収束④ 静と仁

 廊下で盟とすれ違った。

 向こうはこちらに気が付くと目礼をした。

 以前は何か嫌なモノでも見るような、そんな攻撃的な視線だったのに。

 今日のそれは穏やかだった。


 どんな心境の変化だろうか。  そう思ってからすぐ。

 ……私はバカだ。       思い直した。


 半身を化け物に侵され、それで心境に変化が無いわけがない。

 私はまた、生徒を守れなかった。

 その想いが胸の中でジクジクと音を立てた。



◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 



 教務室に入ると、仁は会議机に座っていた。


「よっ、今大丈夫?」


 そう聞くと、すぐに返事があった。


「大丈夫じゃなかったら、魔術でも使って開けられない鍵をかけている」

「相変わらず冷たいな」

「それは違うな。お前には気を使ってないだけだ」

「気の置けない仲ってヤツね」

「気のないヤツの間違いだな」

「ハイハイ。好意の裏返し」

「ポジティブモンスターかよ」

「お前が根暗過ぎるだけだよ」


 そこまで言うと、仁は言い返してこなかった。

 代わりにふっと笑った。


「なんだよ?」

「いやなに、いつもならこのタイミングだよな。天音がおろおろしながら、出来もしない仲裁をしに、割って入ってくるんだ。それを思い出した」


 私は言葉に詰まった。

 何と返したらいいか分からないまま、曖昧な言葉を口にした。


「……そうだったな」

「悪い。嫌なことを思い出させたな」

「嫌じゃないよ。ただ寂しいだけ」

「寂しい、か。忘れたな。どんな感情だったか」


 そう言って蛇穴は遠くを見た。

 きっと昔を思い出しているのだろう。

 感情を、忘れた。

 その言葉が、胸に刺さった。

 仁の正気は、限りなく0に近い。

 そうして、失われた正気と置き換わったのは狂気だ。

 不定の狂気。

 文字偏執狂パラノイヤ。そして、感情の欠如。

 仁はそれを、他人に悟られることは無かった。

 それは蛇穴の読心術による所が大きい。

 相手の反応を見ながら、相手の望む仮面ペルソナを被り、相手の望む人物キャラクターを演じる。

 相手の期待する反応を、或いは期待しない反応をしてみせる。

 まるで機械AIのように、感情なんて無いのにそれがあるかのように見せる。

 仁の反応は全て虚像だ。

 時折見せる悲しそうな表情も。

 背中を押してくれる優しい言葉も。

 全部虚像だ。

 私だけがそれを知っている。

 だから仁と話すのは少し辛い。


「で、保健室の先生がなんのようだ?」


 続く仁の一言に、思考から現実に引き戻される。


「その、なんだ」


 クソっ。

 なんでこう、大切な言葉ほど喉の奥で引っかかるのだろう。

 私は咳払いを一つして、ようやくその言葉を言えた。


「……蛇穴に、謝りたくてな」

「何をだ?」

「結局、私は何も出来なかった。ただ蛇穴の邪魔をしただけだった。なにより天音を苦しめ続けただけだった。それを、謝りたくて」


 蛇穴は仕方なさそうに、溜め息をついて見せた。

 それから遠慮のない言葉を投げる。


「本当にそうだ。静があの時に決断できていれば、もっと簡単な話だったんだ」


 そうだ。

 全部、私のせいだ。

 その思いは重たく、視線が床に落ちる。


「でも無駄じゃなかった」


 蛇穴はハッキリとそう言った。


「静のお蔭で、神宮寺達を見出すことが出来た。二人はきっと良い探索者になる。でも今はまだ未熟だ。だから、お前がしっかり導いてやれよ」

「でも、紗儚達も、巻き込んでしまった」

「神宮寺達は自分で選択したんだろ。お前が焚きつけたにせよ、最後に決断したのは神宮寺達自身だ。自分で自分を決められる。だからこそ神宮寺達は強い。俺はそう思っている。お前もそう思っているだろう、静」

「私は……」


 その後の言葉は、出てこなかった。

 胸が詰まり、言葉にならなかった。

 そんな私を見て、仁は溜め息をついた。


「静には学習能力が無いのか?

 お前がやるべきことは後悔じゃない。

 覚悟を決めることだ。

 前を向け。自分の進む道を見ろ。

 あとは、どんなに辛くても、その道を歩け。

 それが、お前がやるべきことだ」

「……できない。知っているだろ。私が抱えた、……不定の狂気を」


 探索者は正気を摩耗する。

 そうしてゆっくりと擦り切れていく。

 時として、おろし金に掛けられるように、急速に正気を削られることもある。

 その衝撃は大きく、精神に異常をきたす。

 仁はそれで、偏執パラノイヤの狂気を患った。

 それは、私も同じだった。

 私は大切なことを

 日常生活レベルのことなら支障は無い。

 でも、大切だと思うことほど、決断が出来なくなる。

 私はもう、自分の意志で自分の未来を選び取ることが出来ない。


「知っている。でもそれがどうした? 静がポンコツなのは、昔からだろ。静がやったことなんて、俺の記憶には2つしかない。天音と遊ぶことと、この世ならざるモノを炎神の炎で全てを焼き払うゴリ押し。違うか?」

「……それ以外にもやってただろ」

「いいや、それ以外のことは全部俺が処理してた。天音が事件を持ってきて。俺が情報を集めてパズルを組み立てて真相に辿り着いて。お前が魔術で全てを焼き払って。最後に俺が、お前らのやった無茶苦茶を全部処理して終わる。我ながら、自分の活躍に涙が出るよ。あと、お前らと一緒になった不幸を呪う」

「そんなことない。絶対に何かやってた。はず」

「記憶っての言うのは便利だな。不都合なことには靄を掛けることが出来るのだから」


 仁はそう言ってから、「いや、」と漏らした。


「そう言えば、静がやっていたことが1つだけあったな」

「だろ。で、なんだっけ」

「決断だ。どんな事件だって、やると言い出すのはいつも静だった。正義感に溢れて、向こう見ずな、静だった」

「……それは昔の話だ」

「でも、同じ静だ」

「止めてくれよ」

「止めない。静ならできるからな。覚悟を決めて、決断しろ」


 できない。

 不定の狂気は精神の病だ。

 気合いや根性でなんとか出来る類のものではない。

 その思いの一方で、もう一つの思いもあった。


「……本当に、そう思っているのか。私が、不定の狂気を克服できるって」

「ああ。不定の狂気は不治ではない。だったら、静にならできるよ。俺はできる奴にしか、できるとは言わないよ」


 その言葉に縋るように、顔をあげた。

 そこでは仁が優しく笑っていた。

 それが例え偽物だと知っていても、私には嬉しかった。

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