探索⑧ 点は線へ

――これは夢だと、なんとなく分かった。


 あの黒い蛇が、文字に刻まれていた記憶が見せる夢。

 向こうに誰かが立っている。

 顔は逆光で黒く塗りつぶされ、見えない。


「ねぇ、輝梨さん」


 その人は話しかけてきた。


「貴方がもし、自分を犠牲に世界を救えるとしたら」


 平坦でいて少し甘い、バニラのような囁き。

 ずっと聞いていたいと思ってしまう。


「貴方はそれを受け入れる?」


 その人の影が段々に近づいてくる。


「ありがとう。世界を救う為に、輝梨さんの力を貸して」


 目の前まで来ていた。

 膝を屈めて覗き込むようにこちらを見た。

 その人と目があった。

 それは。


 ――夢は途切れて、現実に戻される。



 ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 



 まぶたの裏でチリチリするような光を感じ、目を覚ました。

 逃げるように手で目を覆うと、心地よい影ができて痛みは消えた。

 たぶんもう朝なのだろう。

 目を開ける。体が重い。

 机の上には白紙の日記帳がある。

 それを見て、何があったのかを思い出す。

 体が怠く頭はモヤモヤするが、それ以外の異常はない。多分、大丈夫だろう。日記帳を手に取ると、スクールバッグに入れた。それから倦怠感を洗い流すためにお風呂場にいく。

 シャワーを浴び、洗面台の鏡を見る。

 そこで腕や顔に文字が付いているのがわかった。まるで勉強の途中で居眠りしてしまい、ノートの文字がそのまま写ってしまったみたいだ。昨日の出来事が頭に浮かんだが、すぐにどうでも良くなってしまった。

 頭が鈍りすぎていて、何も考えられない。

 体から文字を洗い流した。

 それから家を出た。



 ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 



 早朝の教室。

 冷たい空気。

 その心地良さは、誰もいないこの時間限定で、そして格別だ。

 大きく息を吸って、それから教室に入った。

 いつもだったらこんな朝早くに人はいない。

 でも今日は、一人だけいた。

 その人は、輝梨さんの机に座って、少し悲しそうに机を撫でている。

 こちらに気が付くと、「おはようございます」と声を掛けてきた。

 知っている顔だった。

 生徒会長、紫月しづきちか

 盟の顔を見た瞬間、理由もなしに警戒心が湧いた。

 気を抜いてはいけない。

 自分にそう言い聞かせてから、「おはようございます」を返す。

 それから、こちらから先手を打った。


「その席」


 盟は微笑みながら、次の言葉を待っている。


「盟さんは、輝梨さんのお友達?」

「お友達、とは違うかもしれません。輝梨さんには協力していただいたんですけど」


 盟はそこで言葉を切ると、視線を机に移した。


「入院した、と聞いて」


【ダイスロール】

《紗儚|個人技能『敗北主義者の洞察』:達成値60》

《達成値60 → 31 成功》


 言葉では輝梨さんのことを心配しているようだ。でも本当は心配ではなく、もっと別の感情のような気がした。


「紗儚さんが最初に輝梨さんを見つけたと、お聞きしました」


 私の「ええ」に、盟は目を細めた。

 「ありがとうございます」そう残すと、席を立った。


「朝は大体、生徒会室にいます。何かあれば、いらしてください」


 そう言うと、横を通って行ってしまった。

 盟が教室を出た後、盟がそうしていたように輝梨さんの机を撫でた。そこは、ほんの少し甘い香りがした。

 盟はなぜ「待っている」なんて言ったのだろうか。


【ダイスロール】

《紗儚|情報を点から線へ:達成値75》

《達成値75 → 46 成功》


 状況を整理して、一つの仮定を結ぶ。

 それを確かめるために、席を立った。

 だとしたら。


「まずは保健室、かな」



 ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ 



 保健室の扉を開けると、樸生先生は椅子をくるりと回転させてこちらを見た。

 口の端を吊り上らせて、笑っている。


「おはよう。日記は読めたか?」

「一応、ですね」


 それから、確かめたかったことを聞く。


「先生は全部知っていたんですね。日記を読んだら、あの気持ち悪い生き物が襲ってくることを」


 カマをかけたつもりだった。

 けれども先生はあっさり「まぁな」と肯定した。


「分かっていたよ。だから警告をした」

「分かっていたのなら、もっとちゃんと教えて下さい」

「甘えるなよ。でもその様子だ。しっかり撃退できたんだろ」

「部屋とお布団が黒鉛だらけになりましたけど」

「逃げるものだと思っていたけど、頭脳労働担当の紗儚にしては頑張ったな」


 識暉のために頑張りました。

 なんて言えるわけもなく、私は肩を竦めて返した。


「アレは一体なんだったんですか?」

「アレか。まぁ何かって言われると難しい所だけどな。イメージとしては式神に近い。使役者がいて、一定条件を満たすと現れる。今回は本を解読すると、発現するようになっていたんだろうな」

