短命なホムンクルスに転生しましたが今日も元気です

上総

ホムンクルスと錬金術師の館 1

 保科ほしな詩帆しほという名前が回文になっていることに気づいたのは、出生届を出して大分経ってからだったらしい。


 あるとき、親にどうせなら苗字が星の字だったらよかったのに、と仮定の話をしたら、縁起でもないと言われた。


 幼い頃から病気がちで、大人になるまで生きられないかもしれない、と言われていたから。


 病で死んでも、空の星にはなれなかったようだけど。




 ある意味予定通り十代で病で死んだ少女は、散々苦しい想いをして意識が途切れた後に目が覚めて、知らない光景をぼんやりした視界に映した。


 文字通り死にそうなほどだった痛みがどこかに行っている。呼吸をしても息苦しくない。久しぶりの感覚だった。


 死ぬ間際に見る夢か、それとももうあの世なのか、と手を伸ばすと、真っ白な腕が目に入った。


 病院で入院していたから、肌は日に焼けていなかった。だがそれとは比較にならない白さだ。西洋の人間の肌と言われても、まだ白い気がする。


「こら、勝手に動くな」

「だって身体が自由に動くんですよ?」


 かけられた言葉に反発するように、上半身を起こす。すると、黒衣の少年と目が合った。

 彼は青い瞳を見開き、まじまじと彼女を見た。


「あの、ここは――」


 周囲を見渡す。棚にものがぎっしりと詰め込まれ、床にも箱や本が積み重ねられた、雑然とした部屋が目に入った。


 それとともに、自分の身体が目に入る。病院着のような簡素な服を着ていて、そこから伸びる手足は真っ白。下を向いたことで、肩に髪がかかった。その色も、透明感のある白だった。


 両側の髪をつかみ、見つめる。それから自分の身体を服の上から触る。まだ完全には大人になっていない十代半ばの少女の身体。


 それだけならこれまでの自分と同じだが、髪の色も肌の色も違い、発育不良気味だった以前よりもすらりとした手足。


「誰……」

「君はホムンクルスだ」

「ホムンクルス……?」


 ファンタジーのゲームに出てくるような単語を突きつけられてしまった。ホムンクルスというとあれか。人工的に作られた、人間ではない生命体。


「なにが起きているのかわからなくて困っているのはこっちだ。動き出したホムンクルスがこんな寝ぼけた人間のような反応をするなんて、はじめて見た」

「わ、わたしは人間です! いや、この身体がホムンクルスだというなら、人間、でした……?」

「そうか」


 納得したかのような返事だが、信じてなさそうなのは気のせいではないだろう。それはそうだ。ホムンクルスが作られた存在だというのなら、作ったのは。


「……あなたがわたしを作ったんですか?」

「ああ。僕はヨルン・クーラン。錬金術師だ」


 黒衣の少年はそう名乗った。


 黒い髪だが西洋的な顔立ちで、顔の造形自体は整っている部類だろう。だが髪は伸ばしっぱなしにしているのを邪魔だから一つに結ったかのようなぞんざいさで、黒の上下の服も動きやすさや作業のしやすさだけを重視したかのような飾り気のない服だった。


 前髪も目にかかる長さで、青い瞳を時折隠してしまっている。さらに言うと表情はあまり変わらず、物言いが素っ気ない。なんというか、素材のよさを見事に殺している髪型と服装と態度だった。


 年の頃は十代後半――それとも日本人からしたら西洋の若者は彫の深さや体格から大人びて見えるものだから、十代半ばくらいだろうか。


 それなら同じくらいの年だろうかとアスタは思うが、ホムンクルスとして目覚めたばかりの自分にこれまでの年齢は適用されないのかもしれない。


「それにしても、ホムンクルスに意思が宿るとは……前例がない事態だ。人が作ったものに意思が宿るなんて、物語くらいでしか見た覚えがない」


 ぶつぶつとつぶやくように少年は語る。これはもしかして説明ではなく独り言なのだろうか。前髪の奥から覗く瞳は好奇心と知識欲に輝いているように見える。気に入られた様子なのはいいが、完全に被検体を見る目だった。


 なんにせよ、この世界のホムンクルスは通常、人間のような意識は持たないらしい。生体でできたロボットのようなものだろうか。


 ヨルンはひとしきり考え込んでいたようだが、やがて細長い机の上にホムンクルスが座ったまま唖然としていることに気づいたらしい。自分が作った存在に向かって、説明の続きをはじめた。


「君は人工生命体だ。その身体はそれ以上成長も老いることもない。人より頑丈にできていて回復が早く、身体能力が高く、加減によっては鍛えた成人男性以上の力を振るうこともできる。この世界、この時代の言葉や地理、基本的な情報や常識は埋め込まれている」

