収束③ 盟と仁

――貴方みたいにただれてないわ


 その言葉が紙で切った傷のようにうっすらとした痛みを残していた。

 確かに、そうかもしれない。

 私の蛇穴先生への想いは、きっと普通じゃない。

 不健全なこの想いは、爛れているのだろう。

 でも、それになんの問題があるのだろう。

 爛れているとか、どうとか。そんなものは全部他人のものだ。

 他人がどう思うかなんて、私にとってはどうでもいい。

 大切なことは自分でどう考え、行動するか、だ。


 ”俺は他人の決めたルールの中で、言い訳して生きていて。

 それで満足なのか?”


 先生が私に言った言葉。

 それは死んだように生きていた私の目を覚まさせた。

 私の全ては、私のものだ。

 判断も、行動も、全部。

 だから後悔はない。

 私が先生の役に立てたのなら。

 たとえ死んでも、後悔は無い。



◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 



 紗儚さんと別れた後、私は先生の元に向かった。

 国語科教務室。

 ノックを2回。

 中から声。


「開いている」


 私は「失礼します」を言って入る。

 部屋の真ん中に置かれた会議机。

 その上には答案用紙の束がある。

 一番上の答案には途中まで、丸とチェックがついている。

 先生はその答案用紙の束の三辺を揃えると、脇に置いた。


「待たせたな」

「いえ、こちらこそお仕事中にすみません」

「開いてる席ならどこでもいい、掛けてくれ」

「いえ、直ぐに行きますので。お気遣い、痛み入ります」

「相変わらず堅苦しいな」

「先生は、先生ですから」

「先生か。その肩書きが服だったら、俺は今すぐに脱ぎ捨ててやるんだけどな」

「すみません。そんなつもりでは」

「からかっただけだ」


 先生はそうして口の端をあげた。

 それにつられて、私の口元も緩んだ。


「神宮寺と会ったのか?」

「はい、会って話しをしました」

「そうか。盟の嬉しそうな表情を久しぶりに見た気がする。紗儚と話をして、なにか収穫でもあったか?」

「いいえ。何の意味もない時間でした。ただ楽しいだけの、無意味な時間でした」

「無意味なモノなんて無い。人間は、なんでもない物事に意味を見出す生き物だ。だからこうして、世界は騙し騙し回っている」

「勉強になります」

「本当に盟は硬いな。まぁ、そんなことはどうでもいい。戯れはここまでにして、本題に入ろうか」


 先生に促されて、私は内ポケットに入っているそれを取り出す。

 精神力を集めた小瓶。

 それを両手で持ち、先生に差し出した。


「必要な精神力が集まりました。これで天音さんを、再生の死滅の苦しみから救えます」


 先生は「ああ」といって、小瓶を受け取った。

 それから。


「やっと、溜まったか」

「すみません。時間がかかってしまいました」

「違うよ。俺は嬉しいんだ。ずっと待っていたから。盟には、よく動いて貰った」


 そうして先生は「ありがとう」と言った。

 その一言に、私は全身に喜びが込み上げてくる。

 先生の役に立てた。

 それで、全て報われた気がした。


「……私こそ、ありがとうございます。先生のお役にたてて、私は嬉しいです」

「そうか」


 先生はそう言うと立ち上がった。

 それから私の前に立って、そうして、優しく抱きしめてくれた。

 先生は優しく、私の髪を撫でる。

 私は先生の背中に手をまわして、先生の胸に顔を埋めた。

 幸せな時間だった。

 ずっとこうしていたかった。

 でも、ダメだ。

 先生に迷惑をかけてはいけない。

 頭を離した。

 涙を殺して、感情を殺して、自分を殺して。

 そうして最後の感謝を伝えた。


「ありがとうございます」


 頭をさげる。

 顔を上げると、先生は溜め息を一つ。


「死ぬ気なんだろ」


 先生は急にそう言った。

 私は「はい」と答えた。


「ショゴスは人間の世界には害悪でしかありません。そんなモノが人間のフリをして生きていくなんて、許されることではないですから。この顛末を見届けて、それからこの体のショゴス共々。消えようと思います」


 先生は溜め息をついた。

 それから。


「盟の命だ、使い方は盟が決めればいい。俺が、とやかく言えることじゃない。冷たいが、それがこの世界だ」

「はい。存じております」

「ただ、盟の望みは、死ぬことじゃないんじゃないか。盟が本当に望んでいることはなんだ?」

「先生のお近くにいることです」


 そう言った。


「でも、それは叶いません」

「なぜだ?」

「私はもう、化け物だからです」

「……もし、その望みが叶う道があるとしたら」


 先生が何を言っているのかは分からなかった。

 でも私にとって大切なことを言っていくれているのは分かった。


「盟は最善を尽くした。そうだろ」

「はい」

「だったら最後は、望む結果を得られるように、祈ってもいいんじゃないか」


 先生は、宙を指さして言った。


「神様ってヤツにさ」

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