「噛まれたんですけど、大丈夫なんですか」

「大丈夫じゃないな。蛭が血を吸うみたいに精神力を吸われ続ける。放っておけばいつか取り返しのつかないことになるだろうな。ちょうど今の紗儚みたいに」

「やっぱり、なんか変だと思ったんです。朝から怠かったですし。コレ、治るんですか?」

「普通は無理だけどな。紗儚の場合は時間が経っていないのと、侵食が深くないから大丈夫だ。有能な樸生さんに頼れば、今すぐに治せるぞ」

「それじゃあ、お願いします」


 樸生先生は嬉しそうに「うんうん」と頷くと、私の前に立った。

 聞いたことのない言葉で何かを紡いでいる。

 それが終わると、黒蛇に噛まれた部分をそっと撫でた。

 先生の手が触れると、何かが蒸発するようなヂッという音がした。それで靄のような倦怠感が消えた。


「これでどうだ?」

「体が軽くなった気がします」


 それからそっぽを向いて。


「ありがとうございます」


 それを見た樸生先生は「失敗した」と言って目を覆った。


「何がです?」

「紗儚の貴重なデレシーンを写真撮影し損ねた。クソっ」

「セクハラ発言ですね。教育委員会に訴えて、先生のお仕事取り上げましょうか?」

「女子同士ならセーフ」

「アウトだよ」


 ホントこの人は、人間としては最低だ。


「まぁ、それは置いておくとして。輝梨さんや春さんが精神力を搾取されていた手段って。もしかしてこれですか?」

正解ピンポ~ン


 その軽薄な正解音に、大きく溜息をついてみせる。


「先生は最初から知っていたんですね。原因を」


 確信は無かった。でも、あえてそう言った。

 その言葉に、先生は目を細めた。それは、色々な感情がないまぜになったような、影を感じる表情だった。

 それも一瞬。いつものように、口の端を釣り上げた。


「そうなるのかな。ただ言い訳をすれば絶対的な自信があったわけではないよ。可能性の一つとして、認識はしていた。その程度。確信したのは日記を見た時だよ。だからあの時『原因が分かる』って言ったんだ。いずれにせよ、紗儚は原因に辿りついたわけだな。そしてだ」


 先生は、白衣の内ポケットから手紙を取り出した。


「蛇穴に筆跡鑑定をしてもらった。手紙の送り主も分かった。誰だと思う?」


 その質問に「紫月盟」と答える。


「なんだ、知ってたのか」

「今朝、教室で会った時に気が付きました。盟が彩の席に座っていて。それで多分そうだろうって」

「へぇ、向こうから挨拶に来たのか」

「そうみたいですね」


 先生は「なるほどね」というと私の目を見た。


「まぁ、これで原因と犯人が分かったわけだ」

「そうみたいですね。取りあえず話し合いでもしてきますよ」

「丸腰で?」

「ええ。別に争う気はないですし。ただ、なんでこんなことをしたのか、理由を聞きに行くだけです。もし向こうが仕掛けてきたら逃げます」

「逃げ切れなかったら?」

「その時は先生が何とかしてくれますね。犯人も原因も分かっているんですから」

「まぁ、そうだが。なんか、紗儚らしくないというか。紗儚ならもっと策を巡らせて、確実な状態を作り上げていくと思ってな」


 その言葉に、小さく溜息を吐いた。

 先生の言うとおりだ。本当ならもっと色々なことを考えて、どんな状況にも対処できるようにしてから行く。でも、今は。むしろ危険になる事を望んでいる。私がリタイアすれば樸生先生が動かざるを得なくなるから。そうすれば識暉に危険が及ぶことはないから。だから識暉のいない今。終わらせたい。


「盟と私は似てるんです。さっき教室であった時に、そんな気がしました。だから多分、大丈夫です」


【ダイスロール】

《紗儚|静への嘘:達成値80》

《達成値80 → 10 成功》

《静|紗儚の本心の看破:70-5(対象者からの抵抗)》

《達成値65 → 87 失敗》


「分かった。紗儚が大丈夫って言うなら、それを信じるよ」


 先生は面倒そうに溜め息をつく。


「ただ、危なくなる前に、必ず逃げろよ」


 先生は心配してくれている。それはなんだか、こそばゆい。

 先生が私の嘘に気づく前に「じゃあ、行っていきます」と話を切った。

 立ち上がって、保健室を出る。


「紗儚」先生に呼ばれて、振り返った。

「悪い。頼んだ」


 それは何か伝えたげな言葉だった。

 言葉で伝えられない何かを、伝えようとした言葉に聞こえた。

 それに対して、私は肩を竦めてみせる。


「ええ、頼まれました」


 そうして、本当に保健室を後にした。

 口を結んで、戦いに向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る