「あ、なるほど」


 だから言葉が通じない事態にはならないのか。違う世界で目覚めて一から覚えなくていいのは便利だ、と思ったところで。


「ただし、ホムンクルスは人より活動期間が短い。意思が宿っていたら、普通のホムンクルスよりもそちらに活力をまわすことになるかもしれない。十年もつかどうか」


 十年。その期間は、意外にもそこまで衝撃的な響きではなかった。


 元の世界でも、物心ついた頃から数えれば死ぬまで十年少々だった。しかもここ数年はずっと入院していて、外に出られず、やりたいこともできなかった。


 あと十年、転生前に比べたら健康――を通り越してパワフルな身体で、知らない世界で生きてみるのもいいのかもしれない。


「わかりました。それであなたはなんのためにわたしを作ったんですか?」

「助手が欲しかった」


 できたのは意思を持つホムンクルスだというのに、実に私的な理由だった。


「それだけですか?」

「親が子供を欲しいと思うのに、明確な理由が必要か? 家のため、子孫繁栄のため、社会のため、体裁のため。どれだけ理由をつけても、結局は親のエゴだ」


 そこまで一気に言ったかと思うと、ヨルンは息を吐き出しつつ、結論を述べた。


「錬金術師がホムンクルスなんてものを作り出そうとするのも、似たようなものだ」


 その言葉には、どこか厭世観が漂っていた。

 普通に考えたら、ホムンクルスを一から作るよりも人間の助手を雇うほうが楽だし早いし、なんなら金額的にも安くつきそうなものだが。この世界の錬金術師の事情を知らない身からすると、まだなんとも言えなかった。


「それで、わたしの名前はなんですか?」

「名前――そうか。どうしようか」


 ヨルンに名乗られたとき、反射的に名乗り返しそうになった。だが、彼が作った存在だというのなら、勝手に以前の名前を名乗るのもどうかと思ったのだ。

 やがてヨルンは目の前のホムンクルスを前にして、こう告げた。


「アスタでどうだ」


 転生前の世界では、星はどこかの国の言葉でアステル、別の国ではアストラというらしい。

 星に近いけれど違う名前。この世界に新たに生まれ落ちた自分に似合いの名前だと思った。




 これまで寝かされていた細長い机から降りる。裸足に冷たい床の感触が伝わってきた。


「歩けるか?」

「はい」


 ぺたぺたと何歩か歩いてみせる。


「ではこの服に着替えてくれ。他のホムンクルスと協力してやってもらいたいことが――」


 言いながら、脇に置かれていた籠をヨルンは差し出してきた。中には女性用の服が入っているようだ。


 病院着のような簡素かつ手足が剥き出しな服のまま、助手の仕事をしろと言われずに済んでよかった。そしてどんな服か興味が沸いた。


「わあ。それで、どこで着替えればいいですか?」

「え、ここで……」


 そこまで言って、ヨルンは固まった。


「……そうか。意思。人のような意思があるんだったな。ついでに訊くが、君は自分をこの身体の性別と同様だと自認しているのか?」

「この身体は女性ですよね。ならそうなりますね」

「……」


 しばし考え込んだ様子だったが、ヨルンはアスタに背を向けると、扉のほうへ歩いて行った。扉を開けて、振り返る。


「隣の部屋にいるから、着替え終わったら呼んでくれ」

「あ、はい」


 着替えを開始しつつ、思う。ホムンクルスの作成者及び部屋の主を追い出してしまったが、よかったのだろうか。


 部屋は理科室を思わせる印象で、広い机と椅子、壁面にある棚には様々なものが詰め込まれていて、薬品の匂いが漂っていた。


 鏡を探したが見つからないので、少し不安に思いながらも、着替えを終えて髪を手櫛で整えた。籠に入っていた服は濃色の丈の長いワンピースに白いエプロン、革靴という構成だった。


「助手というよりメイドさんみたい」


 服はどうやら新品ではないようだが、綺麗に洗われていて、このまま客を出迎えても失礼にはならなさそうだ。言ってはなんだが、先程ヨルンが着ていた服のほうがくたびれているように見える。


 作業をするなら長い髪はまとめたほうがよさそうだが、髪を結うようなものは入っていなかった。


「ヨルンさん、着替えましたよ」


 扉を開けた先には廊下が伸びていて、隣の部屋の前で声をかける。じきにヨルンが顔を出した。すぐに閉じられた扉の先は、壁を埋め尽くす本棚と机が見えた。書斎だろうか。


「少し大きいか」

「服ですか? 大丈夫ですよ」

「いや、前の持ち主に比べると」

「前?」

「……見せたほうが早いか」


 先導するヨルンについて行くと、彼は廊下を進み階段を上り、二階の南東の部屋の前で立ち止まった。


「ここが今日から君が寝起きする部屋になる」


 個室をもらえるとは思わなかった。なんなら先ほどの部屋の長机で寝ろと言われても納得したかもしれない。


「人の個室としては狭いだろうが」

「そんな、お気遣いなく」

「もとは君の前のホムンクルスの部屋だった」

「服と部屋は前任者の方のものを引き継ぐんですね」

「ああ。それで」


 ヨルンが部屋を開けると、ベッドが目に飛び込んできた。そこに寝かされているのは、アスタと同じ白い肌の寝間着姿の女性。金髪とは明らかに違うレモン色のような黄色の髪をゆるい三つ編みにして、顔の横に垂らしている。


