なんでもやってやる、という気になった。
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