Session 2 乾識暉

探索 仲が良かっただけだ。普通よりもちょっとだけな

探索① 紗儚

 目を開けると最初に、汚れた白のカーテンが見えた。

 見たことのあるカーテンだ。たしか、保健室の。

 そこでやっと、保健室のベッドで横になっていることがわかった。同時に、なぜこんなことになっているのかも、思い出した。


「紗儚っ」ベッドから跳ねるように起きあがった。

「おー、目が覚めたな」


 それは樸生先生の声だった。

 ベッドの仕切りカーテンを開けると、白衣姿の樸生先生がこちらを向いた。


「大丈夫か?」

「うん、大丈夫」それから「紗儚は?」

「識暉より先に起きてな。もう帰ったよ」


 そう言うと、白衣の胸ポケットから中指と人差し指で便箋を挟み、取り出した。


「手紙。紗儚から」


 そういって差し出された手紙を受け取る。

 4つに折られたその手紙には、細い綺麗な字で短い文章が2つだけ。


 『ごめんね』

 『しばらくひとりにして』


「なんて書いてあった?」


 樸生先生の言葉に、手紙を渡して答える。


「先生。紗儚が起きた時、どんな様子だった?」

「泣いてたよ。今の識暉みたいに」

「オレのせいだ」


 悔しくて、悔しくて。それ以外に何もなかった。

 泣いたってなにも意味がないのに、涙が溢れて止められなかった。


「オレが。もっと。もっと。強かったら」


 先生はなにも言わなかった。

 ただ、オレの頭の上に手をのせて撫でた。

 先生の手は「識暉はよくやったよ」。そう言ってくれている気がした。

 その暖かさが「でも、オレは負けた」。敗北を意識させて、また悔しくなる。


「なぁ、識暉」先生の声は、優しかった。

「泣いたって、なにも変わらない」優しく、そういってくれた。

「手酷くやられたけどな。まだ終わったわけじゃない。顔をあげろ。識暉がやれることは、ここでうつむいて、泣くことじゃないだろ」


 オレにできることなんて、あるとは思えなかった。

 でも、前を向かなきゃいけないことはわかった。歯をくいしばって、悲しみを奥にしまった。鼻を啜って、全部をどこかの奥にし舞い込んだ。

 それから、涙を拭って、前を見た。


「先生。オレ、どうしたらいい?」

「逆に聞かせてくれよ。識暉はどうしたい?」

「謝りたい。オレのせいで、紗儚は」

「じゃあ、そうすればいい」

「でも、」独りにしてくれって。


 樸生先生は溜め息をひとつ。


「私には紗儚の気持ちは分からんがな。一つだけ確かな事がある。今の紗儚には、そばにいてくれる人が必要だ。安心して寄り添える人がな。それができるのは、きっとお前だけだよ。識暉」


 そういってから、紗儚の手紙を見た。

 それを、2枚に、4枚に、8枚に破った。

 最後にこちらを見て、ニっと笑った。


「行けよ」


 先生の言葉に「うん」と頷く。


「先生。ありがとう」


 そう言って、保健室を走って出て行った。



 ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 


 紗儚の家の前。

 「会いたい」の一心で、ここまで走ってきたけれどそこから進めなくなってしまった。

 人差し指を呼び鈴に伸ばす。でも、呼び鈴に触れる直前で指は止まってしまう。

 ――ひとりにして。

 あの手紙がふっと浮かんでくる。言葉が、紗儚の声に代わる。

 呼び鈴から手を離す。

 深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 紗儚のそばに居たい。その気持ちで人差し指を伸ばす。

 でも、呼び鈴は押せずに、また、力なく下に下げられる。

 また最初から。

 溜息をついて、指を伸ばす――。

 そんなくり返しも五度目を始めようとしたところで。


「乾」


 声をかけられた。

 振り返ると黒い薄手のコートを着た背の高い人がいた。

 担任の蛇穴先生だ。


「お前も紗儚に用か?」


 蛇穴先生の口調は、先生としての口調ではなかった。

 知り合いと話すようなざっくばらんな言い方だった。


「そうだけど、先生も?」

せいから頼まれてな。家庭訪問だ」

「静って、樸生先生?」


 蛇穴先生は肩を竦めて、ああ、と答えた。


「あいつとは大学時代の同輩でな。あんなヤツだからな。面倒なことばかり起こして、よく始末をさせられたよ。今回もそうだ。自分で行けって言ったんだがな。合わせる顔がないとかいって。まったく。難儀な奴だ」