 寝ているのだろうか、とアスタが近づいて顔を覗き込むと、同じようにベッド脇にやってきたヨルンが説明の続きをした。


「最初の仕事は、活動年数が尽きたホムンクルスの処理だ」

「……処理、ですか」


 いきなりハードな役目を振られてしまった。


 どうするのだろう。火葬か土葬か。そもそもホムンクルスは人間ではないのだから、葬儀などという概念すらないのか。

 ということはやはり燃やして骨と灰にするのが普通なのだろうか。いやしかし西洋のような文化圏なら土葬のほうが一般的だろうから、やはり埋めるのか。


 混乱した頭の中で、思考がぐるぐると回る。

 家族の葬式すら体験していないのに、この世界で目覚めて早々やることがこれとは思わなかった。


 連想が働いて、考えないようにしていたはずの自分が死んだ後の、元の世界のことを考えてしまう。


 家族に見られたら困るようなものは持っていなかったし、書いたりしていなかったはずだが、スマホやパソコンの中身は見られたくない。退屈な入院生活のために集めた本や漫画やその他もろもろの娯楽作品は、家族の好みとは違うから捨てられたのだろうか。勿体ない。


 いや、それよりも、病を抱えていて大人になる前に死ぬと言われていた娘を育てて看取った親に、結局なに一つ返せなかったと――。


「……そんなに長々と硬直するほど衝撃的だったか。なら、他のホムンクルスと二人で下に運ぶだけでも――いや、動けなくなった人工生命体が死体と同じようなものなら触るのも嫌か」

「えっ、あ、いえ、やります!」


 考えに沈んでいたが、ヨルンの呼びかけで我に返って、反射的に声を上げていた。


「無理しなくていい。僕も意思を持つホムンクルスに、人間にさせ難いことをやらせようとは思わない」

「で、でも、それがこの場所でのわたしの役割なんですよね」


 以前よりも健康で、力も人よりあるという。なら、やらない理由はないはずだ。しかしヨルンは首を振った。


「できないことはできないと言ってくれ。僕も君のような存在に指示するのははじめてなんだ。他のホムンクルスと同じような扱いをしてはいけないのはわかるが……」

「同じでいいですよ。ホムンクルスなんでしょう?」

「君の言動がそこらの十代半ばの少女のようだから困ってるんだ」


 そこまで言ってから「いや、そうでもないか……?」とヨルンは独白する。


「……議論していたら今日中に終わらないな」


 ヨルンは一度廊下に出て、手を打ち鳴らした。するとアスタと同じ服を着た女性――ホムンクルスが二体、洗練された身のこなしでやって来た。


 一人は薄紫、もう一人は薄緑の髪。ベッドに横たわったホムンクルスも含めて、みな転生前の世界では現実にはあり得ない色だったが、この世界ではこれが普通なのか、それとも作られた存在だから髪の色くらい好きにできるのか。


 ホムンクルスたちは顔立ちは整っているが、どこか無機的な印象があった。そう、まるで人形やアンドロイドのような。


「下に運んでくれ」


 二人のホムンクルスはてきぱきとベッドの上のホムンクルスの脇の下と足をつかみ、部屋の外へ出て行った。


「あの、すみません。お役に立てず」


 恐縮するアスタに、ヨルンは廊下から声をかけた。


「まだ君の役目はある。後任は前任者を見送るという役目がな」




 錬金術師の住居は古びているが作り自体はなかなか立派な館のようだった。館の外に出ると、周辺に他の家も建物もないようで、アスタは首を傾げた。


 ホムンクルスを運ぶ二体について行くと、館の近くにある森に入って行った。森の中を進んで行くと、開けた場所に出た。


 そこには執事のような服装の男性がいた。いわゆる赤毛とは違う鮮やかなマゼンダの髪に白い肌。彼もホムンクルスだろう。

 彼は大きなシャベルを手にしていて、人が横になって入りそうな細長い穴がすぐ傍にあった。


 穴の底に活動を終えたホムンクルスを横たえ、三体のホムンクルスはシャベルを使って土をかけ出す。


 木に立てかけられていたシャベルは三本。一本は男性型のホムンクルスが持っていたから、その三本はここに新しく来る者が手にするためのものだ。


 アスタは残りの一本に手を伸ばし、つかんだ。静止の声をかけられる前に、三体に混じって土をかけ出した。


 土をかけ終えた頃には、顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。ヨルンの顔に浮かんでいる感情は、視界がぼやけてよく見えなかった。


「あのホムンクルスは、師匠に当たる先代の錬金術師から引き継いだものだ」


 暗くなってきた空の下、ヨルンが語る。


「錬金術師に引き取られた、子供の頃の僕の面倒を見てくれた」


 それなら親代わりのような存在ではないのか。なぜそんなにヨルンは淡々としているのだろう。

 ホムンクルスは人ではないから。


 ――わたしが活動を辞めても、彼は淡々と、次の助手を作るのだろうか。

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