探索⑥ 日記と狂気

 青華寮をでてから、識暉と別れて家に帰った。

 今は自分の部屋で机に向いながら、輝梨さんの部屋で見つけた日記を眺めていた。何度見てもその日記には何も書かれていない。正真正銘の真っ白だ。


「なんで白紙なのよ」


 そんな独り言が漏れる。

 行き詰った思考を、日記と一緒に机へ投げ置いた。それから席を立って、ベッドに移動する。大の字になって、そのままベッドに倒れ込んだ。

 一度包み込んだら離さない。羽毛布団の至高の包容力に「ん~」と声が出てしまう。


「ベッド大好き。結婚しよう」


 ……。

 これじゃまるで識暉だ。

 そう思ったところで、溜め息をひとつ。頭をリセットしてから、もう一度はじめから考えを組み立てる。

 ――最初の疑問。先生はこの日記を、間違いなく読んでいた。

 でも、目の前にある日記は白紙だ。文字なんてどこにも書いていない。文字が消えてしまったのだろうか。そんなことが、あるのだろうか。


【ダイスロール】

《紗儚|漠然としたアイデア:達成値10》

《達成値10 → 23 失敗》


 考えていても答えは出ない。完全な手詰まりだ。でも、こうして手をこまねいても仕方ない。だとすれば、どんなに気乗りがしなくても、残った最後の手を使うしかないのだろう。

