第6話 そして世界

 その日から一変して、数字は未知数の言語に支配された。

 スマホを起動させるだけでこの通り。


『a7Z5hHo8』:『10j0j15&seid=chr』Fri 。


 本来は現在の時刻と曜日が記載されていたはずだった。

 これでは金曜日ということは辛うじて判る。が、元々数字のあった空間には規則のない、意味不明な文字が代記されていた。

 今の時刻が全く分からず、頼りになるのはアナログ腕時計のみ。電気製品はおろか、デジタル時計は迷走しながら破滅の一途を辿っているらしい。


 和樹は曾祖母の遺品と照らし合わせ、スマホの画面を解読する毎日を送った。例えば現在の時刻は13:29になるらしい。だが――隼和樹はこの時計を見るたびに唾を吐きかけたくなる。

 いくらを回しても、神に等しき能力はいつまで経っても発揮しなかったのだ。まるで数字がバグった代償として、時を司る能力を取られてしまったかのように。そして唯一の解決策を封じるように――。

 

 日本のみならず世界も一変した。

 街にはあべこべのアルファベットやプログラミング言語が混じった羅列が所狭しと詰め込まれ、暗号文で生活しているようだった。


・キャベツ、『XbdR5@Lij1v』玉『gdlakb1=ub49zh』円。

・刺身詰め合わせ『CgZwc3ktYWIQ』円。

・『OmIzG428nvo』%受かる! 大学受験参考書(税込み『1334127113608122368』円)

・声優兼歌手前橋さくらが偉業達成! オリコンチャート第『"%s%5\n",str3)』位、累計『43+16@0/bg‘43-11』部達成――etc……。


 数字を基に単位が、長さが確定する。数字を基に数学が構築される。

 数学を基に公式が再定義され、公式と数式が物理法則として目に見えてくる。資本経済や株価など、すべて数字で賄ってきた……。

 数字が狂えば、逆説的に世界は狂っていく。そのことを、数学嫌いな彼でも嫌というほど実感してしまうのだ。


 その証拠に先週――遂に月が墜ちてきた。重力によって落ちないはずの衛星が、大西洋に堕ちた。

 核兵器の数万倍以上ものエネルギーが衝撃波となって、波紋が広がるように美麗な円を形どった波を広げる。大陸を丸呑みにし、欧州とアメリカ、そしてアフリカを水浸しにして、多くの生命が犠牲になった。



「くそ、すべてはこれのせいだ!」

 和樹は初めて真理に気付いた。男が言った内容を、今になって悔悟かいごの情が吹き荒れてくるのだ。


 ――俺は何てことをやってしまったんだ!


 自棄やけを起こし、腕時計を引きちぎり、地面に叩き付けた。そして踏みつけて壊そうとした。


≪へぇ? ぼくたちにそんなことするんだ?≫


 途端、時計からあの幻聴が聞こえてくる。秒針以外の針――長針と短針――が止まっていた。足が動かず、片足立ちになる。


≪そんなことをしても、意味ないよ≫

≪まあ、今まで通り針を戻しても無駄だけどね≫

≪ねぇー≫


 口々に囁き合って、和樹をやさしく悪罵した。

「うるさい! おまえら! この世界を何とかしろ!」


≪……何とかしろ? ――あはは!≫

 針はつい笑ってしてしまった。もうひとつも笑いをこらえている。

≪くすくす、『彼を助けたい』『人を助けるのは当たり前』――て、そう君が望んだから助けてあげたのに、今度は何?≫

≪あー笑った。さすが面白いことを言うなぁー。でも、だからってぼくたちに逆切れされても困るよねー≫

≪ねぇー≫


 はらわたが煮えくり返る言葉をわざと選んでいるようだ。

 幻聴の意のままに、頭に血がのぼってゆく。周囲が劇的に変わっていくのを、彼だけ気づかない。

 その様子に嘆息し、一方がいった。


≪ねぇ、上を見てごらん?≫


 その時になって、自らの身体から噴き出す滝汗を感知した。異常に暑く、全身麻酔を投与され、肌が痺れていくのだ。

 猛暑を軽く超え、乾いたサウナのなかで取り残され、次第に脱水。立ち眩みを起こして衰弱していった。


≪違う、もっと上だって。何で這いつくばるの?≫

≪大きくなってるの、わからないかなぁ?≫


 腕時計が茶々を入れる。画面の反射光で視界を大いに邪魔するなか、必死で探した。どこだ、どこなんだ、と。

 必死の形相であおむけになる。そしてすべてを悟った。


 ちかけていた。直視してはならない存在が、今にもちようとしていたのだ。


≪アレだってぼくたちを頼ったんだよ。『まだ生きていたい』って。とっくに尽きかけていたのにあがいたのさ。しかも、

『私は神として崇められてきた。だから言う通りにしろ!』って駄々をこねてきてね……≫

≪滑稽だったから助けてあげたんだ。で、ってわけ≫


 一方が独り言ち、もう一方が合いの手を入れる。


≪ああ、ようやく受け入れたようだね。『先に逝った同胞』を見て、自分も――と覚悟を決めたらしい≫


 光の塊は膨張する。捨て鉢の破裂音が絶望の跫音きょうおんとなって降り注ぐ。


≪君たちはとても素晴らしかったよ≫

≪そして、とても下らなかったね≫


 すべてを灰燼に帰すべく、太陽系最大の恒星が墜落ちる。

 

 瞬刻、世界バグるものは絶叫し、時計バグらないものは嘲笑った。

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