第3話 ホームの人助け

 何の因果か知らないが、どうやら彼が持つ腕時計には時を自在に扱える能力を秘めていたようだった。

 半年前、和樹の曾祖母である小町鶴来コマチツルギの遺品整理の時に見つけた年代物の腕時計――ワニの革をなめして作られた、アンティークなアナログウォッチである。

 曾祖母の3回忌のついでに寝室を掃除していたところ、棚の奥に眠っていた代物の一つだった。

 発見当時でもまだ電池が生きていたのは驚きだったが、まさか、針を弄るだけで“これ”だとは……当時譲り受けた彼には思いもしなかっただろう。

 生前、一人で散歩をしていた時に肌身離さずつけていた腕時計にこんな能力があったとは。公正明大な鶴来ツルギおばあさんは知っていたのだろうか、と和樹は疑った。


 ――だが、今の所有者は俺だ。


 左腕に収まる物を見るたびにやにやとした。

 これのおかげで早朝の眠気と戦う必要は無いに等しい。今日は九州に出張で、本来ならば朝の7時には東京の新幹線に飛び乗っていなければならないのだが、部屋の時計は7時半を差している。

 欠伸と伸びをひとしきりやって、朝シャンをしてから腕時計の針を5時にする。これで“いつも通り”の時間となった。

 清々しい気分で家を出た。今日2度目の日の出をみても、彼は何ら疑問も抱かなくなってきている。


 東京駅の23番新幹線ホームの待合室にて、いつもは見る余裕すらないスポーツ朝刊を買って豪快に広げる和樹。もうじき昼頃に博多到着予定の新幹線が来るはずだと、安らかな面持ちで待っていると、階段からこのような急ぎの声が聞こえてくる。

「ノゾミ! 何してるの!」

 自動ドアがしまっているにも関わらず、鬼気迫る大声がガラス越しに透過する。

 エスカレーター付近を見れば、せっかちそうな母親が少女の手を繋いで駆け上ってきた。

 黄色のワンピースと子供服の、赤いスカートが彼女の興味津々の顔によく似合う。手元には何か持ってじっと見ているようで、遠目からでも危なっかしく感じる。小さな段差につまずきそうになって、足がもつれた。

 結局、彼女たち見知らぬ家族はすんでの所で新幹線に乗り遅れてしまったらしい。左側に消えていく白いフォルムを眺め、行き先表示を見る。「ひかり・新大阪」だった。


 怒る母親と泣きべそをかく少女を横目見て、思わず彼は苦笑した。それ故、彼の指先にしたがって、腕時計は1・2分だけ時を戻した。

 ゆっくりと、針を戻すごとにコマ送りに視界が変わった。

 行ってしまったはずの新幹線がホームに入線するように逆戻り、ホームに収まる。そしてドアが開いた状態に戻った。


 ドアが閉まる前に2人は乗り込み、そして違和感なく新幹線は品川方面に進んでいった。

 このように、和樹の朝は誰かの人助けから始まるのだった――あの日が来るまでは。




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