 私は制服のポケットに手を入れた。

 一枚の紙を取り出す。そこには、樸生先生の連絡先が書かれている。

 溜め息をひとつ。

 それからその番号を携帯に打ち込む。

 ワンコール。

 すぐに先生の声。


「樸生だ。紗儚だな」

「はい。なんでわかったんですか?」

「樸生さんはエスパーなんだぜ」


 沈黙という返事。

 その静寂に耐えられなかったのか、先生は「というのは冗談で」と続けた。


「まぁ、昨今で連絡してくれる人なんて紗儚しかいないからな」


 この人は、とっても悲しいことを当たり前のように言うのだな、と思った。私は、こうはならないように気をつけよう。


「例の件ですが、私も識暉も、このまま続けることにします」

「それは良かった。嬉しいよ」

「報酬の魔術、二つですからね」

「ああ。確か『動物と話せる』やつだったな」

「違います」

「オススメなんだけどな~」

「そんなことより、聞きたい事があります」

「日記だろ。何も書いてなかった、って」

「……なんでわかったんですか」

「そりゃ、私が見た時も白紙だったからな」

「じゃあ、なんで先生には読めたんですか」

「まぁ、過去に同じものを見たことがあったから。それで読み方も知ってたわけだ。簡単な問題だよ。紗儚なら自力で解ける。頑張れ」

「白紙の問題なんて、解けません」

「そうか? 問題文が無くったって解ける問題だってあるぞ。まぁ、あんまり目に頼りすぎないことだ。感覚は視覚以外にもあるんだから、他の感覚も使ってみろよ」


【ダイスロール】

《紗儚|静の意図を読み取る:達成値70》

《達成値70 → 58 成功》


 その口調から、私にはわかった。

 先生は楽しんでいる。

 難しくない問題を難しく考えている生徒を、ニコニコしながら見ている。

 そんな感じがした。


「簡単な問題、なんですね」

「ああ。ほんの少しの気付きがあれば分かる。そういう話だ」


【ダイスロール】

《紗儚|白紙の日記へのアイデア:達成値75》

《達成値75 →  37 成功》


「――聞いても良いですか?」

「これ以上は教えたらつまらんぞ」

「そっちはいいです。多分、

「ほぅ、じゃあ聞こう。どんな質問だ?」

「なぜ、文字は消えてしまったんですか?」


 電話の向こう側で、先生の口が吊り上るのが分かった。


「良い質問だ。だけどな紗儚、それには答えられない。日記を読め。そうすればなぜ文字が消えたのか、分かるはずだ。私が言えることは3つだけ。

 気を抜くな。

 常識を信じるな。

 捨てていいのは愚かさだけ。

 そう言う話だ」

「なんですか、それ?」

「樸生さんからの、優しい警告だよ」


【ダイスロール】

《紗儚|静の意図を読み取る:達成値70》

《達成値70 → 13 成功》


 先生は私を試している。よく出来る生徒に、難しい問題を与えるように。

 溜め息一つ。先生の戯れに付き合ってあげるのも生徒の務めだ。


「良く分かりませんけど、分かりました」

「そう、それでいい」

「もうひとつ、いいですか?」

「手紙のことか?」

「はい。書いた人、分かりましたか?」

「ああ、国語の蛇穴さらぎにみせたらバッチリだったよ。流石、ガチの文字狂いだ。筆跡見たら秒で答えてくれたよ」

「で、手紙の送り主は誰だったんですか?」

「それなんだか、まずは日記を読んでくれ。その後の方が、色々と話が通りやすい」

「わかりました。日記を読めば全てわかる。そういうことですね」

「その通りだよ。じゃあ日記の解読、頑張りなさいね~」


 そういって、電話は切られた。

 さて。

 立ち上がって、机に座り、日記と向かい合いあう。

 そして、白紙の解読に取り掛かる。

 ヒントはあった。

 先生は日記を読んでいた。その時に、どうやっていたか。

 指でなぞっていた。

 適当なページを開いて同じように指でなぞってみる。

 ザラザラとした紙の質感。でもそれはどこでも同じではなかった。僅かだが所々で違っている。滑りやすいところもあれば、引っかかるようなところもある。

 その感触に、口の端があがる。

 やっぱりそうだ。

 どんな理由かは知らないが、そこにインクや黒鉛は既に載っていない。でも書いた痕跡は残っている。白紙の頁には文字の形に凹凸が出来ている。それがわかればあとは簡単だ。

 筆記用具からシャープペンを取り出して、日記のページを薄く塗っていく。凹んだ部分には色がぬられずに、白く浮かび上がる。

 そうして、文字が復元できた。

 これでやっと、日記の中身を読むことが出来るようになった。


 日記には輝梨さんの日常が書き綴られていた。今日はこんなことがあって嬉しかった。あんなことがあって悲しかった。そんな、他愛もない日常が書き綴られている。

 年齢よりも幼い文章は、

少なからず安心して読めた。

 そんな中、ある日だけ他の日と違っていた。


 みんなのためなら、

  ほんの少しの悪夢くらい耐えてみせる。


 たった一文だけの日記。

 なにかを決断するような文章だけれど、前後にはその中身らしきものは書かれていない。

 ただ、変な文章だった。

 そしてその日を境に、輝梨さんの文字と文章が変質していった。

 信じられないようなことが、偏執的に綴られていくようになっていき、生理的に気持ち悪い単語や表現が多くなる。

 輝梨さんが見ていた現実は、あまりにも歪曲していて、その歪みに気分が悪くなる。目が痛くなるほど、きつくピントが合わされたような痛み。虫が体中を這いまわるような不快さ。体の内側から突き上げるような吐き気。

 日記の中にある全てが、得体の知れない気持ち悪さを感じさせた。


【ダイスロール】

《歪んだ世界に対する生理的な嫌悪感》

《紗儚|正気の蝕み:達成値:75》

《達成値75 → 45 成功》

《紗儚|正気75 → 74》


 不意に思い出したように、私は日記から顔をあげて息を継いだ。目が痛く、視界は目眩のような光がチラつき、口の中がざりざりとしている。荒い息を整えていると、時計が電子音で深夜3時を告げた。

 ――日記を読み始めてから、5時間以上も経っていた。

 そんなにも長い間、文字を浮かびあがらせて、読んで、を繰り返した。気持悪いと思いながら。ずっと続けていた。両手でまぶたを覆いゆっくり深く呼吸をして、気持ちを落ち着けた。


「なんなんのよ、コレ」


 喘ぐようにそう呟いた。

 この日記は普通じゃない。

 いますぐ閉じて、テープで十重二十重とえはたえに封し、捨ててしまった方が良い。

 そう思うのと同時に。

 別の考えが顔を出す。


「まだ手がかりを見つけていない」


 輝梨さんがあんなことになってしまった原因を、見つけてはいない。

 両手で顔を覆い、天を仰ぐ。

 ――見つけるまでは、終われない。

 私は、私の乾いた笑いを聞いた。

 自分で、自分のことが解らない。

 ただ一つだけ。

 自分がやるべきことだけ。それだけが頭の中にあった。

 深く息をついて、それから覚悟を決めた。そうして日記に目を向けた。


 最初に違和感。

 それから怖気。

 閉じたはずの日記が、机の上で開かれていた。

 それだけじゃない。そこに書いてあった文字が。


 文字がうごめき這いだしていた。

 

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