導入② 喫茶店と眠り姫

 喫茶店の扉を開けると、かららん、とカウベルの音が迎えてくれた。


 明るすぎず暗すぎず。間接照明の柔らかで落ち着いた光で満ちた喫茶店だった。

 店員の「いらっしゃいませ」に識暉は軽く頭を下げる。

 それから店内を見渡すと、迷いなく店の奥に進んで行った。

 その先には小さく手を上げている人がいる。

 その人のことが、はじめは誰か分からなかった。

 それから一瞬遅れて、神那さんだと気が付いた。

 神那さんの表情には、いつもの溌剌さと太陽のような輝きはなかった。むしろ、笑顔であればあるほど、影が濃く浮き上がってくるような。

 そんな、心が痛くなる笑顔だった。


「お待たせ」識暉の言葉に、神那さんは「無理を言ってごめん。来てくれてありがとう」と言って、影の差した笑顔を作った。それから私の方を見る。


「そちらは?」

「紗儚だよ。神宮寺紗儚。前に話をしていた」


 識暉の言葉に、神那さんの表情が少し変わった。


「ああ、貴方が紗儚さんか。識暉から話は聞いているよ。スゴイ頭が良いって。識暉が紗儚さんの話をするとき、とっても嬉しそうにしていて。それで、どんな人なんだろうって、思っていた。会えて嬉しい」

「ただの幼馴染みです。よろしく、神那さん」


 そんな簡単で当たり障りの無い自己紹介を終えて、私たちは席についた。

 店員に飲み物を注文し、それが揃ったところで、識暉が話を切り出した。


「それで、何があったんだ?」


 識暉らしい、端的な切り込み。

 少し強引にも感じるが今回は悪くない。

 神那さんは逃げるように視線を下げた。そうして、手元のコーヒーカップを眺めながら、口許を強く結んだり、喉を強ばらせたりを繰り返している。そうしてからやっと、言葉が出てきた。


「私自身、うまく整理できていないところがあって。だから、ちゃんと話せるかどうか自信はないんだけど。いいかな」


か細い神那さんの声に、識暉は背中を押すように応える。


「ああ、分からないことはこっちから聞くよ。だから話してみて」


 識暉の答えに、神那さんは「うん」とうなずき、それから飲み物に口をつけた。

 1度、2度。

 そうしてから、ポツポツと言葉が出てきた。


「識暉さんは七篠しちじょうはるって子、知ってるかな。

 春は私の幼馴染みなんだ。

 小さい頃は、春の家によく遊びに行って、一緒に遊んだりしたんだ。

 中学校で別になっちゃって、そこでちょっと距離が出来ちゃって。

 高校でたまたま一緒になったのだけど、もう昔みたいな関係じゃなくて。

 すれ違った時に、ちょっと挨拶するくらいの関係になってたんだ。

 その春が、学校で倒れたって聞いて。三日前。

 学校に救急車が来て、ちょっとした騒ぎになったから、たぶん知っていると思う。

 春が倒れたって知って、心配になってさ。だからお見舞いに行ったんだ。

 そうしたら、たまたま看護婦さんがいて、春の様子を聞きたんだ。

 春は、眠り姫症候群だって。

 突然眠たくなって、そして起きられなくなる病気だって。

 ・・・・・・治療法の無い病気だって」


 神那さんはそこまで言うと、飲み物に口をつけた。

 それから小さく深い息をして。


「それで、ちょっと混乱しちゃって。何もできないのに、何かしてあげたくってさ。

 でもどうしようもなくて。それを誰かに話せたら、ちょっとは整理できるかなと思って。

 そうしたら一番に識暉さんの顔が浮かんだんだ。

 ・・・・・・ごめん。こんな話を聞かせて」


 神那さんの両手は縋るように、カップを包む。

 唇が震えている。それを止めるようにカップに口をつけ、飲み込んだ。

 それ以上の言葉は出てこない。神那さんは顔をあげて、これで全部、というように暗い笑顔を浮かべた。

 その背中には、重たい空気が覆いかぶさっている。

 でも、誰も、どうすることも、できない。

 みんな、それが分かっている。だからこそ、不安が胸を押しつぶしていく。

 重苦しい空気の中、最初に口を開いたのは識暉だった。


「どう。少しは整理できた?」

「うん。識暉さんのお陰で、整理できた。話したせいかな、気持ちも少し楽なった。ありがとう」


 それからこちらを見て。「紗儚さんも」影のある笑顔を浮かべた。

 神那さんの気持ちは分かる痛いほど分かる。私も、大切な人が春さんのようになってしまったら、きっとまともではいられないだろう。

 神那さんの気持ちは、十分に分かる。


 だから私は。

       許せなかった。


「ねぇ、神那さん」


 容赦はしない。

 冷徹な視線を向け、言葉の銃弾を心臓に向けて放つ。


「どうして嘘をついたの?」


【ダイスロール】

《紗儚|個人技能『敗北主義者の洞察』:達成値60》

《達成値60 →   》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る