 そこまで言うと、呼び鈴を押した。

 反応なし。もう一度押す。やっぱり反応はない。

 蛇穴先生は躊躇なくドアノブに手をかけて回した。

 ドアノブはガチャガチャいうだけだった。鍵がかかっている。


「開かないな」

「開いたらどうするつもりだったの?」

「逆に聞くが、入る以外に何をする?」

「それって不法侵入」

「法よりも教え子の方が大切だ」

「でも、そういうの良くないんじゃないの? 世間的にさ」

「そうかもしれん。でもそんなことは些細だ。もし問題が起こったら、その時考えればいい。他人の決めたルールの中で、言い訳をしながら生きるよりも、自分の心に従って生きる方がいい。俺はそう思っている。まぁ、そういうことだ」


 蛇穴先生の言葉は意外だった。

 いつも淡々として、ルールの中で動く人。そう思っていた。


「もっと堅い人だと思ってた」


 その言葉に、蛇穴先生は当たり前だと言うように「仕事だからな」


「ちょっと見直した。どいて、開けるから」


 そう言って鍵を取り出して回す。

 鍵を差し込むと、錠は素直に開いた。


「なんで合鍵なんか持っているんだ?」

「幼馴染だから。入るよ」


 オレは「お邪魔します」と言って中に入っていく。

 蛇穴先生は「仁だ、見舞いに来た」と言って、後ろからついてきた。

 リビングを覗く、いない。

 台所を覗く、いない。

 トイレをノックする、返事はない。


「一階には居ないみたい。多分二階の、紗儚の部屋だ」


 そう言って二階に上がる。

 右に進み突き当り、紗儚の部屋のドアをノックする。


「紗儚、いる?」反応はない。

「ゴメン、どうしても顔を見たくて」やはり返事はない。


 ゆっくりと扉を開けた。廊下の光が部屋に伸びていく。

 部屋は真っ暗だった。

 カーテンが目張りされ、その上から何重にもテープで押さえつけられている。

 昼間なのに、少しの光さえ入っては来なかった。

 その景色に、彩の部屋での、嫌な記憶がよみがえる。

 心臓の音が、耳にうるさい位に大きくなる。

 入口から伸びた光が、ベッドの上にある細長い物を照らす。

 最初はそれが、なんのか分からなかった。


「紗儚?」


 目を凝らすと、暗闇の中にあったそれは少しずつ輪郭を結んでいった。

 足だ。真っ白な足が、無造作に投げ出されていた。


「紗儚!」


 暗い部屋の中に飛び込む。

 ベッドの上、そこに紗儚が倒れている。

 目が慣れるまでは、匂いしか分からなかった。

 静かに声をかけて揺らす。

 でも、反応が無い。

 今度は強く呼びかけて、揺らした。

 それでも反応は無かった。


「乾」先生の声が聞こえた。

「電気をつける、目を閉じろ」


 先生に言われたとおり、目を閉じる。

 スイッチを切り替える音。

 光が瞼を焼く。

 目を開けると部屋の明かりが紗儚を照らした。

 思わず、息が止まった。

 くすんだガラスのような眼。

 人形のように投げ出された手足。


「紗儚」そう声をかけても、反応がない。

「紗儚! 紗儚っ!」


 名前を呼ぶ、何度も何度も繰り返し呼ぶ。

 両手を紗儚の顔に添え顔を見る。

 開かれた目には光がなかった。

 人形のように、温かさが無かった。

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